第189話推しに会えるってこんな事になるんだ

「乙成ィィ!!!」



 漫画ばりの過剰演出で乙成の全身から汗が吹き出した。そしてそのままビターンと倒れる乙成。


「大丈夫か!」


「うう……前田さん……水瀬さんが……水瀬カイトさんが目の前に……ガク」


 憧れの存在に会えた事で召されてしまった乙成。抱き抱えた俺の腕の中でぐったりしている。なんてこった!


「大丈夫ですか……? ゾンビさん」


 またしてもおずおずと心配そうに俺の前へとやってくる水瀬さん。ゾンビさん、こと乙成を心配している様だ。 


「は、はう……! 眩しぃ……!」


 目を覚まして目の前に水瀬さんがいると分かって、目を覆う乙成。溢れ出る芸能人オーラとその輝きに目をやられてしまったと見える。


「すみません、この子水瀬さんの大ファンで……」


「ま、まろ様……」


 うわ言の様にまろ様と呟く乙成を座らせながら、俺は水瀬さんに簡単に説明をすると、蟹麿が好きと分かった水瀬さんは心なしか嬉しそうな表情に変わった気がした。


「はあ……はあ……前田さん、よく平気でいられますね?」


 落ち着きを取り戻した所で、乙成が口を開く。出ていった水分を補う様にガブガブと水を飲みながら。


「まぁ俺も最初は驚いたけども……」


「お二人とも、大丈夫ですか? すみません、驚かせちゃったみたいで……」


 水瀬さんが心配そうにこちらを見ている。まだ慣れないのか、ビクッと身体を硬直させる乙成ではあったが、先程までの動揺はしていない様で安心した。


「ほ、本物……前田さん、本物です……!」


 ギュッと俺の袖を掴んで離さない乙成は、憧れの推しに会えたというのに発情するどころかビビってる様である。もっとキャーキャー言ったりするかと思ったのに、この反応は予想外だった。


「水瀬くぅ〜ん! こんな所に! 探しましたよお!」


 遠くから走って来たのは、恐らく水瀬さんのマネージャーと思われる男性だ。彼は肩で息をしながら、ヘロヘロとこちらへ走って来る。


「あ、マネージャーさんです! それじゃあ僕はこれで……前田さん、本当にさっきはありがとうございました」


「ちょちょちょちょっと待って!」


 マネージャーさんの元へ向かおうとする水瀬さんを、つい引き留めてしまった。呼び止められた水瀬さんは何の事かと首を傾げている。


「前田さん、どうしました?」


「あの! 無茶なお願いって分かってるんですけど、この子の為に蟹麿の声をやってもらえませんか?!」


 自分でもなんでそんな事を言ったのか分からない。でも乙成がずっと憧れていた人が目の前にいるのだ。録音でも俺の声真似でもない、本物の蟹麿の声を聞かせてやりたい。無性にそう思えてならなかったのだ。


「蟹麿の声……? いいですよ、前田さんにはお世話になったので」


 そう言って、床に座り込む乙成の目の前にそっと近づく水瀬さん。乙成の目の高さまでしゃがみ込むと、先程までのビクビクおどおど水瀬さんは影を潜め、声優水瀬カイトになっていた。


「ゾンビさん、お名前は?」


「あ、えと……乙成、あいりです……」


「どの時のセリフがいいですかね? 多分ほとんどのセリフは頭に入っていると思うんですけど」


「あ、じゃあ……」


 乙成が考えている間も、水瀬さんは優しい笑顔でそれを待ってくれている。過激なファンには怯えていたが、ファン想いというのは本当なんだな。じゃないとあんな優しい顔なんて出来ない。


「まろ様……蟹麿が最初に仲間に加わった時のがいいです……」


「分かりました」


 コホンと一回咳払いをして、セリフを話す体勢に入る水瀬さん。考えている風にも見えなかったから、本当にセリフを全部覚えてるんだな。


『まったく……本当はこんな事をやっている程、僕は暇じゃないんだ。あの猿祐天に、をぶち込んでやらないといけないのに……。あいり、と言ったか? 僕は兜々良蟹麿つづらかにまろだ。その穢れとやらを一緒に退治してやる。あいり、よろしく頼むぞ』


「…………っ!」


 声にならない声を出して、口もとを抑えて喜びを噛みしめる乙成。その反応だけで満足と言わんばかりに、水瀬さんはニッコリ笑って立ち上がった。


「後でステージで歌うんです。前田さんも見に来てくださいね! あ、あと、とても可愛らしい方ですね……!」


 マネージャーさんの元へ走る水瀬さんは俺の横を通り過ぎる時に小声でこっそり耳打ちしてきた。彼女さんなんて呼び方されて少し耳が熱くなるのを感じた。今更だけどね。


「前田さん……! 水瀬さんが私に! セリフを言ってくれましたよ?!」


 水瀬さんが走り去った後。今だ地べたにペタリと座り込んだまま、乙成は歓喜の声をあげていた。目をキラキラさせて。

 


 ふと手元に目をやると、乙成の手にはゾンビ化の証である小さな傷が残ったままだった。


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る