グリム奇譚「オオカミを割腹すると宇宙だった」

真朱マロ

第1話 オオカミを割腹すると宇宙だった

 オオカミを割腹すると宇宙だった。

 丸々と大きく膨らんだ腹を裂いた切れ目のその奥に、どこまでも果てのない暗闇の深淵を彩りながら、赤や青に煌めく星に似た輝きが幾つも煌めいていたのだ。

 

「これはいったい、どういうことだ?」


 茫然とした顔でつぶやいたのは、ナイフを手にした狩人である。

 人食いオオカミが近隣の村や森に出ると聞いて、警戒がてら様子を見て回っていた気の良い青年だった。


 森の中にある老婆の家を訪れたら案の定。

 人を丸飲みしたと一目でわかる丸々とした腹のオオカミがベッドから飛び出して、今まさに赤い頭巾をかぶった少女に襲いかかろうとしていたのだ。


 開けっ放しの扉が幸いだった。

 疾風の速度で跳んだオオカミに、とっさに狩人は肩の鉄砲をかまえると、パン、と眉間を撃ち抜いた。


 年若く経験は浅くとも、一発で仕留めるほど、狩人の腕は良かった。

 狼は鋭い爪と腕を伸ばした姿勢のまま、ドサリと音を立てて身体は床に落ちてピクリとも動かなくなったので、ナイフを取り出した狩人はオオカミの腹を裂いたのだ。 

 大きく膨らんだ丸々とした腹の中には、老婆が入っているはずだった。

 丸飲みならば間に合うに違いないと思っていたのに、そこにあるのは真っ暗な深い闇と点滅する星に似た無数の煌めきだけだ。


 なぜ、宇宙に似た深淵が広がっているのか。

 思わずもっと良く覗き見ようと、オオカミの腹に裂け目に顔を突っ込んだ狩人の耳に、赤ずきんの悲鳴に似た叫びが届いた。


「逃げて、狩人さん!」


 は? と思う間もなく、いきなり腰のベルトをつかんだ強い力につんのめり、思わず毛むくじゃらのオオカミの腹にしがみついたが、狩人はそのまま割れ目の底へと押し込まれてしまった。

 悲鳴のひとつも残さず、オオカミの腹の中へと落ちていく。

 カランと音を立てて床に転がったナイフを残し、狩人はあっという間に暗闇の中に飲まれて消えてしまった。


 驚きに大きく目を見開いてフルフルと震える赤ずきんの前で、クツクツという低く笑いながら立ち上がったのはオオカミだった。

 裂けた腹もそのままに、床に座り込んでいる赤ずきんにツカツカと歩み寄ると、少女の怯えを楽しむようにその顔を覗き込む。


「さぁ、お嬢ちゃんをどうしてやろうか?」


 青い色を通り越し、紙のように白い顔の赤ずきんの細いあごをちょいと持ち上げて、オオカミはニヤリと笑う。

 肌に触れる鋭い爪の硬さに、本能的な恐怖を感じて赤ずきんはブルリと震えた。


「お……お祖母ちゃんと、狩人さんは?」


「さぁ?」とオオカミは首をかしげる。

 赤ずきんに触れているのとは反対の手で、自分の腹の裂け目をサラリとなでると、本当に何も知らない顔でしばらく何かを考えていたが、赤い舌をみせてニンマリと笑った。


「俺が知っているのは、この口で喰っちまったら星みたいにキラキラ光って腹の中に納まるが、腹の裂け目から喰っちまったら俺になるって事ぐらいだなぁ。人間ってやつはオオカミの腹を裂くのが好きだから、ちょうど良いだろう?」


 それは一体どういうこと? と尋ねる前に、獣そのままだったオオカミの顔がゆらりと霞のように揺れた。パチパチとまばたき二つほどの間に、知っている人間……オオカミの腹に落ちた狩人の姿に移り変わる。

 顔だけでなく体格まで狩人と瓜二つのその男が、腹の中によどむ暗い闇よりも暗い微笑みを浮かべるので、赤ずきんは思わず後ろに下がった。

 目も口も鼻もすべてが狩人にそっくりなのに、その表情はとても恐ろしかったのだ。


「なぁ、お嬢ちゃん。今日の俺は機嫌がいい。上から喰われたいか、この腹を縫い閉じ一緒に来るか、選ばせてやろう。恋人か伴侶ってもんが居れば、人間の街に入るにも都合がいいからなぁ」


 オオカミの言葉に、赤ずきんは目を閉じて天を仰いだ。

 どちらを選んでも、ロクな未来が思い浮かばなかったのだ。

 それでも、迷う時間はなかった。

 息が触れるほど近づく声に、赤ずきんは目を開ける。


「さぁ、どうする?」


 助けてくれた狩人の顔で、オオカミは低く笑った。

 生ぬるい吐息が頬に触れ、赤ずきんは震える手で家から持ち運んできたカゴに手を伸ばす。

 中にはワインやパンといった軽食と一緒に、針や糸といった裁縫道具も入っている。


「あなたのお腹を縫って閉じます」


 声は震えたけれど、覚悟を決めた。

 いつか、この選択を後悔するかもしれない。

 それでも、赤ずきんは生きたかった。

 生きてさえいれば、いずれ、自由になれるかもしれないから。


 そんな赤ずきんの思考など見通している顔で、オオカミはクツクツ笑う。

 オオカミは人間ではない。

 腹が満ち、獲物を狩り、怯えるさままで弄び、飽きれば喰らうだけの獣だ。

 結末だけでなく課程まで愉快ならそれでいいと思っている。


「楽しませてくれよ、お嬢ちゃん」

「私は、私に出来る事をやって、生きるだけです」


 力強いその言葉に、はじけるようにオオカミは笑った。

 赤ずきんを生かしておけば、ずいぶんとオオカミを楽しませてくれる存在になる確信が持てたのだ。

 今日はいい日だと嗤うオオカミに、悔しさをにじませながら赤ずきんは差し伸べられた手を取った。


 深い深い森の奥。

 赤ずきんは震える足に力を込めて、狩人の顔をしたオオカミと共に歩き始めるのだった。



『 おわり 』


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グリム奇譚「オオカミを割腹すると宇宙だった」 真朱マロ @masyu-maro

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