ダイナマイトを侮るな

 俺は嫌々ながら車を降りた。

 片白が乞うような視線を向けてきたからだ。


 外に出た途端死人の肌の温度の空気が俺に絡みついた。だが、ダイナマイトで破壊できない祠をどうやって壊す?


 俺が後部座席のドアを開けると、ヨキが緩慢な動きで降りる。

「本当にやるの?」

「やってくる、"どっち"か見極めなきゃいけないからな」

「石鉈さん、お願いします」

 片白は助手席で祈るように手を組んでいた。



 俺とヨキは山の獣道を登り始めた。

 焦げくさい煙が禿げた山肌を駆け降りてくる。


「ダイナマイトを使う馬鹿がいるなんて。どうやって手に入れたんだ。日本は法治国家だぞ」

「それ魁斗が言うかなあ……」


 泥を蹴り上げて進むと、爪先に何かが当たった。小石でも埋まっていたかと思って見下ろすと、土中に小さな白い塊が落ちていた。僅かに湾曲して、両端が丸く歪んでいる。人骨だと思った。


 ヨキが低く唸る。

「引き返さない?」

「さない」

 祠を壊すなら人死になんてよくある話だ。現に俺も本来なら死亡回数が三桁を超えていないとおかしい。



 獣道を登っていくと、徐々に黒煙が濃くなってきた。

 黒く霞む視界の中に祠が立っている。煤を塗った超合金の支柱が禍々しく埋み火を反射している。

 注連縄も燃えていない。よく見ると、赤と白を塗った鋼線でできているとわかった。

「どこまで厳重なんだか」


 燃え燻る木々が柏手に似た音を立てる。熱気の塊が意志を持ったように押し寄せた。

 俺は呆れ半分で見守るヨキを置いて、注連縄を跨いだ。


 踏み入った途端、全身が重くなった。目の前が歪む。陽炎のせいだけじゃない。何かが俺の肩にのしかかってきたような気分だ。祠破壊にはよくあることだ。


 俺は斧を構えて祠を見据えた。ダイナマイトがなしのつぶてだったのを目撃した後ではやる気が失せるが仕方ない。俺は斧を振り下ろした。



 埋もれていた火の粉が舞い上がり、刃が鋼を打った音の残響だけが山に染み渡った。

 案の定祠は傷ひとつない。斧を確かめると刃が刃こぼれしていた。


 ヨキが肩を竦める。

「祟られ損じゃないか」

「うるせえ。どう思った?」

 ヨキは曖昧な声を漏らして俯いた。こいつは普段なら見ただけで祠に関する曰くがわかるはずだ。

「そんな面するってことは、そういうことか?」

「うん、在り方が歪んでるね」


 俺が諦めて腰のベルトに斧を収めたとき、後ろから騒がしい声が聞こえた。俺とヨキは視線を交わして声の方に向かった。



 木々の間から人影が覗いた。

 俺たちに背を向けているのは、先程ダイナマイトを仕掛けたという壊し屋の中年だった。奴を取り囲んでいるのは村人と思しき男たちだった。

 壊し屋はダウンジャケットの襟をかき合わせて叫ぶ。


「いいんだな? 本当に出て行くぞ!」

 人の輪の中央で、一番背の高い若い男が頷いた。山には似つかわしくない、線の細い色白な男だった。


「どうぞ。我々が招いた訳ではありませんから。お好きになさってください」

「お、俺はあんたらの大事な祠を壊そうとしたんだぞ!」

 壊し屋は見えない何かと戦うように手を振り回す。長身の男は小さく笑う。

「祠は傷ひとつありません。我々に怒る理由がどうしてありましょう」

「くそ、もう知るか!」

 壊し屋は男たちの肩にぶつかるようにして輪を抜け、山を駆け降りていった。



 俺とヨキは顔を見合わせる。

「片白の話と違うな?」

「うん。すんなり帰したね」

「後からとっ捕まえる気かもしれないが……」


 長身の男が不意に視線を上げた。しまった。俺は咄嗟に斧を隠した。

「魁斗、もうバレてると思うよ」


 男は小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、俺とヨキに呼びかけた。

「また新しい方ですか。片白さんが呼んだんですね」

「また?」

 俺は取り繕うのも忘れて聞いてしまった。


 男を取り囲む奴らがざわつき始める。

「村長、あいつは……」

 ヨキが囁いた。

「村長って言ったよね?」

「ってことは、あいつが片白の婚約者か」


 男は枯枝を踏み締めてこちらに向かってきた。作業用の安全靴の下でパキリと乾いたものが潰れる音がした。男に踏まれた人骨の欠片が、追い縋るように安全靴の踵に刺さるのが見えた。


