奇怪保険
星雷はやと
第1話 序
【昔々、山の恵みを独占する悪い一族と山の主が居ました】
【我が一族は、その悪い一族と山の主を成敗しました】
【人々に山の恵みを分け与えました】
【この地が豊かに栄えたのは、我が一族のおかげなのです】
〇
「はぁぁ……長かったぁぁ……」
年代物の大型バスに揺られること数時間、観光地として有名な山村に降り立つ。心地良い風と、蝉の大合唱が出迎えた。僕は固まった体を伸ばす。
「
「ひぇぇ……何でこう辺鄙な所ばかりなのですか?」
僕の横に立つ
「土地柄としか言えませんね」
「海鮮料理が美味しい高級旅館とか、高級焼肉店とかで仕事だったらいいのに……」
先輩の言葉に思わず愚痴が出た。僕の名前は
「ふふ、飲食店ばかりですね」
「うぅ……やる気が出る方がいいじゃないですか」
汗一つ掻いていない先輩は、僕の話を聞き微笑んだ。余裕がある先輩に、僕は口を尖らせた。
周囲を見渡せば青々と茂る木々の下を、大勢の老若男女が行き交っている。山奥であるが観光地として十分な賑わいを見せているようだ。仕事でなければ、楽しそうな場所である。
「そうですね。では夕食はお寿司にしますか?」
「お寿司! 先輩の奢りですよね!? やったぁ! 早く終わらせましょう!」
提案を受け僕は飛び上がり喜んだ。書類の入った封筒を抱えなおすと、先輩に仕事先へと促す。僕の頭の中は夕食の高級寿司の事でいっぱいである。
革靴で砂利道を踏みしめると、足元の砂利が窮屈そうな声を立てた。
〇
「ここですね」
「おぉ……繫盛していますね。これは期待出来そうですよ!」
先輩と共に風情のある和風旅館を見上げた。遠くに見える駐車場は満車であり、正面玄関は忙しなく人々が出入りしている。
店の様子を確認すると、僕は声を弾ませた。この様子ならば、保険の契約更新も滞りなく済むだろう。
「そうだと良いですね」
「えっ!? 先輩? 何か不穏なフラグを立てないでくださいよ?」
駐車場を一瞥した辰村先輩は、意味深な言葉を発した。頼りになる先輩だが、その発言が冗談なのか本気なのか分からない時がある。彼は慌てる僕に微笑むと足を進めた。
「失礼致します。先日ご連絡を差し上げた、奇怪保険の辰村と小柴です。責任者の方にお話があるのですが、お取次ぎをお願い致します」
「いらっしゃいませ……え? き、かい? ……大旦那様に確認して参りますので、そちらでお待ちください」
正面玄関に入り番頭であろう、羽織を着た年配の男性に先輩が声をかける。彼は灰皿を片手に、怪訝そうな顔で僕達の全身を見回した。
真夏に黒いスーツ姿の男二人組は、この観光地において異様である。自覚はあるが仕事で訪れている為、仕方がないことだ。おまけに先輩は黒いアタッシュケースを持っている。怪しく思わない方がおかしいぐらいだ。
番頭さんは訝しげに頷き広間を指さすと、廊下を歩いて行った。
「うわぁ……誇張表現甚だしい……」
「此処を開墾した人々はもう居ませんから、好きに書けるのでしょう」
先輩に続いて広間に上がると、沢山の貼り紙が出迎えた。
それらにはこの旅館が観光の発信源になり、如何に周辺地域に利益をもたらしているかを長々と書かれている。その文章に謙虚な姿勢は一切なく、自意識過剰な情報が並び嫌悪感を覚えた。人を不快にさせる文章としてはある意味、最優秀賞である。
「それって……改竄なのでは?」
「『死人に口なし』とも言いますからね」
僕の疑問に先輩は唇に人差し指を当てると、含みのある笑みを浮かべた。
「うわぁ……真っ黒だぁ……あれ? 絵本?」
人の闇を見たと僕は嘆くと、スリッパの爪先が何かにぶつかった。下を向くと、一冊の白い本が落ちていた。タイトルは無く、淡い色で山が描かれているシンプルな表紙だ。
周囲を見渡すが広間には本棚は無く、誰かの落とし物の可能性がある。僕は本を拾い、持ち主の名前が記されていないか確認をする為に本を開いた。
【昔々、山を守る一族が居ました】
【その一族は山の主様と、仲良く暮らしていました】
【しかしある日、悪い人々が訪れ山を奪いました】
【山を守っていた一族は山を追い出されましたが、主様と一つ約束をしました】
表紙と同じく淡い色と、優しいタッチで描かれた昔話の絵本だった。使用されている画材や文字が手書きであることから、この絵本は手作りであることが分かる。
「うん? 何処かで似た話を読んだことがあるような?」
絵本の話に既視感を覚えたが、直ぐに思い出すことが出来ず。首を傾げた。
「『昔々、山の恵みを独占する悪い一族と山の主が居ました。我が一族は、その悪い一族と山の主を成敗しました。人々に山の恵みを分け与えました。この地が豊かに栄えたのは、我が一族のおかげなのです』ですよ? 天清くん」
「へ? 先輩?」
不意に先輩が長文を読み上げたので、僕は驚きつつ振り向いた。
「資料にあった文章ですよ。ほら、そこの悪趣味な紙にも書かれていますよ」
「あ……本当だ。あれ? もしかして今の減点対象ですか?」
平然と毒を吐く先輩が指差す先には、先程先輩が読み上げた文章が貼り紙に書かれていた。文章を発見出来たことは良いが、次に焦りが生じる。現在は仕事中であり研修中だ。僕の行動は先輩の監視下にあり、適切な評価を下すのも彼である。
つまり仕事に関する知識を瞬時に思い出すことが出来なかった、という報告がされることになるのだ。
「ふふ、さあ? どうでしょう?」
「うわぁ……研修生がやめられないよぉ……」
悪戯っ子のように笑う先輩に、僕の昇進が遠ざかったことを悟る。このままでは一生、研修生かもしれないと肩を落とした。
「お客様、お待たせ致しました。こちらに……あ、それは……」
「え? 嗚呼、これ此処に落ちていて……もしかして番頭さんの?」
今後の心配をしていると、広間に番頭さんが入って来る。そして僕の手元を見ると瞠目した。その様子から絵本の持ち主が、番頭さんの可能性に至り確認をする。
「……っ、あ、はい。そうです……」
「持ち主が見つかって良かった! 手作りの絵本なんて素敵ですね」
控え目に肯定する番頭さんに、絵本を手渡す。大事そうに絵本を抱える番頭さんに、笑いかけた。きっと大切な想い出が詰まった絵本なのだろう。無事に持ち主の元に絵本を返すことが出来て良かった。
「あ……ありがとうございます。大旦那様がお待ちですので、こちらにどうぞ……」
「はい。行きますよ、天清くん」
「はい!」
ぎこちない会釈をする番頭さんに、促されて広間を出る。
「お祝い……?」
広間を出た角に、この旅館の百周年のカウントダウンが書かれている。数字は『一』だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます