第190話アンデッドな彼女
「はい今日で三回目〜! まったくどいつもこいつも仕事を舐め過ぎなのよ?! 派遣会社に文句言ってやらないと!」
朝霧さんの怒号が響いた後、クビを言い渡された不届きな派遣スタッフ達は、口々に文句を言いながら現場を後にしていく。既に何人もクビにした朝霧さんは申し訳なさそうな雰囲気を出すどころか、水を得た魚の様に生き生きとしていた。
「ってな訳で、メインステージ側のスタッフが足りなくなったのよ〜前田くんと乙成ちゃん、よろしくねっ」
俺達は本来、トイレ案内スタッフの手伝いをしていた。混雑時はトイレまでの列を整理したり、怪しい人物がトイレに侵入したりするのを防ぐ役割を担っていた。これだけの来場者がいるのだ、一人か二人はおかしな奴が紛れ込んでいないとも限らない。
そしてそんな地味だけど責任重大な役割を任されて気合いが入っていた矢先、だ。朝霧さんが派遣スタッフをクビにした事でステージ側のスタッフに穴があいてしまったのだ。なんでも、朝霧さんが説明しているのにずっとスマホをいじっていたとかで。イベントスタッフはスマホ持ち込み禁止だ。それなのに堂々とスマホを操作しながらの登場とは、全くもって不届きな輩である。しかも注意したら「ふぁい」って返事するんだって。朝霧さんが暴力に訴えなくて本当に良かった。
「ステージ側のスタッフなら、特等席で見れますねっ」
トイレ案内スタッフをクビになったというのに、乙成はどこか嬉しそうにしている。まぁでも、これからあの水瀬さんがステージに上がるのだ。興奮していない方がおかしいよな。
俺達は連れ立ってステージと観客席の間の通路に入った。ステージの目の前は既に他の派遣スタッフが立っていて、興奮して柵から身を乗り出す観客を抑えている。今ステージにいるのはインフルエンサーのカップルみたいで、軽快なトークと抜群のスタイルで観客を魅了している。俺達も若者だが、それよりも若い人で溢れかえっている会場にちょっとビビってしまった。
「乙成、俺達は端っこに行こう」
乙成の耳元まで寄って、ステージ脇の通用口付近を指差す。周りの音がうるさく、聞こえているのかは不明だが乙成かコクンと頷いたので恐らく理解しているのだろう。
「次はいよいよ水瀬さんだな。乙成、水瀬さん本人に蟹麿をやってもらった感想は?」
「もうすっごくすっごく感激しました! 本物ーって感じで! あ! 前田さん、水瀬さん出てきましたよ! やっぱり人気者ですねー!」
ステージに目をやると、衣装に着替えた水瀬さんが手を振ってファンの声援に応えていた。やっぱりあの人は凄いな、あんなに堂々としてる。キラキラの芸能人オーラを纏いながら、音楽が鳴って水瀬さんが歌い出した。
「歌うま……。あの人本当に完璧人間に見えるな。でも乙成、なんであのセリフだったんだ? もっと甘々なセリフを言ってもらえば良かったのに」
ステージに釘付けになっている乙成の横顔をみながら、俺はさっきの出来事で少し気になっていた事を聞いてみた。
気になっていたのは、何故乙成は水瀬さんにお願いしたのが、蟹麿が最初に仲間になる時のセリフだったのか、だ。蟹麿語録を作るくらい蟹麿が好きな乙成なら、もっとドキドキする様なセリフをお願いしてもおかしくなかったんじゃないか? 折角の機会だったのに。
「うーん……それも思ったんですけどね。でも好きな人って、結局は最初の出会いに立ち戻るものじゃないですか! その後の出来事が甘々でも、最初に感じた温かい気持ちを定期的に思い出したくなる。なんかそんな気分だったんです!」
「なんかよく分からないけども……乙成が満足したなら……。てか、水瀬さんにセリフを言ってもらっても、結局ゾンビ化は解けなかったな?」
「そういえば! なんだかその事すっかり忘れてましたよ!」
あっけらかんと笑ってみせる乙成。実はほんの少し不安な気持ちだったんだ。もし水瀬さんに蟹麿の声をやってもらって、乙成のゾンビ化が完全に浄化されたらって……。
「きっとこれは、ずっと付きまとう問題なのかもしれないですね……でも私はそんなに絶望していないですよ?」
「なんで?」
「だって! また私の手がボロボロになっても、前田さんが治してくれるじゃないですか!」
水瀬さんの格好良い歌声をバックに、乙成が笑顔で俺の方を見る。ステージの照明が乙成の瞳にキラキラと反射していて色とりどりの表情を見せる。俺は、乙成の言ってくれた言葉がなんだかむず痒くて、思わず目を逸らしてしまった。
「これで好感度がマックスだったらな……」
「え?」
「あ、いやなんでも……!」
ポツリと呟いた言葉を、乙成に拾われてしまった。アカツキさんが言っていた「好感度」の話。あれでゾンビ化がどうとかはもう思っていないけど、それでもちょっとは気にしているんだ。
「父が言っていた話ですね。好感度がマックスならゾンビ化が治るって……突拍子もない話だとは思いますけど、少なくとも父は間違ってますよ?」
