第28話 デモクラティック・ロマンス

学園を出て俺たちは三十分ほど歩き、市の総合病院に着いた。面会受付で手続きを済まし、音羽の入院する病室へと向かう。


音羽の病室は四階のため、俺たちはエレベーターに乗り込んだ。四階へと上がるボタンを押すと、ぐわんと一度揺れてからエレベーターが上がり出した。


「なあ春希」


隣に立つ豪が俺の耳元で囁く。


「なんだよ?」


短く返す俺。


「結局あの日は言えずじまいなんだろ?」


「まあ、そうなるな…」


事故の詳しい事情に関して豪たちは知らない。

だが、洞察力の鋭い豪は全て見抜いていた。


「いいか、絶対に今日伝えてしまえ。申し訳なさや罪悪感なんて全部忘れるんだ」


「ああ。最初からそのつもりだ」


「ならいい。二人きりになれる状況は作ってやるから、安心しな。あとな…」


「ん?」


豪が俺の耳にゴニョゴニョと囁いた。俺はその説明を聞いて少しだけ驚いてから、豪の目を見て頷きを返した。


「二人とも何話してるのぉ〜?」


三島さんが俺たちに顔を向けた。


「いや、こいつが座れないくらい痔が痛いとか言い出してよ」


「んなこと一言もっ…」


俺の口が豪の手のひらで塞がれた。


「あはは。そうなんだ、それは大変だねぇ…」


三島さんはサッと壁を作って顔を背けた。どうやら入ってはいけない話と判断したらしい。



ピンポーンと音が鳴り、エレベーターの扉が開いた。ついに四階に到着だ。


「えーと、415は…」


音羽の病室の部屋番号を口にしながら、廊下を歩く。


「あったわよ」


丹波さんが左奥の病室を指差した。俺たちは歩を進め、病室の前にたどり着く。


「さてと」


俺は一度深呼吸をしてから、扉に手をかける。

覚悟を決め、扉を右にスライドさせた。


真っ白い壁に囲まれ、清潔感に溢れた空間が目の前に広がる。


奥にあるベッドの上には、上体を起こして窓の外を眺める音羽の横顔があった。


「音羽っ!」


俺は無意識のうちに声を出して駆け寄った。俺の声に気づいた音羽は顔をこちらに向けた。


「春希…くん」


音羽は目を見開き、体をこっちに向けた。病衣に包まれた白い肌がちらりと見える。


「音羽…」


一週間ぶりに音羽の姿を見た俺はなんだか泣きそうになってしまう。しかし、この病室には他の生徒会メンバーもいることを思い出してなんとか涙をこらえた。


「逢坂、見舞いに来たぜ」


「音っち久しぶりー!!」


豪と丹波さんが俺の横をすり抜けて音羽の目の前に立った。音羽は俺以外のメンバーもいることを確認して、柔らかな笑みを浮かべた。


「みんな、わざわざ来てくれてありがとう」


「いいっていいって!それより足大丈夫?骨折したんだよね?」


三島さんは子どものように無邪気にはしゃいでいる。久々に友達の顔が見れて心底嬉しそうだ。


「うん。太ももの付け根が少しね。今は手術で入れた器具でずれた骨を固定している状態よ」


「えー!めちゃめちゃ痛そーじゃんそれ!」


「まだ痛むけど、鎮痛剤も効いてるし、術後に炎症が起きた時よりはマシだわ」


そう言って音羽は布団が被さった自分の足を見た。


「後どれくらいで退院出来るんですか?」


神山が心配の色を浮かべた顔で質問した。


「三週間後には、杖を着いて自力で歩けるようにはなるから、その頃くらいに退院ね。リハビリも含めると、完治までは3カ月はかかりそうかな」


「そうですか…。かなり長期戦になりますね」


神山はがくりと肩を落とした。音羽は「そう落ち込まないで」と優しく微笑んでみせた。


「音羽、よかったらこれ」


「わっ!綺麗なお花…ありがとう!」


丹波さんが花束を手渡し、音羽は嬉しそうに受け取った。様々な種類の花が組み合わさったカラフルな花束で、病室がどこか華やいだような気がした。


「そんな傷を負ってまで小さな子どもを助けたんだ。自分のことを誇ったっていいんじゃないか」


軍艦が優しい声色で言った。


「家族や友達に心配をかけちゃったわけだから、一概には誇れないけどね。ただ、あの子を守れたのは本当によかったわ。そこに関しては自分を褒めたいと思う。ありがとね、軍艦くん」


「うむ!逢坂は本当にイイやつだな!傷が治ったらぜひサバゲーで手合わせ願いたい!」


「ええ、もちろんよ」


音羽は笑顔でガッツポーズを作った。軍艦もまたガッツポーズを作ってニッと笑う。神山が同じことをしたらブン殴る自信しかないが、どうも軍艦には下心が感じられないので、安心して見ていられる。


