剣と魔法と死霊術と金髪碧眼ロリ巨乳エルフ少女オブザデッド仮

@godaihou

一体目『泣いた軽トラ』

 真っ暗な廊下に出ると、遠くから風が流れ込んで来る音が聴こえる。

 轟々と低く地面を這って来るその音はきっと屋外に通じているはずだ。

 廊下を駆け抜け、階段を上る。何かが呻く音、そして湿った物を引きずる音が暗闇の中を行き交い、生臭い空気が鼻先を掠めるようだ。携帯ラジオは雑音を発している。慎重に進むと、ふと淡いライトの中に赤黒い物体が横切り、突如としてそれが襲い掛かって来る。半円の軌道で避けると、角材を振るって、叩く。叩く。叩く。倒れたら踏む。踏む。踏み付ける。

 病床から漏れ聞こえるような悲鳴もやがて消え、床に血の染みが広がる。

 呻く音、引きずる音はまだ周囲にあって、ラジオのノイズが鳴り止まない。

 近くのドアは施錠されている。鍵は無く、そこに入るには、そもそも別の世界に行かなければならない。と、近くの壁にシルシが描かれている事を思い出し、それに触れて、過去の記憶に干渉する。回復薬は一つも減っていない。弾薬も。資料は全て回収した。それでも何か、気力が萎んで行くのが分かる。この後、異界に迷い込んだ人物のトラウマに共鳴し、それを銃火器で打ち倒さなければならず、それはやがて、自身のトラウマと対峙する事に繋がっていくところまで、僕は全て知っている。その悲しい結末を既に経験している。だから、そうだ。

 コントローラーを手放し、ディスクトレイを引き出すと、画面が切り替わる。

 トールケースに戻すのも億劫で、テレビ台の上に裏返して置いておいた。DVDなんて物は世間で劣化すると言われているほどには劣化しない。ネットで観られないような古い映画だってレンタルして観られる。それ以前の物は、磁気テープに記録されてるらしいけど、さすがに観た事はない。何か、巻き取っている間に横にずれて、端が折れ曲がりそうだと思った。

 財布をポケットに突っ込んで、音を立てずにこっそりと家を抜け出した。

 コンビニまで十分。

 ただ移動するには面倒を感じるし、散歩を楽しむには物足りない時間だ。

 デイバイデイストア西新川町店。

 姿の見えない店員に怯えながら惣菜パンとスナック菓子を選んで、床に貼られたフォーク型のガイドを辿ろうと、わざわざ最奥のドリンクコーナーまで回った時、ふと、ここにある物で何が出来るだろうと思った。ここにある何が、街中を徘徊する異形の群れに抵抗する武器になるだろう。シャベルも無ければ手斧も、チェーンソーも無いけれど。もしも怪物が街に現れれば、コンビニには武器になる工具が並べられるだろうか。それではきっと遅い気がする。

 奥から出て来た店員は金髪の、たぶん独身の、年上の男だった。

 だけど小柄で、額が禿げ上がり、地味な丸メガネを掛けていた。

 何の金髪だよと思わないし、言わない。ちょうどの金額を入れて、レシートをレシート入れに捨てて、レジ袋を揺らしながら店を出る。深夜の二時。月に掛かった雲がぼんやりと灰色に光って、その周りに夜空らしい空が貼り付いている。星は見えない。あの攻守にバランスの取れたオリオン座も、動かないその位置を知らない北極星も、ケイロンが持っている六つの柄杓さえも、何も知らない。そんな物よりも、青白く光る誘蛾灯の方が僕の目には鮮やかだ。

 夜の静けさを脅かす電撃が、忘れかける頃に頭上で弾けて驚かされる。

 それと、ビニールのガサガサという音以外には、何も聴こえない。

 思わず喉の奥で音を鳴らし、半ば足を引きずるように歩き出していた。

 異形の怪物に心惹かれるわけでもなければ、なりたいとも思わない。ブードゥー教の秘術に興味はない。それを撃つ事に興味があるわけでもない。それらの何に惹かれているのかと聞かれれば、自分でも分からないと答えるしかない。しかし、僕はそういう物が好きだった。

 どれくらいかと言えば、今も通りの向こうから出て来たらどうしようと思うほどで。

 出て来て欲しいとは微塵も思わないほどだ。

 頭の中で鉄パイプを振るい、ショットガンをぶっ放すけど、実際は持ってもいない。

 家庭用ビデオゲームから、体感型シューティングゲーム、お化け屋敷の類にも、色々と入ってみた。多い時には現実世界よりも死体が動き回る世界で過ごした時間の方が長くなった。だからきっとそのせいだろう。なんとなく飽き始めていたのは。止めを刺したのは、半年くらい前に九州の漁村で、未知の感染症に罹ったらしい住所不定無職の男が見付かった時だった。

