第5話
†
「なんか、すまん事になっちまって」
ツネコさんを見送ってから、重たい沈黙を経て、梅村さんはそうぽつりと零した。
「いえ……こちらこそ」
再び沈黙が落ちる。俯いていると「美和ちゃん」と呼ばれたので、「はい」と答えた。
「あの、本当にな、ツネのいう事はそんな気にしてもらわんでも」
さすがに顔を上げた。
「どうしてですか」
「え」
「どうして、気にしなくていいになるんですか」
「あの」
「わたしは、もう白状しました」
「あう」
ぴしりと正座をして、わたしは梅村さんに向き直った。
腹は決まった。
「ちゃんと言います。わたしは、好きな人と一緒に朝御飯を食べると言う夢がかないました。嬉しかったんです」
「あ、ああ。うん」
「叶うはずのなかった夢がかなったんです」
梅村さんは、しっぽをぱたりと畳に一度叩きつけてから、ぴしりとお座りした。
「はい。それは、俺も嬉しかったです。うまかったですし」
「わたしは、できることなら、色んなややこしいこと全部抜きにして、梅村さんとやりたいことをしたい」
「……そうだな」
「これがいつまでもつことなのか分かりませんが、梅村さん」
「はい」
「わたしと一緒に、この先を生き切ってみませんか?」
梅村さんは、くしゃくしゃっと笑って、「くぅん」と鳴いた。
「先に言わせちまって情けねぇですが、ありがとう」
「はい」
「俺とふたりで、――いや金太郎もか、一緒に、この先の道をさんぽしてもらえんですか」
梅村さんのみっしりと密集した毛の奥で、肌が真っ赤になっている気配を感じる。それで、ちょっと意地悪したくなった。
「それだけですか」
「あう」
「出し惜しみしている言葉は、ありませんか? ほんとうに?」
「きゅううん」と梅村さんは頭を低く下げた。
「ほんと、どうにも敵わねぇな、美和ちゃんには――いや、ツネにもだけども」
「梅村さん」
「あのなあ、年のせいにはしたくねぇけど、俺は、こういうことを言葉にするのはどうにも苦手なんだが」
「梅村さん。もう一回死んでるんですから」
「いやまあ、そうなんだが……」
「清水の舞台から飛び降りた気で」
「ええ」
「はい、さんはい!」
「いや掛け声されても無理なモンは無理だ! そうカンタンにできるんだったら人間の形してるうちにちゃんと美和ちゃんにす」
「す?」
「あっ、いやっ、だっ。ちょっとまっ!」
「勘弁してくれ」と、梅村さんは完全に伏せてしまった。
ふふ、と笑いを噛み殺しながら、わたしは「梅村さん」と呼んだ。
「あのね、さんぽもいいですけれど」
「う、うん?」
「わたしと一緒に、わたしの田舎に帰るというのはどうでしょう」
「え?」
顔を上げた梅村さんに、わたしもぐしゃぐしゃの顔で笑って見せた。
「行きましょう、いけるところまで、御一緒に。命ある限り」
†
それから半月後、ツネコさんに部屋の鍵を返してから、わたしと梅村さんは「お世話になりました」と頭を下げた。
年も明けたし、空気は冷たいし、心も新たに旅立つにはいい頃合いなんじゃないかなと、わたしは空を見上げる。「さくら荘」の玄関先には、他の三人の住人も見送りに立ってくれていた。
「いやしかし、梅ちゃん第二の人生だなぁ」
「いや、犬生だろう」
「なんでもいいのよぅ。梅ちゃんと美和ちゃんが元気なら」
ツネコさんだけでなく、彼等三人も、こんな訳の分からない状態をあっさり受け入れてくれた。だから、この半月はとても楽しかった。またいつでも帰っておいでよう、なんなら遊びにおいでようと言ってくれる。その懐の大きさがありがたかった。
ツネコさんも満足そうな顔で頷き、「二人とも、達者でやるんだよ」とあっさりした言葉で見送ってくれた。
結局、梅村さんの遺骨はわたしが引き取らせてもらうことになった。
梅村さんはなんといっても足元のおぼつかない金太郎の身体の中にいるので、道中に負担がかかりすぎないよう、軽の自動車を中古で買った。
ふかふかすぎないドッグベッドを助手席におき、梅村さんを抱え上げてそこに座らせる。くるりと車のフロントを回って、わたしは運転席へ。がちゃりとシートベルトをはめ、キーを回すと、エンジン音と共にカーステレオからNirvanaのSmells Like Teen Spiritが流れ出した。
「――ほんと、美和ちゃん、若いわりに渋い趣味してんよなぁ。こういうの聴くんだもんなぁ。全然知らなかったよなぁ」
半笑いになりながらそういう梅村さんに、わたしはふふと笑う。
「ていうかさあ、俺ニルヴァーナもピストルズもピンクフロイドも世代ドンピシャだぜ? 何聞いてると思ってたんだよ」
「演歌」
「演歌かよ!」
「じゃなきゃ歌謡曲とか」
「聴かねぇよ?」
「だって、梅村さんの行きつけの居酒屋とか、そういうのばっかりかかってるじゃないですか」
「飯の好みと店のBGMは話がまた別だろうよ。美和ちゃん、いくら俺が年寄りだからってちょっとイメージが昭和に偏りすぎてねぇか?」
「昭和うまれでしょう?」
「いやそうだけども」
「ま、音楽に老いも若きもありませんよ。わかったつもりだったのを、実際にわかってください。わたしも梅村さんのこと、知っていきますから」
「ほんと、敵わねぇやな」
「じゃ、行きましょうか」
「愛してるよ」
「は⁉」
慌てて顔を向けると、視線の先で梅村さんは、前脚の中に顔を埋めて「きゅうん」と鳴いた。
(了)
さんぽみち。 珠邑ミト @mitotamamura
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