第12話 上出来ダ





 寒風吹きすさぶ雪原は骨身に染みる。

 いくら外套がいとうを着込んでいるとはいえ、つらいものはつらい。志季しきはクロを抱えて身体を震わせた。


「さ、さむい……」

「人のいない場所となると屋敷外しかありませんから。帰ったら湯を沸かしましょうね」


 呟きは笑顔で一蹴された。 

 椿木つばき屋敷の裏門を出て、山をしばらく下ったあたりの雪原が今日の目的地だった。冬ざれの野っ原がうら寂しく広がっている。

 帳の言う通り周囲に人はいない。なんなら動物もいないし植物も少ない。ゆるやかに傾斜のある開けた場所だ。


「今日の目標は、けがれを視認できるようになることです」


 とばりが手のひら大の箱をもてあそびながら口を開く。


「まずは穢れを目で捉えることができるようにならなければ、祓い師として使い物になりません。目で見て、穢れの力を推量し、自身で祓えるものであるかを考える。祓い師としての大事な一歩です」


 志季はおずおずと頷く。


「何かあれば南天なんてんが祓います。まずは穢れが何かを知ってください」


 そう言うと、帳が手中の箱を地面に叩きつけた。

 この箱を手に入れるべく帳は外出していたと言っていた。主従ごっこなどと言いながら、仕事は完璧にこなす人間らしい。

 簡単に壊れるようにできていたのか、見た目は頑丈そうな木箱が軽い音を立ていとも簡単に割れた。


 志季の目にはただ割れただけ――なのだが、箱の崩壊とともに南天とクロ、帳が同時に天を仰いだ。つられて志季も三人の視線の先を追ってみるが、仰いだ先には澄んだ青空が広がるのみ。横の帳が問うてくる。


「箱の中に詰めていた三等級の穢れを解放しました。あるじには何か見えますか?」


 ぐっと目に力を入れてみてもやはり青空しか映らない。


「……私には、何も」

「そうですか」


 申し訳なさから語尾がすぼむが、帳に落胆するような雰囲気はない。淡々と「まずは知識から入りましょうか」と提案される。腕の中からクロが飛び降りた。

 

「祓い師は業務上穢れを可視化して共有するために、規模と危険度合いに応じて等級分けを行っています。等級は四つ――三等級、二等級、一等級、特級――後になるほど穢れの重さや規模が大きくなります」


 なるほど、わかりやすい。

 

「穢れは二種類あります。まず一つ目は、人の念や怨嗟の集合体であるもの。人間が多く集まる場所や念の篭りやすい場所に沈殿します。あるじが背負っていたのはこれです」


 恨み、嫉み、哀しみ、怒り――そういったたぐいの負の感情が場所に沈殿していくと、穢れを生む。人の念は、大概は三等級か二等級止まりらしく、大規模になることは滅多にないという。


「あるじの場合は、長年の沈殿が大きかった。雪乃さんが祓った時点で、一等級に近い規模でした」


 そうなのかと納得しかけたが、「ちなみに特級は特例で通常は一等級が最上級です」などと言われれば、いかに穢れを溜め込んたかがわかった。


「もうひとつが、あやかしや土地に憑いたものによって引き起こされる穢れです。数は少ないですが、ひとたび発生すると規模が大きくなり被害も大きくなります」

「あやかしも穢れを生むんですか?」

「人もあやかしも、陰の気に傾いたものは必然と穢れを生むのですよ」


 帳が説明を切ると、近くで中空を見つめていた南天が声を上げる。


「さきほど解放した穢れが少し大きくなりました!」

「可視できるほどに成長した穢れは、自発的に外界に浮遊する残穢ざんえや人の気を吸収して大きくなります」


 帳が説明を付け加え、そして淡々と手を打ち鳴らされる。


「ほらあるじ。見る努力をしてください。収穫なしでは帰れませんよ」

「は、はい!」


 なんとか目視しようと努力するが、影ひとつ掴めない。顔合わせの前に一瞬だけ見えたアレが一体なんのきっかけで見えたものなのかがわかれば――。

 横からじっと見つめてくる帳の視線が焦燥感をさいなむ。何を言うでもない無言の圧が志季には重かった。


「あのう、南天」


 手がかりを求めて彼女の袖を引く。同じ祓い師からの助言が欲しい。

 