 体の至る所が腐り始め、死にながら彷徨っていた男。

 すぐに一帯が封鎖され、殺菌消毒が行われたらしく、感染者は出なかったし、未知のウィルスも発見されなかった。でも、誰もが心のどこかで思ったはずだ。誰かがそれに感染したとしたら、どうなっていただろう。それは、この世界に起こり得た最後のパンデミックだった。

 終わりを実感し、手元に残ったのは、ゆっくりとドアを開けるという、癖だけ。

 散弾銃のモデルガンと、ホームセンターの商品配置と、数十本のゲームソフトは、美少女ゾンビと恋をするという異端なゲームさえも含まれている自分の宝物だった。今は違う。現実になりきれなかったそれは僕にとっては虚構としても脆く、嘘くさい物に変わっていた。

 なんとなく声を止め、真っ直ぐ姿勢を正し、早足になって帰路を急いだ。

 地面を何かが這って来る、車の音だ。

 空気を割り、地面を噛み、ガソリンを咀嚼する音だ。

 二つの巨大な目が夜道を浮かび上がらせ、その中に自らの巨体を蒸発させた。

 それでも、見るからにそれは、トラックの四角いボディーだった。それも白い軽トラックだった。こんな夜中には、畑仕事も、家具や家電の配送も、有り得ない。道の端の端に寄りながら、通り過ぎるのを待ち、その隙に運転手の顔でも見てやろうと車が来るのを待ち構えた。

 通り過ぎる事は無かった。正確には、通り過ぎようとしなかった。

 トラックは少しだけ右にハンドルを切り、二つの目が真正面に僕を見据えた。

 危ないのか、と疑問を抱く。ぶつかるのか、と。

 避けられるか、と思った瞬間、手が届くような距離にフロントガラスがあった。

 運転手は、日焼けか、酒焼けで赤黒くなった老人で、白いランニングシャツの肩にタオルを掛けて、目に光はなく、朦朧として、外側に身を寄せて、頭を傾けていた。ハンドルさえ握っていない、だから気を失っている。ハンドルに伸びる白い腕は、助手席に座っている人の物だった。青い目。瞳がじゃなく、白目も全て真っ青な人形の目。ショートヘア、ふわふわ。

 頭の上に円盤状の、数字の羅列が光っている。

 何か背負っているようで、それは翼のようだった。

 その彫刻じみた冷たい美貌は、全て人形じみて、全て天使のように美しかった。

 そして残酷だ。

 ぶつかる瞬間、僕は更に深くアクセルが踏み込まれる音を聞いた。

 衝撃は僕の体を吹き飛ばし、僕の、音や、痛みや、速度や、感覚を置き去った。

 地面が激しく回転し、傾いた状態で止まり、放り出されたビニール袋が視界の斜め上に浮いていた。全身がバラバラになったようだ。どこかが痛く、また別のどこかが熱く、また別のどこかが、あったり、無かったりした。総じて動かないという点が一致していた。息をすると喉と胸が痛かった。瞬きをすると、目と、目の奥が痛かった。考えるだけで頭が痛くなった。

 軽トラックはどこだろう。

 視界が斜めになった夜道の向こうにコンビニの光がぼんやり滲んでいる。

 誰も入らないし、出て来ないし、僕が事故に遭った事を知りもしない。

 ドアを閉める音が聴こえた、車のだ。

 音もなく何かが近寄る気配があり、何も来ないので、それは死とか無とかで、僕は現実が現実でなくなるという可能性を突き付けられる。声が出ない。助けが呼べない。ほんの少し動いた指がアスファルトのちょっとした引っ掛かりの角度や鋭さを嫌に鮮明に感じ取った。

 僕の指以外の全ては血を失い、死に絶えて、指だけが最後の瞬間を見ていた。

 視界は徐々に暗くなり、端の方で何かが動き、僕の全身が光に包まれた。

 終わる。

 終わりたくない。

 終わるのに。

 寒くてたまらない。

 指先に細かな砂利の触れる感覚があって、それが擦れ、それが零れ落ちる。

 そこから失われたのが砂利なのか自分の指なのか分からなくなる。体が軽くなり、何も感じなくなり、眠りに落ちたと思って、それからふと気が付くと、僕は知らない場所で目を覚ました。知らない天井、なんてものはない。モルタルも、ベニヤも、コンクリートも、煉瓦も藁葺も何もない。星々が高速で回転し、その中に時計の針のような物が何千本も動いていた。

 目の前で人形のような少女が微笑み、僕の手を取って歌うような声で話し始めた。

 それを聞いた僕は、この世の終わりみたいな光景だなと思っていた。

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