一人目『黒硝石の短剣』
乾三季、下二月。
記述人、ベスペル・ヴライダ。
カシンに言われた通り、同日にあった事を全て記述すること。
黒貌党の死霊術師、ドッド・スキルパキースが死んだ。
ドッド、七トーンの大男。
赤い頭に頭髪はなし。常に黒い外套を巻いていた。爪が鋭かった。右の腕に傷があった。目の奥の色は緑だった。長くぶら下がった鼻を持っていた。筋骨が太く育っていた。右足から進み出す習慣だった。指の先を擦り合わせる習慣だった。遠い物を見つけられた。刃物を買い集めていた。小人が嫌いだった。老人が嫌いだった。山をいくつも越える活力があった。
多く呼び出す死体は兵士、兵隊が多かった。
その軍勢は山盗、街盗、敵兵、魔獣を討ち、軍勢に加えるように操られる。
ドッド兵団。売れ筋一番。安くて頑強な死者の兵士。各国に死体の衛兵が詰めていた。
死ぬまで戦い死んでも戦う衛兵。反死者ではない。
ドッドの兵隊は、反死者ではない。
死霊術師、ドッド・スキルパキース。首に縄を掛けられて、吊るされている大男。
広場には人の姿は少なくて、露商の老人が麻布の上に彫り物を並べている。少し通り掛かった市民は目を向けないようにしている。生きた衛兵も、絞首台から離れた所に立って大男の死体を睨んでいる。いつか大男が動き出す時の為に恐れている。
それは死体の兵隊か、反死者か。二つは一つの事だと市民は言った。
黒貌党の死霊術師が反死者を作っている。
カシンが言った、根も葉もない噂話の事だ。
死霊術は骨に刻まれた億劫な魔導式の事で、死体が別の死体を動かす事はできない。その為に死霊術師が居て、死体の死霊術師が居た事はなかった。技術の事で、死霊術師が嘘を言っている意味もない。市民が信じないのが本当だ。反死者が反死者を作る事と、同じ事だ。
党首、スウォート・コープスが居なくなってからが始まりだ。
一季に三人は吊るされる。
加えて多くが街から逃げている。
街の外で見つかれば蜂囲いにされる。手足が折れ曲がった死体を見た事がある。反死者に噛まれても、まともな反死者にはならない。次は燃やされる。痣や傷で黒くなった顔を本当の黒貌党だと言って笑う行商隊を見た事もある。行商隊は反死者に向けて火術の矢尻を射った。
死霊術師に同じ事をした方がいいと笑って言っていた。
街の中で死霊術師が衛兵に見つかれば放免では済まされない。
それでも、ドッドの死体を見る必要があった。濁った目が広場を見下ろして、口の端から汁が垂れている。手足は杭のように固く伸びていて、汚物が服を汚している。赤い頭は砂の色に変わっていて、血液は流れ終えたようだ。ドッドと話せる相手はもうどこにも居ないのだ。
生きたドッドの最後の言葉は、我の死体を動かしてはいけない。
ここに居ても、何も出来ないという事だ。
遠くに望んでいるとドッドの死体が動き出すように思った。
衛兵が来る、二人。刃の付いていない槍、短剣、小盾、肩当て、胸当て、兜。
兜は特に鳥の羽を広げたような形が特徴だ。場所を定めずに見回っている衛兵の兜だ。
どこに行った、と一人の衛兵が見張りの衛兵に聞いた。
衛兵が探しているのは女の死霊術師だった。
正解は、成人後、一回りの年嵩。細く、高い体付き。黒衣に、黒髪。眼の色は緑。
誤解は、醜い顔をしている。死体を引き連れている。ドッドを動かす目的がある。
話を終え、衛兵は通り掛かる女の顔を見定め、鳥の兜の二人は広場を去った。残った見張りの衛兵はその死霊術師が思うに醜いかという事を確かめ合った。聞かれている事を聞かれていないと思って。カシンが言った言葉、人の噂の七十五夜は、当てはまった言葉だ。嫌な言葉だから誰も感心しないだけで、カシンの言葉は正しい。七十五夜が過ぎた事を教えてくれる。