「はじめまして。僕はここの村長、戸留とどめ三男みつおと申します」

 俺は引き攣った笑みを浮かべる。

「フリーターの石鉈です」

「壊し屋の方ですね?」

「そういうときもありますね……」

「やめなよ、魁斗。その人相と斧で取り繕うのは無理だって」

 俺はヨキの脛に蹴りを入れた。


 村長は子どもの悪戯を笑うように眉根を寄せる。

「次から次へと。まったく片白さんには困ったものだ」

「片白は何度も壊し屋を呼んでるのか?」

「ええ、僕にバレていないと思っているようですが」

「わかって泳がせてんのか?」

 枯れ木の間から村長の取り巻きの視線が突き刺さる。村長は首肯を返した。

「誰であろうと祠は壊せませんから。貴方もお好きになさってください。二日間で駄目ならお帰りになった方がよろしいかと」


 村長はそう答えて踵を返した。俺とヨキは男たちと連れ立って枯木に紛れていく後ろ姿を見送る。

「ヨキ、あいつのこと監視しとけよ」

「いいけど……」

 木枯らしに混じって、小さな笑い声が聞こえたような気がした。それが祠の方からだということは考えないことにした。



 片白は山から戻った俺を失意の表情で出迎えた。

「石鉈さんでも駄目だったんですね……」

「初日は様子見だ。明日対策を考える」

 煙草を取り出した俺に片白が縋りついた。


「駄目ですよ! すぐに村から逃げてください。今日壊せないものは明日も壊せません!」

「壊してほしいんじゃないのか?」

 片白は勢いを失って俯いた。

「それはそうですけど……私が招いたせいで他の方が死ぬのはもう見たくないんです」

「何度も壊し屋を呼んでるらしいな?」

「ご存知なんですね……」

「村長に会った」


 愕然とする片白に俺は手を振る。

「心配するなよ。三日の期限ってことは二日は好きにできるってことだ。見極めなきゃいけないこともあるしな」

「見極めるって?」

「あの祠を壊すべきか、壊さないべきか。それが問題だ」

「シェイクスピア?」

 ヨキが口を挟む。


 片白が不安げに俺を見上げた。

「どういうことですか?」

「三日後にわかるかもな」

 日が落ち始め、垂れ込めた夕日が山を血の海のように染めた。



 俺とヨキは片白の用意した村外れの旅館に通された。

 バブル期に建てた社宅だか保養所を改装したらしく、旧時代のマンションのような趣のない宿だった。田舎にはありがちだ。


 俺たちの通された部屋は一階だというのに転落防止用の半分しか開かない窓ガラスが嵌められている。無理に開けて篭った空気を逃すと、草と土の匂いが絡んだ冷気が流れ込んだ。

 畳張りの部屋は簡素で、刑務所の独房を想像させる。



 俺は灰皿をヨキと俺の間に置いた。隅には一組の布団が畳まれている。

「なるほどね……」

「やっぱりそういうことかな」

 ヨキは勝手に俺の煙草を一本抜き取り、火をつけた。


「気になるのは戸留村の由来かな」

「トドメを刺す、か? 神に仇なした不届き者を三日かけて追い詰めたっていうような」

「どうかな。一服したら村の逸話を調べてみるよ」

 ヨキは懐から文庫本を取り出した。車内で読んでいたのとは違う本だ。


「お前、無駄に荷物増やすよな」

「旅先で持ってきた本を読む気分じゃなくなったら困るだろ。三冊は持ち歩くよ」

「昔からお前の部屋は本だらけだったからな」

「他に娯楽もなかったしね……」


「あんたら!」

 窓の外からデカい声が響いた。俺は咄嗟にヨキの煙草を取り上げて放り投げる。

 ぎゃっと叫び声が響き、窓に張りついていた影が仰け反った。

「暴力に余念がなさすぎでしょ……」


 窓の外でダウンジャケットについた火の粉と灰を必死で祓っている男は、例の壊し屋だった。

「おっかねえな。期限の前に死ぬところだった」

「中年が窓に張りついてる方がおっかねえよ」



 俺は半分しか開かない窓から身を乗り出す。

「何の用だ?」

「あんたも片白に呼ばれて来たんだろ? 可愛いよな。つい助けたくなっちまう」

「要件だけ言え、要件だけを」

「わかったよ……俺は今日逃げる。祠を壊せなかったからな。でも、三日以内に逃げりゃいい。寛大な神だよな」

「宗教勧誘か?」

「違うよ。あんた、三日はここに残るんだろ? 伝説の壊し屋、石鉈だもんな。壊せなきゃ沽券に関わる」


 壊し屋はへつらうように笑った。

「祠を壊せたら教えてほしいんだ。あそこの神が何だったのか」

「何だって?」

「あんたほどじゃねえが、俺もそれなりに祠を壊して来たんだ。でも、こんな訳わからねえのは初めてだよ。見届けられないのが悔しいんだ。いけねえ、もう逃げないとな」



 奴は俺の答えを待たずに夜の林に消えていった。

「何だあいつ。ヤバい薬でもやってんのか?」

 ヨキはしばらく男の消えた先を見つめていたが、やがて本を閉じた。

「おれは村長の様子を見てくるよ。魁斗、気をつけて」

 俺は手元に置いた斧を掲げて見せる。ヨキは音もなく出て行った。



 夜が更け、俺はヨキの帰りを待ちながら煙草を吹かしていた。

 気温が更に下がり始め、煙を吐いた後も白い息が唇から漏れる。


 換気のために開けた窓を閉めるかと思ったとき、コツンと窓枠に何かがぶつかった。

 ジリっと音が聞こえた気がした。聞き覚えはあるが何の音かは浮かばなかった。


 俺は斧を携えて窓に歩み寄り、息を呑んだ。何の音か思い出せなかったのは、厳冬と結びつかなかったからだ。


 窓枠に一匹の死んだ蝉が落ちていた。

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因習村祠クラッシャー 木古おうみ @kipplemaker

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