5話 錯綜と策謀を、澱に友釣りへ1
――
晶たちが襲撃を受けた翌日の早朝、
水兵服に似た袖が
困り果てる少女が肩を狭める姿に、肩を並べる
「人気じゃないですか、咲さん」
「私ではなく、洋装が珍しいのかと。
「いえ? 今回が初めてですが」
「……の割には、随分と着熟れておられるご様子ですが」
咲が横目に眇める
服を併せる所作にずれは無く、少女が着慣れていると見れば判る。
「――父が良く
「
咲の疑問を明言するよりも、
大鍋から昇る蒸気の向こうでは、茶色に煮立つ卵が大量に。
取るも取り敢えず合流をした2人、
『
『
『
『
老いた店主の手が、紙幣を摘まみだす
憮然とした老人の表情に、少女の掌が懐へと戻る。
『
『
流暢に言葉を交わす
代わりに銅貨を差し出すと、表情を和らげた店主が茶葉卵の入った椀を
「どうぞ。
「――ありがとうございます」
短く礼を一つ。竹を削っただけの棒を箸代わりに、咲たちは卵を頬張った。
煎茶に近い芳香と同時、口一杯に広がる甘辛い卵の滋味。
――その、どこか懐かしい風味が、熱と共に
「初めての味ですけど、何処かで食べたような、 、?」
「卵は鶏じゃないですね。香りは、……甘茶でしょうか。子供の時分で口にできる、少ない甘味の一つですから」
「甘茶。云われてみれば確かに」
慣れるには時間が掛かるだろうが癖になる味を堪能し、咲は潮風の戦ぐ方向を見遣った。
みゃあ。遠く、縄張りの主張だろうか、海猫が近くの屋根で喉袋を膨らませる。
「父、いえ、
「その国の言葉では? そちらにも、随分と精通しておられるようですが」
「家業ゆえ、叩き込まれました。
交渉に
ふぅ。と互いに細く、湯気を口腔から逃しながら、
晶たちが巻き込まれた昨夜の状況は、壊れた状況も含めて確認は終えている。
痕跡は確かに。だが、修繕が既に始まっている辺り、幽嶄魔教の統率は間違いないと見て良いだろう。
「……この卵もそうです。先程の店主が、五香紛を隠し味に入れていると」
五香紛とは、
八角、花椒、桂皮、丁香、茴香。その総てが
「戴天玲瑛も証言した通り、魔教、つまり
――現在、五香紛は貴重な香辛料のはず」
「いま、私たちが食べている茶葉卵にも使われていますよね」
「はい」それが意味する事実は1つ。
「需要に対して、供給が戻りつつある。推測ですが、六教の何れかと同盟を恢復させたのでしょう。――そして反対に、」
「魔教と
懐から取り出すのは、先刻に支払おうとした紙幣。
「流石ですね。……これが、数ヶ月前まで流通していた
「代わりに
あちらは、」
「
ひらり。精緻な柄の紙幣を視線だけで追う咲に、
紙幣とは貨幣と同等に見られがちだが、本質は
海外での活動を主とする
その継嗣として永く教育を受けてきた
「
「はい。
つまりこれは、信用を指標にした勢力図でもあるんです」
経済破綻をさせる訳に行かない以上、末端にいくほど現状が素直に浮き上がるのだ。
「……話題を変えましょうか。
「ええ。精霊力を増加させる修練法だとか。そんな便利な技術があるなんて」
「名前だけは知っています。……廃れた理由も。
――咲さんは、他国の
「
「思い出してみてください。相手が行使していたのは、
その通り、
外功に近いものは、神器かベネデッタの法術のみ。純粋な外功に属するそれを見た事は無かった。
「八家でも知っているのは
「戴天玲瑛が無手で外功を行使していたと、晶から訊いています」
「そこが重要、
咲さんは、生身で
何故ならば、精霊力を外功に転化する衝撃に、己の器である魄が耐えられないからだ。
五気調和の恩恵は、己の器の強化。
「……そういう事、ですか。器を強化して、
「発想自体は単純なものです。
「
「反対に
――一時的に器を強化しても、精霊が昇華する訳ではありませんから」
要は。合理と不合理の取捨選択だ。
精霊である魂と、己の器である魄。
「生身で
