第14話 やくそく、ね




 

「クロ、さっきの雪乃ゆきのさんの言葉だけど」

「アァ? あんな糞みたいな発言忘れロ」

「そうじゃなくて」


 志季しきは引っ張られるのではなく、自分の足と意志で離れへと向かう。ゆっくりとクロの口が裾から離れた。


「当主って辞めようと思って辞められるものなの?」

「ンなわけないダロ」


 狐はかぶりを振る。


「当主の代替わりの機会は本人が亡くならないと訪れなイ。つまりあの雪女が言ったのは、あるじに――」


 死ねと言ったということか。

 さして衝撃はない。そんなところだろうとは思っていた。気遣わしげなクロに大丈夫だと頷いてみせる。

 それより――ひとつ疑問が浮かんだのだが。


「四季家の当主って、当主の子どもから痣で選ばれる仕組みなんだよね? ならもし私がその……子を成す前に死んだら、次代の当主はどこから選ばれるの?」 

「あーそれはナァ」


 クロが珍しく吐息する。


「ひとつ代を遡って選ばれるんダ。今のあるじの話なら、次代当主は雪弥ゆきやの子の中から選ばれるって感じだナ」

「そっか、そういう感じなんだ」


 志季が命を落とせば、雪乃にも機会があるということか。

 

 とすると、ひとつの仮説が出来上がる。

 当主が子を成す前に殺害できれば、あるいは生まれてきた子を殺害してしまえれば……当主となれなかった者たちにも機会が巡ってくるということでは?

 志季はすうと背筋が冷えた気がした。思い違いであってほしいと願いながら、狐に問いかける。

 

「その仕組みって、血みどろにならない?」

「なるゾ。ドロッドロだナ」

「ひぇ……」


 やっぱりそうなのか。


「だから四季家に中立なこよみ家が当主の護衛についてんダ。あいつらが戦う相手は穢れやあやかしより、ヒト相手の方が多いんだゾ?」


 絶句する。とんでもなく恐ろしい世界に来てしまったのだと改めて知ってしまう。

 と同時に、とばりが離れに結界を張った理由をようやく理解した。彼は本気で襲撃を警戒していたのだ。外に出るなと口酸っぱく言う理由も同じだろう。


「……離れに戻ろうか、クロ」


 椿木つばき屋敷で安全な場所は、離れだけ。そして帳のそばが一番安全。理解した。

 

 理由くらい言ってくれてもよかったのに――志季は帳の憮然ぶぜんとした表情を思い出す。配慮か面倒だったのかはわからないが、たぶん後者な気がする。

 

 教えてくれないことは、自分で知るしかない。

 彼が志季の身の安全をきちんと守ってくれていることも今日でやっと理解した。

 一度は牢の中で死にかけた身だ。

 助けてくれたのは帳とクロ。

 彼らが必要としてくれるなら、今取り組んでいる勉学も一層励まねば――志季は決意を新たにした。

 




 *




「おかあさん! おばけがいた!」


 長屋の引き戸を引き開け、息を切らし駆け込んだ。竈門かまどの前に立つ母の腰に勢いのまま抱きつくと、母の手から小皿が滑り落ちた。こんころりと音を立てて皿が土間に転がる。


「やなぎの木の下にね、おばけがいたの! 黒い影!」


 少ない語彙でなんとか伝える。嘘だと思われたくなくて言葉を重ねる。

 おどろくかな? こわいっていう? ふたりできゃあきゃあと騒ぐことを想像して母の反応を楽しみにしていた志季は――顔を上げて呆気にとられた。真っ青な顔色の母がよろよろと膝をついたからだ。


「志季ちゃん、何を見たの?」

「黒い影がね、ふわあって」

 

