第11話 お盆

 クーラーをガンガンに効かせた仏間に、伏鉦ふせがねがカンカンと鳴り響く。 お坊さんのお経がようやく終わる……。


 正座している足はもはや、限界を超えていた。ちらりと横を伺うと、てっちゃんは涼しい顔をして座っている。お茶をしているから、正座にはなれているのだろう。


 仏壇には漆の小さなお膳が、先祖の霊であるお精霊しょらいさんに供えられている。このお膳は、お盆の三日間供えるのだ。


 あの世からこの世に帰ってきているお精霊さんのお食事なので、もちろん精進料理である。


 仏壇のすぐ横の床の間の飾り棚には、おじいちゃんとおばあちゃんの写真と、お猿のぬいぐるみがおかれていた。お猿のお腹には、繕った跡がある。


 お経が終わると、お坊さんはお出しした冷茶を一気に飲み干し挨拶もそこそこに次の家へ向かわれた。お寺は、お盆が一年で一番忙しいシーズンだ。


「典子さん、何時に来るんや?」


 昨日の晩からそわそわしているてっちゃんは、典子さんの到着時刻が気になってしょうがない。


「さあ、お昼には来るって言ってたよ。うちでお昼食べるんだから」


 わたしは切子の冷茶グラスと、お布施を乗せていた塗りの切手盆を下げて、台所へ入る。その後から、てっちゃんはついてきた。


「今日のお昼はちらし寿司つくるんだから、手伝ってよ」


 台所ではお経の間大人しくしていた猫が、わたしの足元にじゃれついてきた。


「わかってるけど。はっきり時間言うてほしいわ。こっちにも心の準備ってもんが……」


 ブツブツ文句をいいつつも、てっちゃんは手伝い始めた。ちらし寿司はとにかく材料を細かく切ることが肝心。


 まぜ込む具材は、干しシイタケに、高野豆腐、人参と海老。


「はい、てっちゃんは人参、ささがきにして」


 わたしは人参一本をてっちゃんにわたす。


「人参、ささがきにせんでもええと思はへん? これ邪魔くさいねん」


「だーめ。細かくささがきにしないと、ご飯になじまないって典子さんに教わったの」


 一番めんどうな人参をてっちゃんに押し付け、わたしはその他の具材を細かく切っていく。とにかく、この具材を切るのに時間がかかるのだ。


 干ししいたけのおいしさをぎゅっと濃縮した香りが、台所中に漂う。まな板の上で、トントンとリズミカルに干ししいたけを切っていると隣でてっちゃんが、典子さんに言うセリフの練習をはじめた


「別にそんなに、かしこまらなくてもいいんじゃない?」


「あかん、こういうことはきっちりせんと。というか、反対されたらどうしよう」


 人参をささがきする背中が、だんだん丸くなっていく。


「事件があって、まだ二週間くらいしかたってないしね。もうちょっと落ち着いてからって言われるかな」


「大丈夫だよ。ママがいいって言ったんだから」


 ママの声が会話に割って入ってきた。


「でも、典子さん。ママがこんな姿になってるって知らないし」


「やだ、典子さんには言わないでよ」


 猫がぴょんと飛び跳ねシンクの上に乗ってきたので、そのハチワレの顔をのぞきこむ。


「ママ、お坊さんのお経聞いても、成仏できなかったね」


 猫が口を開いて聞こえてきたのは、人間の言葉だった。


「やっぱり、三人で花火見たかったっていう願いがかなわないからかなあ」


 猫のママはテヘペロという感じに、頭をかきながら長い舌を出した。


 ストーカーの六条さんに刺されたぬいぐるみのママは、今度は猫のミヤに憑りついたのだった。


 あの日、警察が実況見分や事情聴取を終えて帰った深夜、わたしはぬいぐるみのお腹を繕い抱いて眠ったのだが、朝になってもぬいぐるみは動き出さない。


 もう、ママは成仏したのだ。二度と会えないと泣きだしたところで、猫のミヤが部屋に入ってきて言ったのだった。


「今度、この猫ちゃんに憑いたのはいいんだけどさあ、やっぱりぬいぐるみとちがって自由にできる時間すくないんだよね。困っちゃう」


 ペラペラとママの声で文句を言い出したのだ。


「ママ、成仏しなかったんだ……」


 よかったと思う気持ちよりも、ママが相変わらずすぎて唖然とした。


「だって、まだしたいことできてないし……」


 そこから、ママがとっくに思い出していた過去のことを猫の口から語られた。


 ママはやはり渡米をするために、わたしをここにおいていったそうだ。本人の弁明では、わたしはとにかく人見知りでアメリカに連れて行っても新しい環境になじめずかわいそうな思いをさせるだろう。


