第27話 未完成カウンシル

「はぁ……」


俺、杉崎春希は頭を抱え込んでいた。


「なんでこんなことに…」


溜息を吐く。寝不足で目は充血していて、疲れで肩に鉄アレイが入ってるんじゃないかと思うほど体が重い。ずっと座りっぱなしのため尻が痛み、痔までできてしまった。


「くそっ…」


だけどこの場を離れるわけにはいかない。

俺がいなくなれば、一体誰が代わりにここにいられようか。いや、いられない。


俺は背筋を伸ばし、深呼吸した。今俺の前にあるもの。それは、目を逸らすわけにはいかない「現実」そのものだ。


それは、静かに眠っている。いや、力が失われている状態と言った方が正確だろうか。とにかく、俺がこの場を離れたら最後、それは永遠に力を失ったままであろう。俺はいわば命を吹きこむ役割を担っている。




俺は腕を振り上げた。そして、その腕を一気に振り下ろした。


「承認っと」


ペタン、と音がした。これで、目の前の書類の山一枚一枚にすべて、命が吹き込まれた。


「杉崎っちー、こっちもおねがーい」


「生徒会事務」と刺繍されてある腕章を腕に付けた三島さんがまた大量の書類を持ってきた。


「おい…まだあんのかよこれ」


俺はまた溜息を漏らす。


そう、俺は今、洛陽学園生徒会長として大量の書類に承認印を押すという作業に取り組んでいた。


「疲れてると思うけど、杉崎っちが印を押さないとただの紙切れのままだからね」


三島さんがバサっと机に書類を置いた。

各種委員会の申請書や学園側からの報告書、各部活動の決算書が並んでいる。


生徒会が絶大な権力を持つ洛陽学園では、生徒会長が承認印を押さなければありとあらゆる書類が効力を発動しない。そのため、俺はこうして永遠と紙にスタンプを押し続ける作業を繰り返していた。


「杉崎くん、そろそろ来月行われる球技大会の企画立案を行わないとマズいですよ」


隣のソファから声がする。「生徒会書記」と刺繍された腕章を揺らし、キーボードを打つ神山の声だった。


「とりあえずこれが終わったらな」


俺は承認印を押しながら答える。


「やっと出納票の記述が終わったぞ…。誰か温かいコーヒーでも淹れてくれないか?」


向かいのソファで伝票と出納票と睨めっこしていた軍艦が声を出した。彼の腕には、「生徒会会計」と刺繍された腕章が付いている。


「そんじゃあ私が全員分淹れるねー!みんなブラックでいい?」


『漢はブラック一筋だ』


三島さんの気遣いに野郎共が声を合わせる。


現在、この生徒会室には俺、三島さん、神山、軍艦がいる。もう少ししたら豪と丹波さんも来る予定だ。


「しかし…こんなに忙しいんだな、生徒会」


俺は肩を回した。パキパキと音が鳴る。


「そうですね。想像以上の仕事量です」


パソコンに議事録をまとめる神山。


「はあ〜。早く帰って軍事訓練がしたい…」


伸びをしながら軍艦が言った。 


「俺はとりあえず一睡したいところだ」


最後の書類に承認印を押し終わり、俺は印鑑を置いた。


現在五月二十日。俺達が生徒会役員になって一週間が経ち、それぞれが仕事に追われていた。


とくに生徒会長である俺の仕事量は膨大だ。

学校行事の企画運営に生徒会報告書作成、各部活動、各委員会から提出された報告書の確認、公約実現にむけた構想を練ったりと大忙しだ。そのせいで今週に入って毎日三時間しか寝れていない。


