第3話

 朝。瞼の向こう側が明るい。いつの間に自分の家に帰っていたんだろうか。

 あの後、俺たちは駅前の飲み屋に行って、漫画の話で盛り上がって、それを肴に酒を浴びるように飲んだのは覚えている。なんの漫画が好き、だとか、どんな話を描いてみていかだとか、今までどんな漫画を描いたのかだとか、色々な話をした。友人にも話したことのない漫画の話をして、こんなに盛り上がるとは思ってもいなかった。自分のちっぽけな創作論を語ったりなんかして、それに気恥ずかしさを覚えながらも、素直に吐きだせることが嬉しかった。

 キョウカも漫画のことを話せる相手がいることが嬉しかったようで、楽しそうに語ってくれた。そんな彼女の笑顔を見るのが堪らなく嬉しかった。

 そんな昨日の余韻に浸りつつ、俺は重たい瞼を開けて、おぼろげな視界の中上半身を起こした。

 昨日は記憶にないほど酔ったまま帰ってきたからか、俺は一切服を身に着けていなかった。一つ伸びをする。妙に自分がベッドの端に寄っていることに気が付いて、違和感を覚えた。生まれつき体がデカい俺だから、セミダブルを買って余裕はあるが、いつもなら真ん中に寝て、そんなに寝相の悪い方でもないから、こんな端に寄るなんてことは――


「……!」


 驚いた。

 隣に女性が寝ていた。しかも俺と同じ全裸で。

 混乱した。まったく記憶にない。

 所謂これってお持ち帰りってヤツか? 女性は俺に背を向けているから容姿などはわからないが、昨日キョウカと飲んだということから、この裸の女性はキョウカなのだろう。

掛け布団が少しはだけて覗くその白い肩は、つるりとしていて陶磁器のようだった。その白い肌の中にいくつか、ちょうど首元のところに赤い痣のようなものが見える。キスマークだ。昨日俺が付けたものだろうか。まったく記憶のない自分に恐ろしくなった。

とりあえずベッドから出ると、床には女性ものの下着が散乱していた。それだけでなく、俺の服や、俺の服にしては小さい服も落ちている。これでベッドの中のキョウカが全裸であることが確定してしまった。

俺はそのことに少し興奮を覚えながら、落ちているピンク色のブラジャーを拾い上げた。興味本位でそれを鼻に近づけて、嗅ぐ。匂いは薄かったが、たしかに香る女の匂い。

 その瞬間、キョウカが寝返りをうった。俺はいかんと思って、そのブラジャーをそっとキョウカのそばに置いた。

 立ち上がると少し頭痛がしたが、酒はもうほとんど抜けているようだった。記憶は飛ばすが、次の日には絶対に持ち越さない体質に感謝しながら、コーヒーでも飲もうとキッチンへ向かう。その途中にはゴミ箱があって、昨日俺が吐き出したものを処理したティッシュが丸めて捨ててある。量を見るに三回分だが、それに加えてキョウカまで抱いてしまうとは、自分の節操のなさにほとほと呆れてしまう。

 掛け時計の時刻を見た。午前9時を少し過ぎたくらい。今日の俺の講義は午後からだから、いつもよりもむしろ早起きなくらいだった。

 作り付けの戸棚からマグカップを取り出して、サーバーの上にドリッパーを重ねる。適当に輪ゴムで留められた粉末コーヒーの袋から豆をフィルターに入れて、ケトルに水を入れてスイッチを押す。ケトルが湯を沸かし始めて、ゴーっと喧しい音を鳴らす。

 ベッドの方からも物音がして、俺がそっちへ目をやると、ちょうどキョウカがその身を起こしたところだった。掛け布団は重力に従って膝の上に落ちて、その真っ白な裸体が露わになっていた。さっきは肩しか見えなかったが、胸元にも赤いキスシーンが点在していた。

 白い乳房は朝日を浴びて一層白く輝いて、その谷間に深い影を落としていた。その大きさに目を奪われてしまった。昨日目にしているハズなのに、記憶にはないから初めて見たような新鮮さで、情欲が鎌首をもたげた。何カップなんだろう、とか俗なことを考えてしまう。

 ケトルがかちりと鳴った。ようやくキョウカは意識がはっきりとしてきたのか、その眼を擦って大きな瞳で俺を見た。がっちりと合う視線。キョウカは状況を理解したのか、急激に顔が赤くなっていく。その綺麗な金髪を振り乱して胸を隠した。

 そういえば、俺もまだ全裸なのだった。気まずい空気が流れる。


「あー、えっと。おはよう」

「おはようございます……」


 キョウカは俺に背を向けてブラジャーを着けていた。なぜか敬語で返されてしまって、距離感を感じてしまい悲しくなる。


「ここ俺の家なんだけど……。昨日のこと、覚えてる?」

「はい、なんとなく……」


 ぎこちない会話が続く。キョウカは掛け布団を体に巻き付けて、自分の服を探していた。俺もせめてパンツは履きたいが、今キョウカのそばまでいってパンツを拾い上げようとしたら、警戒されてしまうだろう。

 俺は全裸のままケトルからドリッパーにお湯を注ぐ。


「あー、コーヒーでも飲む?」

「……はい」


 掛け布団の中でモゾモゾとしていたキョウカがその布団をとると、中からはしっかりと衣服を身に着けた彼女が姿を現した。器用なもんだ。

 彼女がコーヒーを飲むと言うので、もう一つマグカップを取り出そうと、戸棚を開ける。元カノが使っていたもので申し訳ないが、来客用に使えるのはそれくらいしかない。

 俺が黙ったままコーヒーを淹れてると、後ろから大音声が聞こえてきた。


「あ、時間やばっ!」


 その声に驚いて振り向くと、どたばたとキョウカが荷物をまとめて動き回っていた。


「ごめんなさい、失礼します!」


 そう言って彼女は驚く俺の横をするりと抜けて、玄関から外へ出てしまう。

 帰ってしまった。そのあまりに急な出来事に、俺は呆然としたまま立ち尽くした。


 彼女が帰ってしまって、俺は一人コーヒーを飲んでいた。あれは一夜の過ちだったのだろうか。何も覚えていないが、記憶はあるという彼女がああやって逃げ出したくらいだ。酔いの勢いだったということだろう。

 虚しさを洗い流すようにコーヒーを飲み干す。マグカップを机の上に置いて、俺はぼーっと部屋を眺める。ここで本当にキョウカと情事が行われたんだろうか。妙にがらんとして感じる部屋の隅には、見慣れた封筒が置いてあった。

 俺はそれを取り上げる。


「あ、これ……」


 封筒はキョウカが忘れたものだった。昨日、俺がコンビニで拾い上げたものだ。中には変わらずスクリーントーンが入っていて、明らかな忘れ物だった。

 そんなキョウカの残り香と言えるような封筒を見ると、余計に虚しくなってしまう。俺は本当に昨日あの美しい裸体を抱いたのだろうか。さっき見たあの裸体を思い出すと、昨日三回シコってキョウカも抱いたハズなのにムラムラとしてくる。それほどに魅力的な体だった。

 俺はティッシュを取り出してパンツを下ろし、キョウカの姿を思い出しながら自慰をした。

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