第3話 朽
「あった! 良かった!」
番頭さんと別れ縁側に辿り着くと、彼の言っていた通りに靴が沓脱石の上に二足置かれていた。僕と辰村先輩の靴である。先輩の指示通りに靴を確保した。後は先輩の到着を待つだけだ。
「よいしょ……え?」
此処を出ることは決定している。先に靴を履いていた方が、効率がいいだろう。僕は自身の靴に手を伸ばした。すると僕の手を横から出てきた、黒い小さな手が掴んだ。
『ねえ、あそぼう』
靴から視線を上げ、隣を見ると全身真っ黒な子が立っていた。五歳ぐらいの子だろか、顔まで真っ黒の仮装をしている。唯一口だけは覆われておらず、喋ると赤い舌が見えた。
『あそぼう』
『あそぼうよ』
『あそぼう!』
『あそぼうよ!』
縁側の下、廊下、天井から黒い子ども達が湧き出て来る。そして僕へと近寄り、一同に手を伸ばす。鈴が鳴るような軽やかで、可愛らしい声が木霊した。
「ごめんね。僕はこの後、約束があるから遊べないよ」
この後の予定を告げると、僕に伸ばされていた黒い手が一斉に止まった。
『やくそく?』
「そう、約束。大事な約束をしているから、君たちとは遊べない」
僕の手を掴んでいる子が首を傾げた。そう僕はこの後、辰村先輩の奢りで高級寿司を食べるという大切な約束があるのだ。
『そっか……やくそくは、だいじ……』
「そうだ。僕は遊べないけど、此処の旅館にお孫さん達が三人居るから彼らと遊んだら?」
何か考え込むように黒い子は呟く。その様子が寂しそうに思えた僕は、ある提案をした。同じ年ごろの子同士で遊んだ方が楽しいに決まっている。
『ありがとう。そうする。そのコたち
「うん、楽しんでね」
黒い子は真っ白な歯を見せて笑うと、瞬きした瞬間に全員消えてしまった。
「天清くん」
「あ! 先輩! ほら、言われた通りに靴を確保しておきましたよ」
背後から名前を呼ばれ振り向くと、廊下に辰村先輩が立っていた。無事に合流出来たことに安堵し、先輩に報告をする。
「君は頼りないのか、豪胆なのか分かりませんね」
「え? 褒めています? 昇進出来ますか?」
何故か困ったように笑う先輩に首を傾げた。
「いいから、早く靴を履いてください」
「はい」
先輩に急かされ靴を履いた。
〇
「そういえば、番頭さんが妨害工作していたらしいですけど……何のことでしょう?」
「我々があの旅館を訪れた際に、彼は何を持っていましたか?」
帰りのバス停へと続く、下り坂を歩く。疑問に思っていたことについて、隣を歩く先輩に訊ねる。すると先輩は淀みなくヒントを出した。
「……えっと……その……あ! 灰皿です」
「正解です。では今回、保険契約の存在証明で躓きました。何故でしょうか?」
数時間前の出来事を思い出す。正面玄関に居た番頭さんは、確か灰皿を片付けていた。僕が思い出したことを口にすると、次のヒントが出される。
「えっと……彼らが視えないのは、元々だろうから違って……。あ! 契約書ですか!?」
「ふふっ、正解です。それら二つの事を組み合わせて見えてくるものは?」
視えない感じない人達には、中々僕らの保険は理解してもらえない。視覚化することにより、信憑性を高めるのが契約書の役割だ。今回も契約書があれば、直ぐに信じてもらえた筈である。大切な保険契約なのだ。厳重に管理保管して欲しい。
「え? 灰皿と契約書? ま……まさか……。灰皿のって……」
「そのまさかですよ」
結び付きそうにない二つの言葉について考える。灰皿に、無くなった契約書。すると嫌な予想が頭を過った。辰村先輩が頷いたことにより、予想が確証に変わる。
「うわぁ……大胆だなぁ……下手したら自分も巻き込まれていたのに……」
「覚悟の上だったのでしょう」
契約の内容にもよるが、契約書が破損した場合でも契約は継続される。契約書の破損では契約を破棄することは出来ない。簡単に契約解除を出来たらいけないのだ。契約解除すれば、保険が消える。つまり周囲に危害が加わり、被害が出るからだ。
「そうですね……」
先輩の言葉に、最後に見た番頭さんの顔を思い出した。道にひっくり返った蝉を避けて歩く。
「仮に契約書が存在したとしても、彼らは信じなかったでしょう」
「そうですか? 必死に縋りそうな気がしますが?」
断言するように辰村先輩は、契約書の有無が契約破棄を左右した訳ではないと告げる。いくら守銭奴で倹約家であろうと、命は惜しい筈だ。僕は首を傾げた。
「御神木を切り倒し、駐車場にしてしまう輩など信仰心など微塵もありません」
「えっ……あの時、こうなるって分かっていたのですか?」
温度を感じさせず淡々と言葉を紡ぐ先輩に、旅館に入る前のことを思い出した。駐車場を見た後に、先輩は意味深な発言をしていたのだ。
「いえ、正確には契約をした際ですね。このような輩を守る保険契約など、本来は嫌だったのです。しかし当時の担当者が熱い男でして、彼らの必死に訴える演技に騙され契約を結んでしまったのですよ」
「ほぇぇ……それは、それは……」
少し疲れた声で当時のことを語る先輩はとても珍しい。何時も余裕がある先輩に疲れを感じさせることが出来るとは、当時の担当者先輩は凄い人なのだろう。
「まあ妥協点として、契約期間を百年間にさせました。こうなることは、あの時から決定していのです。ただ、先延ばしにしただけです。癪ですが、保険に加入している間は安全ですからね」
「成程……。うわぁ……真っ黒だぁ……」
先輩が人差し指で、後方の山の上を指差した。快晴だった空には、山頂を中心に黒い曇が広がり始めている。
「ほら、天清くん。急いで下さい。あと五分でバスが出てしまいます。お寿司を食べることが出来なくなってしまいますよ?」
「はっ! 高級お寿司! 急ぎましょう! 先輩!」
何時ものような余裕がある笑みを浮かべる先輩に急かされ、僕はバス停に向けて走る。地面に影が出来ていない、辰村先輩を追い越す。
革靴で砂利道を踏みしめると、足元の砂利が楽しそうな声を立てた。
数時間後、その山村は地図から姿を消した。
奇怪保険 星雷はやと @hosirai-hayato
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