第16話 俺としてはこちらがおすすめです
通路の奥、
いつの間にか床が板間から
部屋の中央に鎮座するのは長椅子と猫脚の卓、西欧から渡ってきた調度品。
そして部屋に不釣り合いなずらりと並ぶドレスの数々。
その量、色鮮やかさにすぐ志季は目を奪われた。
「今旬の流行りから定番のワンピースまで全て揃えてございます」
高木が自信ありげな面持ちで志季を中へと招く。
「裾のお直しもすぐ行いますので、なんなりとお申し付けください。お召し物を選ばれましたら、お靴、お帽子も是非手にとってくださいませ」
「は、い」
流行り物がどれで、定番がどれかもわからないのですが?
助けてくれと壁際の帳を見やると『従者』に徹するのかニコリと微笑まれるだけ。
志季は内心頭を抱え、洋服の群れと向かい合った。
最初に手を伸ばしたのは黒の上着。コート?というらしい。
わあ、ふわふわだ。
綿とも羽毛とも違う柔らかな手触り。羊毛で出来ているのだと高木が教えてくれる。
これはクロが喜びそうな手触りだ。もしこの場にいたなら、いの一番に飛びついて感触を楽しんだに違いない。――ちなみにクロは自動車で運転手と留守番中だ。喋る狐は一般人には刺激が強いのである。
「こちら今旬の流行りですのよ。この膝丈の厚手のコートでしたら……こちらのチェックのツーピースを合わせていただいてもお洒落ですわ」
「つーぴーす?」
「丸襟とボタンが可愛らしいですわ。あとは、共布のベルトがアクセントのこちらのワンピースもいかがでしょう?」
すかさず高木が別のドレスを持ち出してくる。腰の蝶々結びが可愛らしい白のワンピース。
高木が強い。そして横文字がわからない。
「そ、そうなんですね。私はお洒落には疎くて」
「でしたら私が一式お選びいたしましょうか? 志季さまに似合う最上級の洋服をご用意いたします」
商売心と親切心。両方が絶妙に見え隠れする彼女の提案に、こちらはたじたじである。
ふと壁際に目をやると、最初と変わらず微笑みを浮かべた帳と視線が交わる。どこか面白がるような様子でこちらをじっと観察している。
助けてはくれないのだろうか?
縋るような思いで再度帳を見て――志季ははたと思い至る。彼は『従者』だ。こちらの指示がなければ、じっとしているのは当然なわけで。
「……帳、こちらへ」
意を決した志季の呼びかけに、帳は恭しく頭を下げて応える。
人に命じるなど人生初だ。志季は手汗を握り込める。
だけど誰かが助けてくれるのを待っているばかりでは、ずうっと受け身のままだ。
――変わらなければ。
彼が従者なら、自分は『あるじ』になれ。
椿木家で生きていくために。そして誰かの顔色を伺ってばかりだった自分を変えるために。
従順なフリをした我が従者は、じっと言葉の続きを待っていた。
「靴や帽子は高木さんにお願いするので、洋服は帳が数着選んでください。その中から私が決めます」
思ったよりも固い声が出てしまった。
帳の返答やいかに。
志季が息を詰めていると、帳が慇懃に腰を折った。
「もちろんです。喜んで承ります」
この選択は間違いではなかったはず――志季は息を吐き出し肩の力を抜いた。
気を利かせた高木が部屋から退出しふたりきりになると、ようやく澄まし顔一辺倒だった帳が相好を崩した。
「素晴らしい。よく俺に声を掛けられましたね」
高木がいなくなったことで、帳も普段の素に戻ったようだ。見慣れた余裕のある表情に抗議の意を込めてぷいと顔を背けると、鼻で笑われた。
この猫被り――などと心の中で文句を言っておく。
「帳は意地が悪いです。面白がっていたでしょう」
「様子を見ていたとおっしゃってください。どうしようもなくなったら、もちろん俺の方からお声がけさせていただくつもりでしたよ」
そんな胡散臭い笑顔で言われても信憑性に欠けるのですが?