その後、俺たちは雑談に花を咲かせた。学園のこと、生徒会のことなど、音羽がいない間に起きた出来事をみんなで面白おかしく語り合った。他にも、本来は打ち上げ会でするはずだった選挙の話(演説の感想とか、個人的な裏話)もした。小一時間程度だったが、病室には七人の明るい笑い声が響き渡った。


話のネタが尽き、外がオレンジ色に染まった

頃-。


「あっ!そういやこの後用事があるんだった!」


急に豪がポン、と手を打って言った。それを見た丹波さんも、


「私も夕飯の買い物に行かなきゃ!」と言った。


二人は示し合わせたように、「じゃ、そろそろおいとましまーす」と声を揃えて病室を出て行った。


「高宮くんとちーちゃん、帰っちゃったね」


今しがた二人が出て行った扉を見つめる音羽。


「……?」


三島さんは顎に手を当てて何か思考を巡らせているようだ。そして「あっ!そういうこと」と言ってポン、と手を叩き、


「ねーねー!神山っちに司っち、ジャンケンしよーよ!」


「?別に構いませんけど…」


神山はポカンとした顔だ。


「いいだろう!俺はジャンケンとて本気で勝ちに行くぞ!」


軍艦は随分と意気込んでいる。


「…?」


ベッドの上からそれを見つめる音羽は首を傾げていた。


「ジャンケンポン!よっしゃ、私と司っちの勝ちぃ!はい、じゃあ負けた神山っち、駅前でクレープを私と司っちに驕ってね〜」


三島さんと軍艦がチョキ、それに対してパーを出した神山の一人負けだった。


「ちょ、ちょっと待って下さいよ!?ジャン負けでクレープ驕りなんて聞いてませんよ!」


当然といえる不服を申し立てる神山。


「『勝てば官軍負ければ賊軍』、敗者のお主に拒否権はないぞ」


軍艦は腕を組んでニヤリと笑った。そういえば以前、軍艦はクレープが大好物だと公言していた。


「ほら!私も今すぐにでもクレープ食べたいからさ、いこーよ!また来るね、音っち!お大事に〜」


「ちょっとは僕の話も聞いて下さいよー!」


叫ぶ神山の手を引きずって、三島さんたちは一斉に病室を出て行った。


「……」「……」


病室に残された俺と音羽の間に、しばしの間沈黙が漂った。


「…俺たちの他に、誰か見舞いに来たか?」


俺は先に沈黙を破ることに決めた。


「入院3日目ぐらいから昨日まで、怜子ちゃんが付きっきりでいてくれたわ。今日は用事があるから来られないと言ってたけど」


う、うわー…。マジで危ないとこだった。もし今日鉢合わせてたら地獄みたいな空気になってただろうな。


「神宮寺会ちょ…じゃなくて神宮寺先輩、何か言ってたか?」


「何かって?」


俺の質問に音羽は小首を傾げた。


「俺のこととか…。ほら、俺と一緒にいる時に音羽は事故に遭ったわけだからさ…」


「あー」と、音羽は俺の質問の意図を汲みとり、少し頬を緩ませた。


「言ってたわ。『一緒にいながら音羽を危険から守れないような腑抜けた男に敗北を喫したなんて一生の汚点だ』とか『私にはこの世にたった一人だけ葬り去りたい奴がいる。仮にそいつをS・Hとするなら、私はS・Hを壁にはりつけて自ら死を懇願するまで鞭で徹底的に痛めつけ、最後には鍋でグツグツ煮て豚の餌にでもしてやりたい』とか…」