「はい、なんでしょう?」

「やり方を教えていただけませんか。きっかけが欲しいのですが、わからなくて」

「そうですねぇ、なんと説明したらいいのか……」


 困ったように南天が眉を寄せる。


「ぐーっと眉間に集中して、目の前のナニカをびゅんと真っ直ぐに射るような感じで――」

「……うん?」

「あとは、脳天から足先にしゅーっと霊力を流すような。見るぞ見るぞという気概のようなものがあってもいいかもしれません」


 彼女も感覚でやっているから口ではうまく説明がつかないのだろう。走ることや話すことと同じだ。当たり前にできることは説明が難しい。 

 説明不足に唸る南天の唇は、寒さから紫色になっていた。指先も真っ赤で、己の特訓のために付き合わせているのだと思うと志季は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。早く成果をあげなければと顔を上げる。

 

 あの日の朝を思い出す。

 澄んだ朝、気道を凍らせるような冷気、肺を満たす空気。目を閉じ、霊力を流すことを意識して深く息を吸う。

 ――あのときのように、もう一度。

 ゆっくりとまぶたを上げると、無数の黒い羽虫が音もなく空を覆っていた。


「ひっ……!」

 

 これが穢れ? しかし長くは保たない。何度か瞬きするとかき消えてしまう。


「集中。呼吸を止めないで」


 帳に背筋のなかごろをぐいと押される。


「一度きっかけを掴めば楽にできるようになるはずです」


 息を止めないよう気を配り、再び天を仰ぐ。頬は痛いほど冷えているのに、身体が燃えるように熱い。

 集中すると、ぼんやりとした影がはっきりと形を結び、虫の姿となる。今度は十秒きっかり保った。

 もう一度。

 呼吸を整えて、次も同じく十秒。


 ぶれそうになる視界を頭を振ってやり過ごそうとしていると、クロが膝裏を押してきた。


「上出来ダ、あるじ」


 身体が均衡を失い、前へ倒れ込む。集中がぷつんと切れて、力が抜けるのを感じた。

 そのまま顔から雪に埋もれなかったのは、咄嗟に帳が受け止めてくれたからだ。


「わぶっ」

「今日はおしまいダ。無理はヨクナイ」

「クロ、いきなりすぎるでしょう」


 帳が非難がましい声を上げていた。

 それより志季は、思うように動かない自分の身体に驚いていた。

 なぜだか足にきている。膝に力が入らないのだ。帳が今手を離せば、雪の中に座り込んでしまいそうだ。


「まあ初回にしてはいい滑り出しでしょう。明日以降も毎日積み重ねていけば…………あるじ?」


 返事のない志季に、おやと帳が顔を覗き込んでくる。志季は正直に答える。

 

「膝がガクガクします」

「ああ、今まで使ったことのない力を使ったから反動がきているのでしょう」

「ご、ごめんなさい。ひとりじゃ立てません……」

「このままで構いませんので。――南天」


 帳が南天に合図をすると、南天が首肯し天に手をかざす。彼女が小さく何かを呟くと、寒風が吹き小さな花弁が空に舞った。

 穢れを祓ったのか。澄んだ空気が一層冷たさを増す。しかし雪乃のときと違い、舞う花は小さく色も薄い。

 疑問に思い志季が花を凝視していると、帳が補足してくれる。


「祓い師の力量により花の見た目は変化します。但し、分家であろうと椿木家一門ならば、花が椿であるのは変わりありません」


 志季は花へ手を伸ばすが、指先に触れる前に消えてしまった。

 雪乃の大振りな紅椿に比べ、南天は薄く小さい白椿――花祓いにも個性があると知る。自分の花はどんな見た目をしているのだろう。少し興味が湧いてきた。

 志季を支える帳がぽんと肩を叩いてくる。


「本日はお疲れ様でした。屋敷に戻って休みましょう」


 言うやいなや、帳が志季の膝裏に手を差し入れて抱え上げた。


「ひえっ……ひゃあ!」


 先に一言断りが欲しい。荷物じゃあないのだから。いきなりでは心臓に悪いではないか。長身の彼に抱えられて見下ろす地面はなかなかに遠いのだ。

 一歩踏み出すごとにぶらんと揺れる脚に恐怖を覚えて帳の着物を握る。すると。


「初日から思っていましたが、あなた軽すぎやしませんか」


 ぽつんと落とされた呟きに、思わず近くの顔を見上げる。長いまつ毛の下、硝子のような瞳が志季を見下ろしていた。

  

「え?」

「初日より食事は摂れるようになっていると思っていたのですけどね。間食でも増やしますか」

「オッ、イイナ!!」


 志季より狐が食いついた。 

 重いと言われるよりマシだが、軽すぎると言われるのも複雑だ。

 

「志季さま、戻ったら温かいお茶とお菓子をご用意しますね!」


 南天が花を散らしながら横へやってくる。

 志季は無言で頷くと、落ちまいと帳の着物を握ったのだった。

 

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