第15話 いたって健康体です
でこぼこと連なる
青空の下、銀座は活気に満ちていた。
「なんだか異国に来たみたい……」
ここには文化の最先端が集まっている――
「おや、銀座は初めてですか?」
「初めてです。すごいです、本当にすごいです」
勢いのまま声を上擦らせて隣の
すると洋装の御婦人らが
「わあ、綺麗」
そのワンピースの眩しいことと言ったら。
彼女たちがみな、いつかの
なるほど、こういう意味だったのか。
銀座には今の流行りがぎゅっと詰まっていた。
例のオリヰブ色にくわえ、納戸色や藍鼠色――鮮やかな布がカフェーから漏れるジャズに合わせて揺れている。
志季が足を止めたままきょろきょろしていると、ぐいと背を帳に押された。
「あるじ、少し歩きますよ。はぐれないでください」
彼の喪服と見紛うばかりの出で立ちは目を引く。おかげで志季にとって人混みの中いい目印なのだが……まあ別の意味でも帳は人目を引いている。
周囲から頭ひとつ抜けた長身に、この美貌。視線を集めるに決まっている。
夜闇の中だと妖艶に映る帳の容貌は、明るい太陽の下だとどこか儚げに見えるらしい。
幾人もの女性が振り返って騒いでいるのを見るにつけても、彼が女性の注目の的であることは確かだった。
本人に気にした素振りがないのも関心を引く要因かもしれない――などと志季が不躾なことを考えていると、突然斜め前を歩く帳の手が立ち止まるよう差し出される。後ろに下がると、間もなく鐘を鳴らした帝電が目の前を通過していった。
ぼんやりしていた。
志季が礼を言うより先に帳が渋面でギロリと睨む。
「歩きながらぼうっとしない。轢かれたいんですか」
「ご、ごめんなさい」
「そこは謝罪より礼が先では? それとも今熱心に物思いに耽らねばならないようなことでもおありでした?」
チクチクと言葉の棘が刺さる。いつもながら舌鋒鋭い帳の物言いに、志季は礼を言い直してから付け加える。
「帳はかっこいいのだなと思っていました」
先程までの頭の中のことを正直に話すと、毒気を抜かれた様子の帳が変な顔をする。
「人混みにでもあてられました?」
「いえ、大丈夫です。いたって健康体です」
「………………そうですか」
ため息を吐かれてしまった。
「この通り沿いの店へ入ります。あるじはぼんやりしているので、念のため俺の上着なり袖なりを掴んでいてください。このままでは迷子になりそうだ」
「はい、わかりました」
言われるがままに目の前の男の袖を握る。すると今度は真顔へ変化する帳の顔。いつも余裕のある笑みを浮かべていることの多い彼にしては珍しい。
「素直って怖いですね」
「え?」
「なんでもありません。行きますよ」
言われた通りにしたのに、何故その反応なのか。
釈然としないまま、幼子と保護者といった格好で志季と帳は目的地へと向かった。
着いた先は老舗の呉服屋で名高い井島屋。今は呉服屋と呼ばずに百貨店と呼ぶらしいが、それは置いておいて。
思った以上にたくさんの洋服が並ぶショウウインドウに面食らってしまう。
今日の目的は、明日の春の会議で着用する洋装の購入なのだ。
洋装の知識のない志季には何を買えばいいのかさっぱりだが、慣れた様子の帳に迷いは見られない。
彼に連れられて入口の扉をくぐりかけたところで、女性従業員が駆け寄ってきた。
「椿木さまでございますね。お待ちしておりました。ささ、どうぞこちらへ」
外商部の高木と名乗った彼女は、とても快活そうな人であった。品物を陳列している一角から離れ、志季たちを建物の奥へと通した。先を行く彼女のパンプスが板間を軽やかに軋ませる。
「わざわざ店舗へご足労いただきまして誠に恐縮でございます。もっと早くお話をいただけていましたら、お屋敷までお伺いいたしましたのに」
「お気になさらず。今回は急でしたので」
「本日は御婦人のイブニングドレス一式をお選びになるとお聞きしておりますが……?」
「ええ」
帳は鷹揚に微笑むと、横を歩く志季の背を押した。
「本日は椿木家ご当主、志季さまのご衣装を選びに参りました」
「まあ、これはこれは……大変失礼いたしました」
高木は僅かに瞠目したが、すぐに完璧な角度で口角を持ち上げた。
「志季さま、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。この度は誠におめでとうございます」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる高木に、志季は軽く会釈するに留めた。帳が「堂々としていろ」と念を送ってきたからだ。
椿木家は表向きは華族。家格は
高木が人好きのする笑みを浮かべる。
「と、いうことは志季さまは雪乃さまのご姉妹で?」
「妹君であらせられます」
「そうでしたか! 姉君さまにもいつもご贔屓にしていただいておりまして――」
最後の方の台詞は志季に向けられていたのだが、帳が黙殺した。
笑顔の圧。これ以上内情に立ち入るな――そんな声が聞こえてきそうだ。
お喋りだが優秀な外商は彼の意図をすぐに察知した。彼女は従順な営業へと転身し、笑顔のまま口を閉ざしたのだった。
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