 志季は同じ文言を繰り返す。母の顔色はすこぶる悪かった。


「おばけを見たのね? 黒い?」

「う、うん……」


 ――実のところ、当時の志季は本気で幽霊を見たと思っていたのだが、歳を重ねてから思い返すと見間違いだったと断言できる。風に揺れる木の影を幽霊だと勘違いしたのだ。

 理由は明白。

 数日前、闇市に並んでいた版本はんぽんを流し見した際に応挙おうきょの幽霊画をたまたま見かけた幼い自分は、思い込んだのだ。柳の木の下にはきっと幽霊がいるぞ、と。

 そんなことを露も知らぬ当時の志季と母。

 言い聞かせるような調子の母に、志季は急に不安になった。


「おかあさん、だいじょうぶ?」

「大丈夫よ、大丈夫」


 そろりと顔を覗き込むと、泣きそうな顔をした母と目が合った。


「どうしたの? おかあさんは、おばけがキライなの?」

「嫌いじゃないわ。でも……怖いの」


 母はゆるゆると志季を抱き締める。


「おばけを見ても無視しなさい。志季ちゃんには関係のないこと。いい?」

「う、うん」

「これから何があっても、かぁかが志季ちゃんを守るから。志季ちゃんは何を見ても無視しなさい。約束よ?」


 身体を離して小指を立てる母に、志季は何度も頷いた。


「わかった。やくそく、ね」


 きゅっと小指を絡めると、母はようやく笑顔になった。志季と同じまんまるの目に慈愛を湛えて、幸せそうに笑う。大好きな母の笑顔。

 しかし――無情なことに、その翌年。母は流行り病でコロリと亡くなった。

 

 嘘つき。

 何があっても守るって言ったのに。

 ひとりぼっちになっちゃったよ。


 雨漏りの音がする。

 斜陽の差し込むあばら屋でひとり、膝を抱えて志季はうずくまる。抱えた骨壷に温度はない。


「おかあさん……」

 

 志季を抱き締めてくれる人は、もうだれもいない。



 

 二




 ガツン。 

 思い切り側頭部を窓にぶつけたことで意識がはっきりとした。

 人生二度目のオウトモウビルだ。四季家の集まりへ参加するべく、志季たちを乗せた自動車はくぐもったエンジン音を上げ帝都に向けて軽快に走行している。 

 流れる景色を確認するとちょうど市街に入るところのようで、自動車が少しずつ減速していた。煉瓦レンガで舗装された道に入り、不規則に車体が揺れる。木箱を背負う調子のいい薬売りの声が近づき、通り過ぎてまた遠のいていく。

 

 なんて夢見の悪い――志季は吐息する。

 傾いていた身体を起こすと、膝の上で丸まって寝ていたクロが身じろぎした。隣の座席には真っ黒な帳が姿勢良く腕組みをして外を眺めていて。

 ――少しほっとした。

 見慣れたこの二人がそばにいる。今はひとりぼっちじゃない。

 大丈夫、大丈夫だから――いつかの母のように自分に言い聞かせる。

 

 母も志季が祓い師としての潜在能力があることは知っていた。当然だ、その身には雪弥ゆきやの血が流れているのだから。だから「黒い影をみた」という志季の言葉に過剰に反応した。

 祓い師の力が発現するには、今の志季のような訓練がいる。何の訓練も受けていない志季が力を使えようもないはずで、それなのに何故――と母は慌てたのだ。

 

 奇しくも、その後の志季は穢れを集めるという秘めた力の一部を自力で発現してしまった。皮肉なことである。母の懸念は当たっていたわけだ。


「よく寝ていましたね」


 物思いから浮上する。

 横を見ると、帳の目だけがこちらを向いていた。


「夢でも見ていましたか?」

「……そんな気もしますが、もう覚えていないです」

「そうですか」

 

 帳は懐から白いハンケチを差し出してきた。初めて彼が色のついた物を持っているところを見た気がする。

 なんだろうと見やると、帳が調子よく微笑む。

  

「どうぞ口元にお使いください」

「え……? はっ」


 慌てて受け取って口端を拭う。

 羞恥から頬が熱くなる。人前でよだれを垂らして寝ていただなんて。嫁入り前の娘の振る舞いじゃない。

 しかし一方帳は全く気にした様子もなく、ハンケチを渡すなり淡々と革張りの手帳をめくっている。


「〈春の会議〉は明後日、麹町区こうじまちくの陰陽寮内の一室で行います。今晩と明日は同区内の椿木家所有の洋館に宿泊予定です。何かご質問は?」


 首を横に振る。

 四季家の集まりは年四回――立春、立夏、立秋、立冬の時期に行われる。此度は立春、故に〈春の会議〉と呼ばれている。

 

 祓い師は神職、くくりとしては御巫みかなぎたぐいだ。古来より陰陽寮に属し帝に仕えていた流れを汲み、大政奉還から始まる御一新ごいっしん後も、四季家とこよみ家は政府に従属する形をとっている。


「他家の当主は明日帝都へ入られるものと思われます。あるじはお支度がありますから、一日早く屋敷を出ました」

「昨日も聞きましたけど、その支度とはどういう意味でしょうか?」

「言葉のままの意味ですが?」


 帳の艶やかな髪が揺れる。


「お買い物ですよ」 


 

 

 

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