第13話 オイラがアメで、帳が鞭





 

「本日より行儀作法のご指導をさせていただきます、よろしくお願いします」

「明日より四季家の歴史のご指導をさせていただきます」

「明後日より文字の手習いのご指導をさせていただきます」 

「明明後日より舞踊のご指導をさせていただきます」

の明後日より一般教養のご指導をさせていただきます」


 ずらりと並んだ五人の教師たち。その後ろで仁王立ちするとばり

 昼下がり、突然自室へ群れをなして押し寄せてきたお稽古事に志季しきは閉口していた。


「こちらに昨日行った祓い師の修練を毎日含め、週五日のお稽古になります。明日より椿木屋敷の離れに移っていただき、みっちり仕込みます」


 朗らかに帳が宣言する。天気の話をするくらいの調子で。

 この屋敷ではこれくらいのお稽古事が普通なのだろうか――志季が部屋の隅で待機する南天なんてんの様子を窺うと、彼女も目を白黒させていた。……どうやら普通ではないらしい。


「近々四当主の集まりがあります。それまでに少しでも身につけるべきことは会得すべきです」

「四当主の集まり、ですか?」

「そうです」


 帳がどこからか持ち出してきた七曜表カレンダーを目の前にぶら下げる。


「年四回、必ず季節の変わり目に四家当主が帝都で顔を合わす決まりです。次は立春、あと半月しかありません」

「は、半月……」

「最優先は祓い師の修練、次点で四季家の歴史です。他はやれるだけやります。よろしいですか?」


 頷くことしかできない。というよりも是以外の返事は求められていない。やるしかない。

 志季の猛勉強の日々の幕開けである。


 母から文字の読み書き程度は教わったが、他の勉学は中途半端にかじった程度。女学校に通える身分でもなかったため、母が時折なけなしの銭で闇市に出ていた教本を買って与えてくれたが、それも母の生前まで。亡くなった十歳以降は、必然と生きるために学ぶ時間より働く時間の方が増えていった。

 

 勉強は贅沢品だ。衣食住すべて満足に揃ってからはじめて手にできるもので、地を這いずる庶民にはなかなか手が届かない。そも、高尚な知識など生きていくだけなら不要なのだ。

 新品の教書に鉛筆が並ぶ文机を見て、志季はしみじみとそう思うのである。

 与えられた機会、かけていただいたお金。

 やりたかった勉強ができるのなら、無駄にならぬよう精一杯努めたい。

 

 教師にしごきにしごかれ、帳にネチネチとつつかれて朝から晩まで絞られて。くたくたのボロ雑巾のようになって日々を過ごすこと二週間。

 まず一日一時間から始まった祓い師の訓練に変化が出てきた。

 感覚を掴んだのか、穢れを見ること自体は問題なくできるようになったのだ。初日のようにへたり込むこともなくなり、呼吸は上がるが安定して穢れを捉えることができるようになった。

 以前として祓う行為はできないが、祓い師のくらいには言えるようになれた……のだと思う。


「あのう、外の空気を吸ってきたいのですが」


 それでも体力は使う。実際消耗しているのは体力ではなく霊力らしいのだが、そのあたりの感覚はまだ鈍い。昼餉から午後の講義まで少し時間があるため庭の散歩をしたいと声を上げたのだが、帳はいい顔をしなかった。教材を整理する手を止めず、ただ一言。


「外の空気なら午前中に吸ったでしょう」


 目も合わない。志季も前ならここで折れていたが、今日はもう一歩頑張ってみる。

 

「あれは訓練で――」

「離れの庭までなら許可します」


 ……ばっさり切られた。これではどちらがあるじなのかわかったものじゃない。 

 するとゴロ寝をしていたクロが「オイラがついてク」と言って身を起こした。ようやく帳が顔を上げる。


「クロ、甘やかさないでください」

「オイラがアメで、帳がムチ。役割分担だナ。ほら行くゾ」


 揺れる尻尾が部屋の障子を抜け出る。おそるおそる帳を振り返ると、憮然ぶぜんとした表情で一本指を立てていた。


「必ず、十分でお戻りください」

「は、はい!」


 許可が降りた!

 志季は縁側に置いてあった草履を引っ掴むと、慌ててクロの後ろ姿を追いかけた。


 椿木屋敷の離れは母屋の裏手にある。正門たる東の唐門からもんとは真反対、西側の外郭に沿って建っている、半分洋館のような造りの真新しい建物だ。母屋とは廊下で繋がることもなくぽつんと独立しているため、文字通り本家の生活拠点からいた。

 そのため意図的に離れから出ないと、ずっと同じ場所で缶詰になってしまう。普段は外の出入りも西門からしているため、いよいよ離れ以外の場所へ行けないのだ。

 帳が最初指定した離れの庭など、毎朝毎晩見ているので息抜きにも何もならない。

 クロと並んで離れから出てみると、いかに窮屈に感じていたかを実感した。


「やっぱ結界の外に出ると息がしやすいナァ」


 ご機嫌なクロに志季も曖昧に頷く。

 帳が結界とやらを離れの周囲に張っていると聞いているが、志季には感知できない。理由は「念のため」らしい。志季が害されないようにと本家の人間を警戒してのことだと思うが、そこまで徹底してする必要があるのかと思ってしまう。


「あーうげェ、ごめんあるじ」


 クロが呟く。その視線の先を辿ると、艶やかな洋装の少女が母屋に横付けした自動車から降りてくるところだった。暗い若草色のワンピースにキャプリン帽――なんてハイカラな装いだろう。帽子の下で三つ編み髪を結い留める大きなリボンが揺れている。あの髪型はマガレイトというのだと花街で聞いたことがあるなあと、志季は思い出す。


「――まあ、志季さんじゃありませんの? ごきげんよう」


 こちらの存在に気づいた雪乃ゆきのが足取り軽く近づいてくる。


「あ……こんにちは」


 志季は無意識のうちに手を握り込める。


「す、素敵なワンピースですね」

「あら、ありがとう。帝都まで出る用があったから、銀座の倉島屋で揃えてきたの。今冬の流行りはオリヰブ色ですって。染料が変わると華やかになるわよね」


 皺ひとつないおろしたての裾を持ち上げてみせる雪乃のなんと優雅なこと。対して志季は、せっかく仕立てのいい小袖を着せてもらっているのに、連日の勉強で鉛筆を使い、すっかり袖を汚してしまっていた。

 服の話を振ったのはこちらなのに、二人の生まれの差を見せつけられている気がする――自分が卑屈なせいだろうか。

 

 こちらの心中を知ってか知らずか、雪乃は更に距離を詰めてくる。


「志季さんはお出かけなさらないの?」

「そう、ですね。今はまだ……」

「ふふふ。まあ無理でしょうねぇ。オベンキョウが忙しいのでしょう?」


 雪乃がさも愉快と言わんばかりに、純白の手袋にくるまれた両の手をぽんと合わせる。


「椿木家当主になったあとに祓い師になるだなんて。おかしな話ですわ」


 返す言葉もない。志季が黙っていると、雪乃が耳元に口を寄せてきた。


「当主を辞めたくなったら、いつでも辞めてくださっていいのよ? その椅子、わたくしが貰って差し上げる」


 すると足元のクロが毛を逆立てて唸り声を上げた。「まあ怖ぁい」と雪乃がするりと離れた。

 と、クロに着物の裾を噛んで引っ張られた。


「あるじ、行くゾ」


 促されるままに離れへと引っ張られていく。歩き出してから――よせばいいのに背後を振り返ってみると、軽蔑の色をありありと滲ませた雪乃がこちらをじっと見つめていた。


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