第2話 破
「大旦那様、お客様をお連れ致しました」
「入れ」
番頭さんに案内され、豪華絢爛な部屋へと足を踏み入れる。外から番頭さんが襖を閉じると、目の前の人物たちに目を向けた。
「それで? 保険屋だったか? 電話で断った筈だが、何の用だ」
「はい。重要な契約についてですので、直接伺わせていただきました。現在契約中の保険が本日中に切れます。速やかな契約の更新をお勧めします」
ソファーには二人の人物が座っていた。一人は体格が良く白い髭を蓄えた男性が、煙管を片手に僕たちを睨んだ。彼は旅館の主である大旦那である。貫禄のある態度に、涼しい顔で応対するのは辰村先輩が。流石は先輩である。
「要らない。お前たちをここに通したのは、変な噂を流されたくないからだ。さっさと帰れ」
「まあまあ、貴方。お話だけでも聞いてあげたら? 汗水たらして動き回らないと、生きる糧を得ることが出来ない可哀想な人達ですもの」
取り付く島もない大旦那の態度に、助け舟を出してくれたのは妻である女将だ。綺麗な着物を着こなし美女ではあるが、その瞳には軽蔑の色が浮かんでいる。言葉に棘があることには目を瞑り、見学の僕はそっと先輩の後ろに隠れた。
「本契約は初代様が契約されたもので、内容は百年間の保険です。四代目様が契約更新された場合は、百年間に渡り一族の方々全員が保険の対象になります。金額は現在の親族関係が、大旦那様に女将。若旦那様に若女将とお子様三人。計七名様で、三千五百万円になります」
「……っ!? なんです! その金額は!? 一人、五百万円なんて高すぎるわ!」
先輩が淡々と保険の内容を説明すると、女将がヒステリックな声を上げた。先程までの余裕がある女将の顔が見事に崩れ落ちている。繫盛しているからと言って、財布の紐が緩いとは限らないようだ。
「しかし、保険の内容からしてこの金額が妥当です」
「そんな契約知らないわよ! ねえ? 貴方?!」
「そうだ。親父や祖父からも、そんな話は聞いたことがない。第一、契約書もこちらにはない! 本当に契約をしているかも怪しいものだ! 保険は他で加入している、これ以上は不要だ。怪しい契約は解除して帰れ!」
この保険に関して金額の出し惜しみは、命を左右するのと同義である。幾らお金を積んでも、保険に入りたいという人達が存在するぐらい大切な保険なのだ。しかし彼らは保険契約をした本当の理由を知らないようである。
つまりこの保険の真の大切さを理解していないのだ。知っていれば今頃家中からお金を集め、金策に駆け回っている頃だろう。
「本当に契約を解除して宜しいのですか? 保険契約の更新をお勧めしますが?」
「くどいぞ! 不要だと言っているだろう! うちが繫盛しているから、掛け金を目当てに集まっているのだろう!? びた一文お前たちになどやるものか!」
「分かりました。天清くん、書類を……」
「は……はい」
凛とした先輩の声が僕を呼んだ。言われるがまま、抱えていた封筒を先輩へと差し出した。先輩はご丁寧に契約解除について四回確認をした。本来であれば三回だが、電話をカウントしなければ丁度三回である。
「おじいちゃん!」
「おばあちゃま!」
「おじぃちゃま!」
緊張感が溢れる空間に、突然子どもの高い声が響いた。
「おお! お前たち! 待たせてすまないな」
「直ぐに終わるからね」
大旦那と女将に駆け寄る子ども達、如何やら孫達のようだ。先程までの険悪な雰囲気など一切感じさせない笑みを湛え、孫たちに接する大旦那と女将の豹変ぶりに溜息が出そうになる。
「天清くん。後の手続きは私が行いますので、君は私たちの靴の確保をお願いします」
「……え……あ、はい。分かりました」
先輩から小声で指示を受け、僕は静かに頷いた。別行動は大変珍しいことだ。つまりこれは時間がないということである。
〇
「えっと……確か、玄関はこっちだったような?」
先輩の指示を受け、僕は正面玄関を目指して廊下を歩く。行きは番頭さんの案内があったが、現在は僕一人である。方向音痴ではないが、同じような造りの建物のため不安が募る。
「天清様、こちらです。靴の所までご案内致します」
「あ! え、ありがとうございます!」
迷路のような廊下に悩んでいると、曲がり角から番頭さんが現れた。渡りに船とはこと事だと、僕は彼の後に続いた。
「これは……罪滅ぼしなのです」
「え? 罪ですか?」
唐突に番頭さんが話を始めた。彼の後ろを歩いている僕には、彼の表情を知ることは出来ない。だが悪いことをしたという割には声が明るい。
「ええ、本当は貴方たちを大旦那様に会わせたくありませんでした。ですから少々妨害をさせて頂きました」
「それは……保険についてですか?」
「そうです。彼らが事実を知れば、契約を更新するからです。それだと私には都合が悪いのです」
「う~ん、それはどうでしょう? お財布の紐は物凄く堅そうでしたよ?」
初対面の時の彼の態度から、歓迎されていないことは分かっていた。だが仕事の邪魔を画策していたのは驚きだ。この場に辰村先輩が居なくて良かった。
番頭さんの妨害の内容は分からないが、面会をすることは出来た。結果的に、契約解除を選択したのは大旦那たちである。彼らは非常に倹約家だ。きっと真実を知ったところで、お金を出すとも思えない。
「はは……そうでしょう。そうですとも……その強欲さから、我が一族から全てを奪い。真実を捻じ曲げたのですからね……」
「番頭さん?」
何かを耐えるように、押し殺したような声で彼は言葉を紡ぐ。握った拳が震えていることに気が付いた。
「本来であれば、邪魔な保険屋も排除するつもりでした。ですが……絵本を褒めて頂き、お帰りいただくことにしました。さあ、この先にある縁側に靴は置いてあります。ご存知だとは思いますが、直ぐにこの場を離れて下さい」
「貴方は?」
番頭さんが足を止めて振り向くと、穏やかな笑みを浮かべた。憑き物が取れたような明るい表情である。いや違うこの表情は……。
「私は約束があります。大切な約束が……」
「そうですか……ありがとうございました。……さようなら」
二度と番頭さんには会うことはないだろう。
僕は彼の横を通り過ぎた。
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