その死霊術師、ヴライダは、ノーワンダーとノーセーターの字を襲い、村民達を反死者に変えたようだ。衛兵は、近隣の村を訪ね、生活を見聞きし、金品や食料を徴収する。偶然にも村を訪れていたヴライダが反死者に変えたと考えるのも、分かる話だった。七十五夜が過ぎた今になって、伸びきった噂話を止める事は出来ない。真の話さえも届かなくなってしまう。
時間が過ぎた死体は、反死者にならない事。
それが誤解だとすると、反死者を破壊した反死者の一部が動き出し、人間を反死者に変える事になる。小さな小さな粒になっても、風に舞って、人々の目や耳や鼻や口から入れば、噛まれた時と同じように、反死者になる。燃やした灰であっても、同じように反死者になる。
ドッドの汚物のすぐ近くで見張りをしている衛兵は反死者になっていない。
もう一つは、それを見届ける為に広場に身を潜めている。
お菓子売りの小屋の陰から、顔を出したらドッドの死体の姿がとても見やすい。
粉に砂糖と香辛料を混ぜて練った物を棒にして切り分けて焼いたお菓子。
どこか村で作られていた物を、いつか安く簡単に作れるという理由で持ち込んだのは、ベルジ=ドーモアという名前の女だった。やっと昼が過ぎて陽芯が落ちて来た時に、ベルジは小屋に近づいてきた。衛兵に笑顔を向けて挨拶を交わした。裏の戸を開けて、抱えていた籠から材料を並べる。その後ろにさっと近づいて顎を掴み、上を向かせ、喉笛を短剣で切った。
庇の下の、外向けの棚の中に血液が飛び散って赤く汚れる。
砂糖の粉が血に溶けて練り気を出しながらお盆の端に流れる。
仕事を終わらせて、また小屋の陰に隠れていると、衛兵が何かに気付いた。見張りの片方が小屋に近づいて来て、棚の向こうにベルジの様子を見て、すぐに戸を開けて中に入った。叫ぶ声がもう一人の衛兵を呼んで、見張りの衛兵は巡回の衛兵を呼ぶ為に走り出した。目を閉じて祈り、衛兵は自分の喉が繋がっている事に安心して、小屋の中に下手人を探し始めた。
戻って来た見回りの衛兵が小屋の前と後ろに立って通行人を遠ざけた。
次には神官や治癒師も来るだろう。
衛兵は小屋の中や周りを見て回って、誰も居ない事に気付いた。見つからない。喉が深く裂けるような刃物も、斬撃が刻印された鉱石や宝石も。見つからない。闇術師が黒硝石で作った短剣は、絶対に影の中から見つけられない。目の前を、衛兵が行きつ戻りつし続けている。
衛兵が恐れているのは、ベルジの死体が動き出す事だ。
正しくはベルジの死体が自ずから動き出す事をだ。
一つ目の名前は、黒屍病だった。それから反死者と言われるようになった。
死んで終わりではなく、死んでからの脅威に逃げ惑い続ける。
コープスとの関わりを聞く事は出来なくなったけど、この広場では、ベルジを生かしたままにしていてはいけない。ドッドが死んだ事で、人が少なくなって、小屋に潜り込む事が出来た今だから、実行する理由がある。コープスは、ドッドの死体を見に来ていると思うからだ。
黒貌党を捨てたコープス。
反死者を作ったと言われたコープス。
死霊術師の仲間をを守らなかったコープス。
ドッドから、ミーヤ、センチョ、パブルウ、何人も死んだ死霊術師に、コープスが何を言うのか聞き出したい。本当に反死者を作っていないのか。どうして逃げたのか。今でも脅威だとして黒貌党の弾圧を続けている三叉海峡の指導者達に、反撃をしようとは思わないのか。
カシンが言うには、黒貌党にも次の指導者が必要だ。
それはヴライダでも、他の死霊術師でもなく、遠い別の世界から来た人間かもしれない。ゲノムという言葉を編むもっと進んだ死霊術師が、人間と死体の関係性を何もかも変えてしまうかもしれない。カシンが言うには、人間は言葉で出来ていて、書き換える事が出来る。
紙に書いた文字を擦って消して更に書くように。
カシンが言うから、本当にあると思える。理由もある。
黒硝石の短剣は、闇術師であるカシンの、特に優れた作品だ。
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