 それならいっそ、てっちゃんに育ててもらった方が、本人も幸せかもしれない。


「だって、薫ちゃん。てっちゃん見て、ぽーっとなってたでしょ。これは一目ぼれしたなって思ったの」


 まあたしかに、突然目の前に現れたリアル王子に心を奪われたのはたしかだ。それが恋だとは、子供のわたしに認識できなかった。


 ママの言い訳は続き、わたしのことを一日として忘れることはなかった。まあ、これはたぶん大げさに言っただけだろう。


 そんなある日、道を歩いているとアメリカの花火大会のポスターを見て懐かしくなり、あの日見られなかった花火を三人で見たいと思っていたら、車にひかれて死んでしまった。とのことだ。


「でも、ママ。ここの花火大会は、もう何年も休止されてるよ」


「えっ。うそっ! もうやってないの。じゃあママのしたいこと、叶わないじゃん」


 というわけで、猫のママは今でも我が物顔でこの家にいるわけだ。猫のミヤには気の毒だけど、ママの活動時間は一日平均二、三時間なので我慢してもらうしかない。


 ちらし寿司の具材が切り終わったところで、玄関のチャイムが鳴った。てっちゃんが手をふきながら出て行くと、宅配のお兄さんの声が聞こえてきた。


 しばらくして荷物片手にてっちゃんが台所に戻ってきた。


「親父から、荷物や。珍しい。でも、日本の百貨店の包みやな」


 てっちゃんのお父さんは、現在アメリカ在住である。バラ模様の包装紙をひらくと、紅白の熨斗がかけられた細長い木の箱が現れた。蓋をあけると、お箸が二膳入っている。


「夫婦箸だ。わたしたちの結婚のお祝いだね」


 朱色と漆黒の夫婦箸は、光沢があり艶やかに光っていた。


「親父には、結婚するてメールで送ったからな」


「えっ、そんな感じなの? 相変わらず素っ気ない親子だなあ」


 ママはあきれた声を出した。てっちゃんのお父さんは、めったに日本に帰ってこない。わたしも今まで二回ほどしか会っておらず、物静かな口数の少ない人なのでほとんどしゃべったことはない。


「典子さんにも、メールでいいんじゃない?」


 先ほどからわたしたちの結婚の承諾をもらうべく、緊張しているてっちゃんにママは本気ともつかない冗談を言う。


「そういうわけにいかん。典子さんには婚姻届けの証人になってもらうんやから」


 事件の後、気持ちが通じ合った状態で叔父と姪として、同居していくのは道理に合わない。結婚しよう。とプロポーズされたのだった。


 意外に古風なことを言い出すてっちゃんに、わたしは一も二もなく同意した。しかし、婚姻届けはまだ出していない。


「でもさ、ママのおかげで二人は結ばれたわけだよね。てっちゃんがクズクズしてるから、ライバルの頭木くんの存在をアピールしたりしたわけだけど」


「まだ結ばれてないし……」


 わたしは小声で、ぼそりとつぶやいた。


「はっ?」


「まだ、キスもしてないし……」


「えー! てっちゃん、まじで。キスぐらいしなさいよ」


 紺色の絽の着物の裾を、猫のママはひっかいた。


「え、いや、まあ。その叔父としての葛藤というものが、まだいろいろと……」


「この期に及んで、まだそんなこと言ってるの。そんな煮え切らない男に、薫ちゃんをあげられないなあ」


「えっ、それは、困るわ。お母さん」


「ちょっと、お母さんとか言わないで!」


「だって、薫と結婚したら、美夜ちゃん僕の義理のお母さんや」


「あっ、そっか。わたし、てっちゃんのお母さんになるんだ」


「そやろ。数年後にはおばあちゃんになってるかもしれへんで」


「えー! おばあちゃんとか、やだ! やっぱり、結婚反対!」


 放っておいたら、えんえん言い合いをしていそうだ。


「もう、いい加減にして。わたし十九なんだから、保護者の許可がなくても結婚できるんです」


 夫婦箸は大事に床の間の横におき、エプロン姿で仁王立ちになる。


「早くちらし寿司つくらないと、典子さんきちゃうよ!」


 腰に手を当て、一人と一匹を睨むわたしの左手の薬指には、ダイヤの指輪が輝いていた。


              了

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さよなら光源氏~小説家のおじさんと京都(府)暮らし 澄田こころ(伊勢村朱音) @tyumei

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