「早く音っちが復帰すればいいんだけどね」


三島さんがトレーに乗ったマグカップを俺の前に置いた。コーヒーの良い香りが漂う。


「そうだな…」


俺は淹れたてのコーヒーを一口啜った。



あの日、俺の目の前で音羽は事故に遭った。

道路に飛び出した男の子をトラックから守るため、身を挺して庇ったのだ。


トラックが寸前のところで避けたため轢かれずに済んだが、音羽は意識を失ってしまった。


あの後近所の人が呼んだ救急車がすぐに駆けつけ、音羽は病院に搬送。目撃者ということで俺も同行することに。


不幸中の幸いといおうか、音羽は病院で意識を取り戻し、命に別状はなかった。だが、トラックが激突して砕けた塀が衝突したせいで、大腿骨を骨折してしまった。


翌日には手術を行い、今は病院に入院している。大体退院までは一ヵ月ほどかかるらしい。


そういうわけで、俺たち一年による新生徒会は、現在副会長が不在の状態にある。


「やるな三島。美味いコーヒーを淹れるヤツは軍で出世するぞ」


三島さんが淹れたコーヒーに満足した軍艦が、笑みをこぼした。


「私軍隊になんて入る気ないんですけど…」


三島さんは苦笑いを浮かべた。トレーと自分の分のコーヒーを机に置き、ソファに座った。


「逢坂さんがいないと生徒会の仕事に対するモチベーションが全く湧きませんね…」


神山がパタンとパソコンを閉じ、深刻な顔色を浮かべた。


「そうだな。本来は五人で回すはずの仕事を四人で回しているわけだから、効率も悪い」


軍艦が同調する。


「音っちがいないと話し相手がいなくてつまんなーい」


三島さんが眉尻を下げ、膝から下をブラブラと揺らした。


「……」


俺は無言のままコーヒーを啜る。無論、三人の言うことには完全に同意だ。そもそも会長の補佐役である副会長がいないと、必然的に俺の仕事量が増える。何か大きな議案を決めようにも、生徒会ナンバーツーの副会長がいないとやりづらい。実際「恋愛禁止」の公約もまだ正式には実現されてない。まあ例え男女が校内でイチャつこうと、俺たち生徒会が何か注意するようなことは決してないため、実質的には実現しているが。ただ、正式に恋愛を認める新たな規則はまだ未制定なのだ。



しかし、俺はそのようなことはさほど気にしていなかった。否、気にしようにも気にする資格が俺にはないのだった。


あの日、あの公園を待ち合わせの場所に選んだのはこの俺だ。もし違う場所を選んでいたなら、音羽を命の危険に晒すような事態は防げていただろう。まあ、あの日俺たちがあの公園にいなかったら、道路に飛び出した男の子は命を失ってしまっていた可能性が高いため何とも言えないが。


だが何よりも許せないのは、音羽に危険な役目を背負わせてしまったことだ。本当は男の俺が助けに行くべきだったのに、突然の出来事に体が固まってしまった。思い出すだけで自分に対する猛烈な情けなさが胸に広がる。


「春希?どうした、ボーっとして」


「あっ、悪い。少し考えごとを」


軍艦が怪訝な顔を俺に向けた。俺は咄嗟に俯いていた顔を上げた。



「おーっす!やってるかぁー」


バタン、と生徒会室の扉が開いた。

ソファに座る俺たち全員が振り向く。


「なんだ?ティータイム中かよ」

「コーヒーの良い香りがするわね」


現れたのは豪と丹波さんだった。丹波さんの腕には花束が抱えられている。


「あっ!ちーちゃんやっと来た〜!」


すぐに立ち上がった三島さんは丹波さんのもとに駆け寄り、抱きついた。


「おふぅっ!」


それを見た神山が鼻を鳴らし立ち上がった。


「ん?ちーちゃん、なんで花束持ってんの?」


三島さんが丹波さんの手元に視線を落とした。


「見舞い行くからに決まってんだろ、逢坂の」


丹波さんの代わりに豪が答えた。


「えっ!そうなの!?」

「い、今からですか?」

「ふむ。『リロードと見舞いは早いうちに』か」


三島さん、神山、軍艦がそれぞれリアクションを取る。


「そうよ。この花束はさっき買ってきたの」


丹波さんが笑みを浮かべて答える。


「なるほど。それで二人は遅れて来たわけですか」


神山がサラッとした髪をかきあげた。


「その通りだ。まあ俺たちもほんのさっき春希に言われて急いで買ってきたんだけどな」


豪がわずかに肩をすくめて言った。


「ええ〜!なんで私たちに教えてくれなかったのよぉ?」


三島さんが俺に向かって目を見開いた。俺は「ふう」と一瞬息を吐いてから口を開いた。


「悪い。俺も放課後になってから決意したもんで」


音羽が病院に搬送された日は夜まで寄り添ったが、それ以降は警察にあれこれと事情を聞かれたりして別れることに。そして音羽を危険な目に遭わせてしまった申し訳なさから、病院から足が遠のいてしまった。おかげであの日以降、一週間ほど音羽の姿を見ていないのだった。


だが、このままでいられるわけがない。俺は音羽に面と向かって謝る必要があるのだ。それに、今さらというか、あんな目に遭わせといて図々しいにも程があるのだが…あの時伝え損ねた俺の気持ちが、ずっと胸の内で燻っていた。


-「弱さと向き合えたとき、人は強くなれる」

これが、今回の戦いを通して学んだことであり、新たな自分の人生哲学となった。


この哲学に従うのならば、今すぐにでも見舞いに行かねば。俺は今日やっとその決心がつき、急遽豪たちに花束を買ってきてもらったのだ。


「では、早速行きましょう今すぐ行きましょう!」


神山が拳を握りしめて立ち上がった。興奮したように鼻を鳴らしているが、コイツは怪我人の見舞いを何だと思っているのか…。


そう思ったところで、俺は今から自分がしようとしていることを思い出して、ふっと笑ってしまった。


俺も、神山と変わんねえわ…。


「全員揃ったとこだし、行こうぜ?」


豪が俺と目を合わせて言った。俺はその視線に頷きで返し、


「本日の活動、『副会長のお見舞い』を始めるぞ」


俺は会長としてみんなに号令をかけた。


「帰ったらしっかりと議事録に書いときます」


神山がニヤリと口角を上げ、俺の目を見た。

俺はそれに微笑で答えた。































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