「無意味とは云いませんが、どれだけ修練しても所詮は人の器。霊鋼の強度には届きません。
それに、
隣に咲も座り、油断なく周囲を見渡す。
「
「その1つに過ぎませんが、割合を大きく占めているのはそうですね。
「
「その通りです。――見下していた相手が、己の棄てた手段で至上の目的に手を掛けた。
……彼らからすれば、私たちは認める事も難しい裏切り者と云う訳です」
人工的な、
その傍らで、
「晶さん
「晶の見立てが確かなら、ほぼ全員が
「……父が係留港を確認しましたが、確かに
少ない西巴の人間は恐らく、別の国か事情を知らない末端ですね」
何かが起きている。それも、
しかも、事情を知っていそうなものは、総て何処かに逃げた後だ。
「――そろそろ、晶くんが幽嶄魔教と会談する頃です」
「上手く事が運ぶと願いましょう。私も釣り餌のまま、待ちの姿勢では堪りませんので」
「だからと云って、会談を纏められる自信も有りませんが」
2人、意見が合った事を微笑み合う。
賑やかな朝市を余所に、緊迫した空気が少女たちの座る一画を支配した。
♢
咲と別れた晶は、玲瑛たちと連れ立って
土地勘に加えて、行き先を知っているからだろう。当然とばかりに李鋒俊が先導に立った。
街に一歩入り込んで暫く。港湾地区に建つ高層建築と違い、
「この辺りに、
「
港湾の復興には
何処に魔教の耳があるか判りませんし、そろそろ
――『
お上りさん丸出しで周囲を見
李鋒俊に露見した時点で、玲瑛からそう要求されるのは覚悟している。
『……これで良いか? 理解できるのは日常会話だけだ。
複雑なのは期待するなよ』
『充分だろうが。
どうせ貴様なら、聞いている内に修得する』
肩を竦めた晶からの拙い口調。訥々と会話をする分には問題ない響きに、憮然と鋒俊が応えた。
『これは興味本位ですが、何時学ばれたのですか?
『単語の響きは
文法も
『……普通は異常です。が、今回に限っては有り難い。通訳は最低限で構いませんね』
『云っとくが、想定の無い用法が出されたらお手上げだぞ。
何だよ
その例を口から零した晶へと、先導に立つ鋒俊が振り向いた。
『安心しろ。必要なものは俺が通訳してやる。それよりもここから先、お前が
『その
周囲には何故か、人の気配はない。
袋小路だろう先へ迷わず向かう鋒俊は、やがて前に
扉一枚から溢れる人の気配に、構うことなく鋒俊が奥へと歩く。
食堂なのだろう。広く卓と客が並ぶ狭間を抜け、厨房へ。
晶たちには気付いているだろうに、幾人かの視線が過ぎるだけで咎めるものはない。
やがて、更に奥へ。格子の窓を隔てた大通りからの喧騒を余所に、鋒俊の先導で晶たちは奥へと歩いた。
『幽嶄魔教宗家の
『残り五教との断交を決めたのも、洞主大人の決定と聞いています。幹部である李
『――そちらも望みは薄いでしょう。どうやら、霊道に潜ったようですし』
『霊道?』
玲瑛の希望的な予想に、陰鬱と晶が呟く。
格子窓の向こうは大通りだが、その実は、手を伸ばしても届かない距離で隔てられている。
現実と紙一重で切り離され、晶たちは神域へと潜っていた。
神域の傍で会談をすると云う意味は、互いに胸襟を開けという暗喩だ。
――否。それ以上に、気に掛かることが一つ。
『幽嶄魔教が護るのは風穴だと聞いているけど』
『ええ、
『龍脈の吹き溜まりに過ぎない風穴は、本来ならここまでの規模にならないんだ。
幽嶄魔教が奉じているのは、確か土地神だったよな』
『信顕天教と変わりないはずですが……』
『――真逆、天教の金魚の糞如きが、宗家よりも早く気付くとはな』
昨夜も聞いた、李
『その通り。
途端、莫大な神威が圧し掛かり、晶たちの足を阻む。
奥の暗がりから、
『
♢
新年あけましておめでとうございます。
本年も、拙作を宜しくお願いします。
泡沫に神は微睡む 安田のら @nora9857
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