第4話 筆の秘密

「月桂……そうか。それでお前は伽藍がらんから飛び出したのか」

「はい」


 俺はふうとため息をついた。


涛淳たおちゅんさん、すみません。もう自分で立てます」

「お、そうか」


 俺は月桂を支えるのをやめて、どうしたものかと腕を組んだ。


「お前の事情はわかったよ。じゃあ、もう『翠星すいせい』は必要ないだろ? あと五年分の貸し筆代も支払ってもらわないといけないんだ」

「ちなみに……貸し筆代っていくらですか?」

「『翠星』は上級筆でね。一年で豆銀貨二十枚だから……五年だと百枚だな」


「ひゃ、ひゃくまいって、そんな大金無理です! 払えませんっ!」

「即答だな」

「はい。西陵は貧しくて、外貨を稼ぐ手段が少ないのです。だから私も一人前の『色命数士しきめいすうし』になって、その給金を母の元へ仕送りするつもりでいました」


「ふうん……泣かせるなあ。でも月桂、借りたものは返さなくちゃならない、っていうのは、お前も理解しているよな?」

「そ、それはもちろんです」

「お前、『色命数士』の修行を終わらせる気はないのか?」

「うっ……!」


「別に焦ることはないんじゃねえのか? まだお前は十五才の子供だろ? もっと勉強してさ、西陵の大地の事もよく調べてさ。お前が一人前の『色命数士』になった時、いつかここも緑を取り戻せる日が来るかもしれねぇ。伽藍にはお前よりすごい術者だってわんさかいるし」

涛淳たおちゅんさん……あなたは……やさしい方ですね」


 月桂がふっと眉の緊張を緩めて微笑んだ。


「仰る通りかもしれません。確かに、私一人の力だけでは西陵に緑をもたらすことなどできない。でも、一人より二人、いえ、多くの色命数士の力を借りたら……いつか、願いが叶うのかなと思えてきました」


「そうだよ月桂! 人は挫折して、でもそこから立ち上がる度に、以前の自分よりちょっとずつ強くなっていくんだ。俺が人に惹かれるのはそういう部分なんだ。ということで、決まりだな」

「えっ?」


 俺は月桂の手をしっかりと握りしめた。

 もちろん、逃げられないようにだ。


「お前は伽藍に戻って修行を続けろ。それで貸し賃を出世払いで払う! 悪いが『翠星』は一旦、店に返してくれ」

「あ……涛淳たおちゅんさん……」

「何だ?」

「あのっ……ごめんなさいっ!」


 月桂が衣の裾を軽やかに舞わせてその場に土下座した。

 額を地面に擦り付けて、俺の前にあるものを


「え、えええーーっ!?」


 月桂の手には、緑の軸に金で蒔絵の文様が施された『翠星』が握られていた。が、筆の軸にはぱっくりと、大きなが入っていたのだった。



 ◇

 


 人間の月桂がいるので、俺達は歩いて水城みずきに戻った。

 一週間かかったが、俺は片時も月桂から目を離さなかった。もとい、根は真面目な子供なのだろう。もとより逃げることはせず、俺の後ろをついて歩いてきた。

 

「師匠! すみません。月桂こいつが『翠星』を壊しました! どうしましょう」

「どれ。ほほう……確かに私の『翠星』だ。涛淳たおちゅん、まずは筆の回収ご苦労だった」


 あれっ?

 思ったほど師匠、怒っていないな。

 それどころか、筆の軸に亀裂が入ったそれを、惚れ惚れと眺めている。


 俺は絶望感のあまりか、瞳に涙を浮かべている月桂と顔を見合わした。

 師匠はそんな俺達は眼中にないようで、作業用の机の上に絹布を敷き、小刀を取り出すと、バキバキと音を立てながら『翠星』の筆軸を引き裂いていた。


「師匠……? 遂に血迷ったか」

涛淳たおちゅん、これを見ろ!」


 師匠が唇を歪めて、普段は冷酷に見える顔にというのを浮かべている!

 絹布の上には、筆から取り出された宝石のような石が三つ転がっていた。


「良いぞ良いぞ。この萌える緑の命色! なんという輝き! 素晴らしい。この筆を使っていた人物は、さぞや心の美しい色命数士だったのだろう。純粋な想いに満ちた……澄んだ輝きを見よ」


「師匠……どういうことですか?」


 月桂が壊した筆の軸から、きれいな石が出てきた。初めて見る光景だ。


「『命数筆めいすうふで』の中には、術者の生気を取り込んで結晶ができることがある。『命石いのちいし』というのだがな。私はそれを集めるために筆貸しをしている。金なんかどうでもいい。欲しいのは『命石いのちいし』なのだ」


 ぽかんと石を見つめる月桂に、師匠が深く頷いた。


「命石ができる条件は限られている。お前の母は立派な色命数士だった。それがこの証。誇りに思うがいい」 

「ありがとう、ございます」


 最初は怯えた表情だった月桂だが、師匠の言葉を聞いて落ち着きを取り戻したらしい。ぽんぽん、と師匠が月桂の頭を軽く叩いた。


「お前も母と同じ、優秀な色命数士になればいい。筆の貸し賃も支払ってもらわねばならないからな」


 あらら。さっきは命石があれば金なんかどうでもいいって言ってたのに。

 この師匠ときたら……。


「私は――破門、されるかもしれない。修行中に無断で故郷へ帰ってしまったから。そうしたら……筆の貸し賃、払えないです」

「うーん、思ったんだけど」


 俺は月桂と師匠の顔を交互に見つめた。


「師匠。筆作りの手伝いが欲しいんでしょ? 月桂を雇ってみては。俺より数倍手先が器用そうだし。色命数術が使えるから、筆の出来を確認することだってできるじゃないですか」


涛淳たおちゅんさん、何を言い出すんですか。私はそこまでご厚意に甘えるわけには……」


「私は構わんぞ。いつか筆作りをやめて、絵描きになる夢があるのだ。まあ……しばらくは筆屋をするつもりだが」

「だそうだぞ、月桂。よかったなあ!」

「ええっ! それってもう決定ですか!?」

「決定だ。俺も手伝ってやるから安心しな」


 こうして月桂は色命数士になった後、鳳庵ほうあんの店を継いで「翠鳳堂すいおうどう」という筆屋を始めるが、それはまた別の物語。


 ちなみに俺も月桂の店にちゃんといるぞ。

 店の外に坪庭があって、睡蓮鉢を置いてくれたんだ。

 俺は時々魚に戻って休憩して、そこから道行く人間たちを眺めている。


 いらっしゃい。どんな筆をお探しかな。

 ああ、今は「鳳月庵ほうげつあん」じゃなくて「翠鳳堂すいおうどう」っていうんだ。

 鳳庵ほうあん師匠は絵を描きたくて、数年前に突然店から蒸発したんだ。あの自由人。でも今の店主、月桂の筆も素晴らしい出来だぜ。

 筆を試したいのなら貸し筆もやってる。

 お代に関しては心配なく。お客さんが一人前の色命数士になったらで構わない。

 いつでも声をかけてくれよな。



(終)



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筆貸します~水都の冷酷筆匠と神魚の少年 天柳李海 @shipswheel

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