レビューを書くに値するだけの苦しみを味わっていない者より

 解離性同一症(解離性同一性障害、DID)として危うさや破綻もなく進行し、エッセイ・ノンフィクションとのカテゴライズ通り苦しみと不自由さ、苦悩の表出が生ある声として聞こえました。
  
 DIDはよく小説やドラマなどのメディアで取りざたされる、常にいびつな姿でわたしたちに届けられます。

 よってわたしたちは平均的なDIDがどういうものか、あるいはDIDはこういうものだからあなたはDIDじゃない、といった誤解もしばしばです。

 わたし(煙亜月)はこの場でDID論をしたり顔で語ったり「たいへんだったね、苦労したんだね」などというつもりはありません。
 そうするだけの苦痛を味わったものに通じる経験があまりにも欠け、知識も見識も薄っぺらいからです。

 エッセイに対し推測をつけるのも妙な話ですが、「私(メインの人格)」の望みは「交代人格によって忘れられ」、傷つくことも傷けることもなく「出てきてはならない」、つまり忘れられ、沈み込む。

「なるほど、危険な人格を抑え込んでいるのだな」と称賛するのではなく、「もういいから何も感じたくない」との(もちろんわたしの浅い読みです)エッセイひとつを置き手紙にしている著者の方へ、ただただなんの役にも立たない、謎の悔しさだけを感じているのが読後直後の心境です。

 乱文、失礼いたしました。
 これから少し外出のため、問題ある場合ただちに削除していただいて結構です。