上機嫌な帳と違い、志季は口を尖らせる。
「ものすごく緊張しました」
「そうですか。しかし俺の手助けなしでご自分で判断なされた。いい傾向です」
「……ありがとうございます」
帳の中で今の対応は及第点であったようだ。間違いを冒したわけではないようで、ひとまず志季も安堵した。
並ぶ洋服の方へと顔を向けると、帳も服へと手を伸ばした。
「あるじのお好みは? お好きな色、形、素材。何かありませんか」
「えと……派手なものより落ち着いたものの方が好きです」
「抽象的ですねぇ」
あれこれ物色する帳の横で志季は揺れる黒い衣を観察する。平織で光沢のある羽織。先日見たときは違う織りの物だった。黒で何着か持っているのだろう。
「帳の好きな色は黒ですか?」
「俺ですか? どうでしょうね、考えたこともありません」
そんなに全身真っ黒なのに?
服に意識が向いているのか、帳はこちらを見ることもない。
「でも、黒が好きで着ているんじゃないんですか?」
「日々服の組み合わせを考えるのが面倒なだけです」
「なんてもったいない……」
生まれながらに
「あるじが見繕ってくださるなら、他の服も着ますよ」
「……考えておきます」
己の服も選べない人間が他人の服を選べるはずがない。遠回しに辞退すると、くつくつと笑われた。
「こんなところでしょうか。確認して下さい」
ようやく帳がこちらを向いた。彼の腕には色味の違うドレスが数着引っ掛けられている。
「高木さんの方が目利きとしては確かだと思います。俺は女物の服の知識があるわけでもないですし。本当に俺でよかったんですか?」
「はい。帳なら間違いはないでしょうし」
頷いてみせると、帳は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。まじまじと見つめられ、志季は戸惑う。
「あの、何かおかしなことを言いましたか?」
「……いえ」
ついと視線を逸らされた。
「その信頼には報いねばなりませんね」
ばさりと目の前に広げられたワンピースに志季は歓声を上げた。
「わあ、素敵」
「洋服を着慣れていないなら、流行り物より外しのない物の方がいいかと。似た形で選んでいるので、後はあるじの色の好みでお選びください」
そこまで選択肢を絞ってくれると選びやすい。志季は長椅子に広げられた洋服を前に悩む。
肩口に僅かに膨らみのある、ストンとした型のワンピースだ。裾にレヱスがあしらわれている以外に装飾はなく、清楚な印象を受けた。
白、
どれを選んでも洋服は申し分ない。あとは自分の色の好みなのだが――。
「俺としてはこちらがおすすめです」
考え込む志季に痺れを切らしたのか、帳の腕が横から伸びてきた。花紺青のワンピースが持ち上げられる。
「あなたの肌の白さによく似合う」
胸元に当てられた服。感情の読み取りにくい瞳が志季を映す。
彼がいいと言ってくれるならきっと間違いない。人間性はともかく、彼の仕事での几帳面さは身をもって知っているから。
「なら、これにします」
ワンピースを彼の手から受け取ると、何故か帳は顔を顰めた。
「ご自分の意見はないのですか?」
「どれも素敵で決めかねていたので、帳の意見を参考にしただけです」
「良いようにおっしゃいますね」
意見を出してくれたのにどうしてそんな顔をするのか。複雑そうな表情で志季を見つめる帳の心中がわからない。
「帳は嘘を言ったのですか?」
「いいえ。あなたに嘘は申し上げません」
「私も帳が偽りを言うとは思っていません。だから意見を聞きました」
見上げた先の男の顔が僅かに歪む。
最近になって、ようやく人の目をしっかり見ることができるようになってきた。俯くな、顔を上げろと指摘してくれる帳とクロのおかげだ。
帳が言うように、これは形ばかりの関係なのかもしれない。でも志季は今の関係のおかげで少しずつ変わることができている。
帳は今は志季のことをどう思っているのかわからない。
でも自分は帳のことを信頼したい。いつか祓い師としての力で彼の仕事に報いるときができる、そのときまで。
じっと見つめると、帳がため息をついた。
「俺はあるじの思うようないい人間ではありませんよ」
「そんなことはないと思います」
「……どうでしょうね」
いつもより憎まれ口のキレが悪い。
「初めの頃よりあなたはきちんとご自分の意見をおっしゃるようになりましたね」
あるじ
「洋服と一緒にこちらの髪飾りも頂きましょうか。こちらもよくお似合いです」
白のリボンの髪留めを髪に当てられる。
はぐらかされたような気がして志季が黙ると、帳は笑みを浮かべた。その取り繕った笑みに、なぜだか志季は壁を感じた。
帝都あやしの花祓い 疫病神と疎まれた冬の乙女は、黒の従者とともに花開く 高里まつり @takasato_matsuri
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