「もういい音羽!神宮寺先輩の話はこれで終わり、いや、今後一切俺の前でしないでくれ」


俺は全身に鳥肌が立った。これほど誰かに対して戦慄を感じたのは生まれて初めてだ。


「ふふ、春希くん怖がりすぎだって」


恐怖で身を震わせる俺を見て、音羽はくすくすと笑った。


「怖いもんは怖いんだよ…」


そう呟いた時、俺はハッと大事なことを思い出した。そうだ。今俺の目の前には、トラックに轢かれかけるという「怖い」なんて言葉じゃ済まされない体験をした人がいるのだ。


俺は拳を握りしめ、口にすべき言葉を頭に思い浮かべる。


「まずは音羽…本当にすまなかった。俺があの公園を選んだばっかりに、音羽を危険な目に遭わせてしまった」


俺は頭を下げた。


「いいのよ、謝らなくて。私たちがあの公園にいなかったらあの男の子は助からなかったかもしれない。そう考えると、春希くんはあの子の命を救ったのよ」


「そんなことはない。あの子を助けたのは…紛れもなく音羽、お前だ。俺は情けないことに事故の瞬間、体が硬直して何も出来なかった」


俺は下げた頭を上げることができず、そのままの姿勢で言った。


「…春希くん、頭を上げて?」


言われた通り、俺は頭を上げ、音羽の目を見つめた。


「春希くんが、私のためを思ってあの公園を選んだのはわかってるよ」


「え?」


不意にそう言われ、俺は思わず聞き返した。


「…だってそうでしょ。前話したように、私にとってあの公園は…」


「そうだよ」


俺はあえて言葉を被せた。そこから先を音羽の口から言わせるのは残酷すぎるからだ。


「俺が俺なりに考えて、あの公園を選んだ」


音羽にとってあの公園は、かつての最愛の人だった和人をなくした場所だ。それゆえ音羽の中では最悪の思い出が詰まった場所であろう。


俺はそれを、なんとか書き換えたかった。あの公園のそばを通るたび、音羽は嫌な記憶を思い出さないといけない。俺は音羽にそんな辛い気持ちをいつまでも味わってほしくなかった。


だって、俺自身がその辛さを知っていたから。

「イジメ」という単語を聞くたび、嫌でも明里や明里をイジメてた先輩、明里を守れなかった過去の自分を思い出すのだ。


その痛みを知っているからこそ、俺はあの公園を音羽にとって良い思い出の場所にしたかった。だから、俺はあそこで想いを伝えることに決めた。もし、俺の想いを音羽が受け入れてくれれば、あの公園は俺たち二人の思い出の場所になる。


そう考えての選択-。結果的には、それが正解だったのか不正解だったのかは分からなくなったのだが。


「春希くん…。今ここで、言ってくれないかな?あの時、春希くんが口にしようとした言葉を」


音羽が言った。夕陽に照らされた頬が、わずかに赤く染まっているように見えた。


俺は唾を飲み下し、音羽と見つめ合う。


「…いいのか。俺に、それを言う権利は…」


「権利なんか関係ない。私は春希くんの気持ちが聞きたい。ただそれだけよ」


「……」


俺は視線を外し、ベッドの横の棚に置かれた花瓶を見た。カラフルな花々が生けられている。さっきの雑談中、丹波さんが花束を生けてくれたのだった。俺は数秒間、短期記憶の引き出しを開けるのに費やす。


俺はおもむろに、花瓶から一本の花を取った。

赤い花びらの、美しいアネモネの花。


俺は茎の部分を指でつまみ、片膝をついた。

ベッドに座る音羽より俺の目線が下になる。


俺は目線を上げ、こちらを見つめる音羽と目を合わせる。



「音羽…これが俺の気持ちだ」


そう言って、俺は指でつまんだアネモネをすっと音羽の前に差し出した。


アネモネは様々な色に咲く花だが、全般的な花言葉は「はかない恋」や「恋の苦しみ」と、ネガティブな意味合いが強い。



しかし-それは俺たちが生きる現実とぴったりマッチしていないだろうか。


恋とは、楽しくて幸せなだけのものではない。

時に人を悩ませ、苦しませ、悲しませる。


落ち込んで、涙を流して、絶望して…。だけどその辛い経験があるから、俺たち人間は成長することができる。前を向いて、明日へ進むことができる。



そして…俺の手にしたアネモネは赤色だ。


「音羽」


「春希くん…」



あの日伝え切れなかったことを、今、伝える。




「好きだ。俺と付き合ってくれ」




赤いアネモネの花言葉は、「君を愛す」。



「……っ」


音羽は両手で口元をおさえた。そして、俺の手からアネモネをそっと受け取り、もう片方の手を伸ばした。



花瓶から、もう一本の花が取られる。音羽は、その綺麗な白い花をすっと俺の前に向けた。


「音…」「春希くん」



二人の声が重なる。



音羽が、今までで一番の笑顔を浮かべた。



「私も春希くんのことが好き。…だから、春希くんと付き合いたい」


俺に向けられたのは白いアザレア。


そして、白いアザレアの花言葉は…「あなたに愛されて幸せ」。



「音羽…」


「春希くんっ」



俺は、ベッドに身を寄せて音羽を抱きしめる。

音羽も花を持ったまま俺の背中に腕を伸ばし、抱きしめ返す。



三十秒ほどお互い抱きしめ合ってから、音羽が「ふふっ」と少し笑った。


「どうした?」


「いや、もし私があの日告白を断ってたら、春希くんの目論みは大失敗だなって思って」


…確かに。もしあの公園での告白が失敗していたら、音羽にとってあの公園は「同じクラスの男子を振った場所」に上書きされてしまう。



「はは…。最悪のシナリオだなそりゃ」


俺は笑って答える。


「ま、万が一にもそのシナリオはありえないけどね」


「え?」



音羽が体を離し、俺の顔を見つめた。





「だって、もう一度生まれ変わったとしても私は春希くんを好きになるから」





-完-










































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デモクラティック•ロマンス 小鷹虎徹 @jksicou

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