第6話
「好きだ」
「へ?」
口からついて出た言葉に、キョウカのみならず俺自身も驚いていた。今言うつもりはなかった。しかし、今言わないとキョウカがどこか遠くへ行ってしまうような気もした。だから勝手に口が動いた。
「……えっと」
「あっ、違うんだ。いや違わないけど」
困惑するキョウカに、俺も焦ってしどろもどろに返してしまう。俺もまさか今告白してしまうなんて思ってもいなかったから、どうしたらいいのか分からなかった。
この際、吹っ切れてしまえ。そう思い、俺は深呼吸をひとつした。
「好きです。付き合ってください」
俺はカゴを胸に抱えたまま呆然とするキョウカの眼をまっすぐと見て言った。
「え……?」
キョウカの反応は芳しくなかった。そりゃそうだろう。こんな脈絡もなく、ムードやシチュエーションなんてまるで無視した告白に、イエスと答える女子は何人いるだろうか。
俺は半ば諦めていた。運よくこうして二回も会えているが、この先はないんだろうと思っていた。
「あの、私たち付き合ってるんじゃないの……?」
「え?」
しかし、キョウカの反応は斜め上だった。
俺たちが付き合っている? いつから?
「そうなの?」
俺は素っ頓狂な声でキョウカに聞いた。
「うん、あの日の夜、付き合おうってなったんじゃないの?」
そう言うキョウカの顔は真っ赤に染まっていた。あの日の夜、というのは二人で飲んだ後俺の家に来てからのことだろうか。俺の記憶が全くない、あの。
「そうだったの……?」
「うん。え、もしかして酔った勢いだったの?」
急激にキョウカの表情が冷めたものに変わっていって、俺の背筋も凍った。
酒の勢いというか、もはや覚えていません。なんて素直に口にしたらどうなってしまうのだろうか。
「いや、その……。記憶にないというか……」
「へぇ、そうなんだぁ。私にあんなこと言わせといて……」
あんなことってなんですかっ! 俺は酔ったまま何をしでかしてしまったんだ!
「その、ごめん……」
「んー、結構ショックだけど……。まぁ、いいよ。今の告白も結構キュンときたし」
俺が頭を下げると、キョウカはイタズラっぽい笑みを浮かべて言った。そんな様子に俺は不覚にもドキリとしまう。あの冷めた表情はどこへやら、ひょっとして演技だったんだろうか。
「おかしいなとは思ったんだよね。あんな積極的だったくせに付き合ってからはなんか奥手だし」
「ぐ、ごめん」
キョウカの言葉に俺は返すことばがなかった。ぐうの音も出ないとはこのことだ。告白したくせに酔い過ぎで覚えていないとか最低じゃないか。俺はさっき以上に劣等感というか罪悪感で押しつぶされそうだった。
「あはは、落ち込んでるね」
「そりゃあ、だって」
「私がいいって言ってるのに?」
俯く俺をキョウカが下から覗きこんでくる。金色の髪がふわりと揺れていい匂いがした。
「顔上げて。飲みにでも行こうよ」
そう言ってキョウカは俺の頬を両手で挟むようにして持って、ぐい、と無理矢理に顔を上げさせた。
「ね?」
「うん」
笑うキョウカに俺もぎこちなく笑い返した。
◇
「じゃあ、改めて今日が記念日ってことでね」
ジョッキを掲げたキョウカがそんなことを言う。俺たちは画材を買った後に、以前と同じ居酒屋まで来ていた。
「ほんとごめん……」
「もー、いいってば! ほら、乾杯!」
キョウカがジョッキを持っていない方の手で俺の腕をつかみ、俺のウーロンハイが入ったグラスとキョウカのジョッキを無理矢理ぶつけさせる。その拍子にビールの泡がキョウカの胸に飛んでいって、その豊かな膨らみに着地した。
「……えっち」
ビールを飲み干したキョウカが俺の視線に気づき、ジト目で俺を睨んだ。その様子すらも可愛らしくて、まだ一滴も飲んでいないはずなのに顔が火照ってきた。
俺もその火照りを洗い流すようにウーロンハイに口をつける。濃い目のウーロンハイが喉にきて、俺は、むせ返りそうになった。
「今日は飲み過ぎて記憶トばさないようにねぇ?」
なんてキョウカがからかうように言うから、俺は少しだけ酒を飲むペースを落とした。
◇
そうして飲み過ぎではないほど良い酔いで、俺たちは居酒屋から出た。二件目で飲み直す、という雰囲気でもなくて、ただ目的もなく駅から離れるように歩いていく。
「……このあとどうしよっか」
酔いが回ってぼんやりとする頭で、キョウカの言葉を咀嚼する。このあと、このあとかぁ。
「俺の家は?」
「……いいよ。明日の講義午後からだし」
酔いに任せて言った言葉は、すんなりとキョウカに受け入れられてしまった。
初めてキョウカを飲みに誘った交差点を右に曲がって、俺のアパートを目指す。酔って千鳥足気味な俺とは対照的にキョウカはしっかりとした足取りで、たまに、そこ段差あるよ、なんて優しく教えてくれた。
どうもキョウカは酒豪らしい。思い返してみれば乾杯のときから一気飲みしていたし、決して酒が弱くはない俺以上の酒量ではっきりとしているのだ。常人よりはるかに強いことは明らかだった。
「着いた」
目の前には見慣れたアパートが鎮座していた。
「また来ちゃった」
家のドアのカギを開けてキョウカを中にエスコートすると、キョウカがそういってはにかんだ。
「んっ」
「っうぁ」
俺たちは靴も脱がずに狭い玄関で抱き合い、どちらからともなくキスをした。
「っ――」
「……っはぁ」
濃厚に絡み合う舌は酒の匂いがする。
「っぷは、ねぇ、今日はちゃんと覚えてられる?」
「……多分」
唇を離すと銀の橋が二人の唇の間に架かった。キョウカの問いに、俺は応えられる自信はあまりなかったが、それでもどうにかこの夜だけは覚えておこうと思った。
「待って、今靴脱ぐから」
俺が靴を脱いで部屋の扉を開けようとすると、キョウカが後ろから呼び止める。彼女が今日履いているのは革のブーツで、たしかに脱ぐのに一苦労しそうだった。
「肩貸してー? ありがと。ん、よいしょ」
俺の肩を支えにして器用に片手でブーツを脱いでいくキョウカ。その姿勢は前かがみになって、緩んだ胸元から赤いブラジャーが見え隠れしていた。
「ねぇ、なんですかコレ」
かがんだキョウカの視界にちょうど俺の股間がきてしまったようで、俺の愚息がズボンを押し上げているのが見られてしまった。
「もう……」
ブーツを脱ぎ終わったキョウカは仕方ない、といった風に笑って俺の腕をとって部屋に引っ張っていった。
「ねぇ、ほんとに覚えてないの?」
「……うん、ごめん」
俺はキョウカにベッドへ押し倒される。キョウカは俺の胸板にグリグリとおでこをこすりつけながら言う。俺はそんなキョウカのつむじに言葉を返した。
「じゃあ、今日は絶対忘れないでよ」
そう言って身を起こしたキョウカは俺に馬乗りになって、するすると服を脱いでいった。
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