君に向けるディープスロー

野村絽麻子

スタート

 まず最初に目に入ったのは綺麗な放物線だった。次いで、ゴールリングに吸い込まれていく茶色のボール。一瞬の空白のあと、わぁっと歓声があがったので目線はそちらへと移動する。昼休み。制服のままバスケットボールに興じていた一団の中、一際目立つ明るい髪色の、背の高い。

「ねぇ、あれ誰?」

 気が付いたらインカムに向かってそう呟いていて、同じ放送部の植村先輩の困惑した声が「……あれって、池上のこと?」と返した。

 それが恋の始まりだとは認識出来ていないまま、「池上」という名前を胸の中にインプットした。


 生徒総会を翌週に控えた昼休みだった。放送部所属の私は総会の時に使用する音響のチェックを行う為、体育館袖の二階の音響ブースに立っていた。

 マイクを持った植村先輩が壇上で例の「テステス、マイクチェックマイクチェック、ワン……ツー、ワン……ツー」を唱えながら反響を聴いて歩きまわり、イヤモニ越しに何点かの確認を済ませる。それで、もうだいたい良いだろうという段になって私の目を奪って行ったのが、池上先輩の投げたバスケットボールだった。

 植村先輩によれば「池上」は植村先輩のクラスメートで、更には幼馴染であるらしく、話しているうちに普段の癖なのか「いつき」と名前で呼んだので、私の胸の中に記された「池上」は「池上樹」というフルネームへとアップデートされてしまった。

 よく知らない相手の情報が自分の中に蓄積されていくのは不思議な感覚だけど、嫌な感じはしなかった。

 その大柄さと人懐こい性格から度々、大型犬に形容される植村先輩は、犬のように真っ直ぐな瞳をキラキラさせながら友達について語る。

「樹はバスケ上手いけどバスケ部って言うか、部活には入ってなくてさ」

「……なるほど」

「助っ人に呼ばれたりとかしてさ、そんでアイツって異様にモテてさ」

 何かに動揺するとすぐに語尾がおかしくなる植村先輩の癖のある口調から情報を聞き取りながら、まぁそうだろうなぁと首を縦にふる。

 すらっとした長身で、髪はさらさらのストレート。何度か染めているらしい金髪はほとんど銀髪に近く、それがまたお洒落でとても良く似合っている。顔の造作は整っているし、そのうえバスケットが上手ときたら、モテそうの他に感想が湧かないくらいにモテそうだ。

「あんまりにも告白されるもんだから、ディープスリーが決まったら付き合えるとかって都市伝説みたいになっちゃってさ」

「……ディープスリー?」

「あ、さっき樹が撃ってた」

 あぁ、あの。コートの端から端までと言っても差し支えない飛距離を思い出す。そんなの無理に決まってる。


 そんなの無理に決まってるのは理解しているはずなのに。それなのに。どうして私は放課後の、閉める直前の体育館でバスケットボールなんか手にしているのだろうか。

 タン、タタン、とボールを突く手つきはおぼつかない。知ってる、これ。そのうち爪先に当てて明後日の方向に弾いちゃうやつ。それでも頭の中から植村先輩の言葉が消えないんだから、私だって困ってるんだ。

「……えいっ!」

 力任せに投げただけのボールはゴールリングよりも遥か手前で失速し、ポコンと音を立てたあとは勢いのまま転がって行く。本当に、何をしているんだろうか。

 しかし投げたものは拾わねばなるまい。仕方なくボールを追いかけて、たらたらと小走りする視界の中に誰かの上履きが入り込んできたのはその時だ。誰かは、腰を屈めて手を伸ばすと、広げた片手でボールをぐわっと掴んだ。なんて大きな手だろう。

「教えようか、シュート。樹ほど上手くはないけど」

 降ってきた声は知っている人のもので、タン、タン、と規則正しく突くボールの音を発生させているのは植村先輩その人だった。


 それから私は植村先輩にシュートを教わることになる。

「膝の力でボールを押し出すように」

「膝の……えいっ!」

「……うん、さっきより良くなってる!」

 植村先輩が褒めて伸ばす方針なのは、放送部で既にお世話になっているから知っている。明らかに下手くそなシュートを褒めてくれるのは想像が出来てたことだけど、急に始まったシュート練習が何を目的としているのかを、植村先輩は一言も聞いて来ない。

 いっそ冷やかしてくれた方がまだ怒って退場し易かったのに。なんて、明らかな八つ当たりまでが頭をもたげる。

 変な方向に飛んでいってしまったボールを大型犬さながらの後ろ姿が追っていく。それでも私の胸の中には、昼間見た鮮やかな放物線がこびり付いて離れないのだから、とても困る。困っている。

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