「間違ってるって?」
「だって、私の前田さんへの好感度は、とっくの昔にマックスになってるんですから!」
今日はやけにたくさん話してくれる乙成が、本日二度目となる俺をドキッとさせてきた。乙成にとって、ゾンビである事ってそこまで問題ではないのかも。俺はこの数ヶ月の間に起った、自分の立ち回りを思い出して少し恥ずかしくなった。
ゾンビだからとか、人間の姿じゃないからダメとかそんなのはもう問題じゃない。第一、俺が好きになったのは乙成なんだ。どんなに好きな理由をあげてもこれには及ばない。
乙成だから、乙成だから好きなんだ。
俺の大切な、大切なゾンビの女の子だ。
「……あ! この歌! 私の好きな歌です!」
一曲目が終わり、次の曲のイントロが始まった。先程の曲が格好良い系のロックナンバーだとすれば、こちらはキャッチーな雰囲気の曲だ。
「歌詞がとっても素敵なんですよねー! なんてことのない日々も二人でなら幸せって素敵ですよねっ!」
「なんか、俺達みたいだね」
ステージ前のスタッフ達は、水瀬さんが見える様にしゃがみ込んでいる。飛んだり跳ねたりする様な曲じゃないので、観客もニコニコ笑顔で体を揺らしていた。俺達はしゃがむ必要なんてないけど、一応邪魔にならない様に地べたに座る。そんな事しなくても、観客は水瀬さんしか見ていないけどね。
「……そうですね! まさに私達みたいです!」
その瞬間、俺は無意識で乙成の頬に手を添える。灰色の肌をしているけどふわふわモチモチの頬の感触が、指先から手のひらに、温もりと一緒に伝わってきた。
少しも驚く風を見せず、乙成は俺の手を受け入れ、目を細めて笑ってみせた。
そして
ゆっくりと目を閉じて俺達は始めて互いの唇を重ねたのだ。
大勢の観客は、俺達なんか見ていない。バックに流れる水瀬さんの甘い歌声に、ただただ酔いしれている。
「あいり、大好きだよ」
唇を離し、互いのおでこをくっつけたまま、俺は初めて自分の口から彼女の名前を呼んだ。
蟹麿じゃない。俺の声であいりと呼んだ。
「私も……私も大好きですっ! 廉太郎さん……!」
シュウウウ……
「あれ?! か、身体が……?!」
******
秋だ。少し物悲しさを感じる季節。来る途中の公園で、金木犀の甘い香りに癒されながら、俺は駅前で一人の女の子を待っていた。
「もうすぐ来るはずなんだけど……てか、池袋で待ち合わせはハードル高すぎたかな? 人が多くて見つけられない……」
行き交う人の多さに辟易しながらも、たまにはデートっぽく待ち合わせをしてみたいと言い出した彼女の要望を聞いて、今日は家から一人で池袋までやって来たのだ。
「予約の時間があるから、早いとこ合流しないと……あ! いたいた! あいり!」
俺の声に反応して、一人の女の子が振り返る。
黒く長い髪の毛に雪の様に白い肌。秋色っぽいベージュのカーディガンにチェックのスカートを履いたその姿があまりにも可愛くて、これから起こる楽しいデートの気分をより一層引き立てている様だった。
「前田さ……廉太郎さん! 良かったあ! 会えないかと思いましたよ!」
「やっぱり土曜日は人多いよな……さて! 行きますか! 心の準備は?」
「もちろん万全です! なんていったって、天網恢恢乙女綺譚の4周年アニバーサリーコラボカフェなんですから! 昨日もメニューをおさらいしました! 今日はドリンク全制覇しますよおお!」
「ハハ、そんなに飲んだら腹チャポチャポになるって!」
蟹麿の
「廉太郎さん」
「ん?」
「手、繋ぎましょう? デートなんですから!」
小さくてモチモチの手には、もう傷はない。代わりに光っているのは、ホワイトデーに俺が渡したブレスレットだ。
「うん! よろしくな、彼女さん!」
「ふふ、はい!」
「そういえば、なんでゾンビ化が解けたんだろうな?」
「急ですね! うーん……私も分からないですけど、一つ思い当たる節が……」
「何?」
人混みを器用にかい潜りながら、あいりは顎に手を置いて考える風にしてみせる。
「それは声! ゾンビ化を解く方法は、愛する人の、生の声だったんですよ!!」
いつぞやにも聞いたセリフを言いながら、あいりは笑顔でそう言った。
正直、ゾンビだった頃が少しだけ懐かしいと思う日もある。自分の声でしか浄化されない身体を持つ女の子。その特別さにちょっとだけ優越感を感じていたりなんかもしてた。
今も蟹麿の声はやる。でも目的は変わった。浄化の為じゃなく、あいりが喜ぶからだ。
この子が喜ぶ姿が見たい。だってこの子は俺の大切な……
大切な彼女なんだから。
アンデッドな彼女 完
アンデッドな彼女〜転生崩れの同僚がゾンビになって出社してきた〜 佐和己絵千 @sawakikaichi
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