第5話
今日はとうとうキョウカと会う日だった。俺はわざわざ新しい服をおろして、美容院まで行って、完璧な仕上がりで今日を迎えた。興奮して眠れずに少しクマがあるのはご愛嬌。
集合時間の15分前に集合場所に到着して、ウロウロしながら時間を潰す。駅前のコンビニでお茶を買って、キョウカとのトーク画面を開いていると、ちょうどメッセージが送られてくる。
『着いたよ!』
そのメッセージを見て、どこにいるのか探そうと顔を上げる。
その瞬間、後ろから衝撃。
「タイガ!」
「おわっ!」
後ろからキョウカに押されたのだと分かったのは、振り向いて彼女と目が合ってからだった。
「お待たせ」
「いや、待ってない」
なんてありきたりな会話をしてキョウカと一緒に歩き出す。キョウカは大学終わりなのか、教科書やら美術書が入った生成り色の肩掛けのカバンを持っていた。まあ、かく言う俺も大学終わりにここに来ている。平日だからさもありなん。
キョウカはデフォルメされた犬がプリントされたTシャツに、ロングのデニムスカートというシンプルながら個性的な出で立ちで、その綺麗な金髪がよく映えていた。
「まっすぐ画材屋さん向かう?」
その豊満な胸のせいでパツパツに延ばされたTシャツの犬と視線を合わせていると、キョウカがそう言ってきた。
「俺はそれでもいいけど、他にどっか行きたいとこあるの?」
「お茶でもしようかなって」
「いいね。そこのコーヒーショップでも寄る?」
そうして俺たちは駅に併設されているコーヒーショップに行くことになった。
「タイガってコーヒー好きだよね」
コーヒーを注文した俺たちは向かい合わせに席に座って、ついでに買ったケーキを頬張りながら話していた。
「え、俺コーヒー好きって言ったっけ?」
確かに俺はコーヒーが好きだが、ラインでもキョウカには言ってないハズだ。いつどこでその情報知ったんだろうか。
「ほら、朝コーヒー淹れてくれたじゃん。わざわざ豆から淹れてたし、好きなのかなって……」
そう言うキョウカはだんだんと顔を赤く染めていく。きっとあの日の朝、裸を見られたことを思い出したのだろう。裸を見られる以上のことをしているハズなのに、そんなことでも恥ずかしがる彼女が可愛らしくて堪らなかった。
「豆からって言っても粉末だしさ。本当ならちゃんと豆を挽いてから淹れたいんだよね」
なんて言ったあとで、カッコつけすぎたかと後悔する。
「へぇー! かっこいい!」
しかし、そんな俺の内心とは裏腹にキョウカは屈託のない笑みを浮かべた。
「私はね、ケーキが好き」
「はは、見たらわかる」
「えー、なんでー!」
そう言って満面の笑みを浮かべてケーキを頬張るキョウカは、クリームを口の端につけていた。その様子でケーキが好きなんだろうことは手に取るようにわかった。
◇
コーヒーとケーキを堪能し俺たちは、その後目的の画材屋にやってきた。
「やっぱいつ来ても楽しいよねぇ、このお店」
そう言ってキョウカは棚に視線を合わせるために屈んだ。そうすると彼女豊満な胸が強調されて、更に肩掛けカバンのせいで谷間がより深く際立ってしまう。
「パイスラだ……」
「ん? なんか言った?」
「いや、なんでも」
危うく俺の漏れ出た呟きが聞かれるところだった。
「油絵の具?」
できるだけキョウカの胸から意識を逸らしつつ、キョウカが見ている商品棚を見る。キョウカが見ていたのは油絵の具だった。
「そう。私油絵専攻なんだ」
「へぇ、そうだったのか」
そういえば漫画を描くこと以外の、キョウカの大学で描いてる絵のことなんかは聞いていなかった。
「油絵ってどんな感じなんだ?」
「んー、なんだろね。油絵の具使ったことは?」
「ないない」
俺が使ったことのある絵の具なんて、小中学生のときの水彩絵の具と、高校でアクリルガッシュを使ったくらいだ。
「どんな感じ、かぁ。一口で言うのは難しいけど、振り幅を持たせられるところかなぁ」
「へぇー」
漫画以外にも、キョウカが描いた絵を見てみたいと思った。絵のことを語るキョウカは、難しいなぁ、なんて言いつつも楽しそうに話していた。そんなキョウカの横顔から見える笑顔は美しく、それに見とれてしまって話の内容なんて全然頭に入ってこなかった。
「タイガは今日は漫画用の画材買うの?」
「うん、そのつもり」
キョウカと一緒に油絵のコーナーから離れ、漫画用の画材が置いてあるコーナーに向かう。Gペンやらそのインクやら、スクリーントーンにモデラ―ナイフ、そして原稿用紙と一通りのものをカゴに入れていく。実家から持ってきても良かったが、この際新品を買ってしまおうということで、すべて必要なものはここで揃えた。
「ねぇ、タイガはどんな漫画描きたいの?」
最後に原稿用紙を手に取ったところで、キョウカがそう尋ねてきた。しかし、俺はその答えに詰まってしまい、なかなか答えられずにいた。
「えーっと……」
「まだ決めてない?」
「うん……」
俺はここで答えられないことが何か恥ずかしいことのように思えてきた。ただただ漠然と描こうと思った、ただの思い付きだ。それに比べて片やキョウカは芸大生だ。そもそもが目的を持った進路をとっているのに、一方の俺はただ勉強が周りよりもできたからと言う理由で進学していた大学で生ぬるく過ごし、ヘラヘラと漫画でも描こうかななんて言っているだけだ。とんでもなく劣等感を感じる。
「き、キョウカは描きたいのとか、あるの?」
苦し紛れに聞く。せめて漫画は俺と同じようにぼんやりしたビジョンであってくれ、ゲスいことを考えてしまう。
「私はね! 王道の少女漫画が描きたいの!」
しかしそうなのだ。キョウカはそんな俺の下衆な考えでは遠く及ばないほど崇高なのだ。ハッキリとした夢を語る彼女の姿は太陽のようにまぶしかった。
そして、俺はそんな太陽のような彼女に――。
「好きだ」
「へ?」
――そんな彼女に恋をしたのだ。
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