幻想小説家・朝霧暮人の執筆録 −死を招く作家−

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

 その女流作家が書く物語からは、常に死の香りがするという。


「だとさ」

「何それ? 新手のホラー小説?」


 座椅子の背もたれごと倒れ込むようにデロン、と床に延びた幼馴染の顔をのぞき込んで言ってやると、幼馴染……朝霧あさぎり暮人くれとは目をパチクリさせながら流星りゅうせいの言葉に答えた。


 どの時期、どの時間帯に訪れても薄暗い、朝霧家の書庫でのことだった。篠崎しのざき流星の幼馴染であり、『小説家』という肩書を持つ朝霧暮人は、このどこか陰気臭い書庫を仕事部屋としている。


 そう、小説家。小説家なのである。今流星の目の前で座椅子ごと床に延びている、この自堕落な生物は。


 そんな生物の『おもり』と各方面に認識されてしまっている流星は、漏れ出る溜め息を噛み殺しながら何とか言葉を声に出した。


「今さっき説明しただろ? 取材してこいって言われてる作家先生の話だよ」

「え。流星、お前いつからライター業なんて始めたの」


 対する暮人はあおのくように転がったせいで目元からズレた丸メガネもそのままに、真顔で『俺の商売敵じゃん……』と小さく呟いた。


 その言葉に、ついに流星の中で『ブチッ』と盛大な音が上がる。反射的に流星は手にしていた書類を暮人の顔面に向かって叩き落とすと遠慮のない怒声を張り上げた。


「ちっげぇよ! 延々仕事しようとしねぇお前のギアをかけるためにお前の担当宮越さんが用意してくれた企画の話だっつの!」

「何で俺の仕事の打ち合わせが俺じゃなくて流星の方に行ってるの」

「お前が延々くだ巻いて仕事しねぇからだろっ!!」


 こんな時だけ動きが素早い流星は、ダレた姿勢のまま首を最低限動かすだけで流星の奇襲をかわす。その何もかもが面白くない流星は、暮人の顔を覗き込むように仁王立ちになったままビシッと流星の眉間に指を突きつけた。


「そもそもな! なーんでお前の幼馴染ってだけの俺が! お前の保護者兼秘書兼護衛兼ハウスキーパーみたいな真似をしなきゃなんねぇんだよっ!」


 そう、朝霧暮人は小説家だが、その幼馴染である篠崎流星はただのしがない大学生である。


 だというのに気付いた時には、『朝霧先生の原稿が全然上がってこないんですー!』と暮人の担当編集から流星のスマホに泣きの電話が入り、『バカ息子の様子はどうかしら?』『元気にやっているかね』と自宅を不在にしがちな暮人の両親から暮人の様子を確かめる電話が入るということが日常と化していた。


 さらには万事に対してズボラである暮人は放っておくと自分の世話もろくにできないため、定期的に訪問してやらないと自宅内で干からびている可能性が高い。今日だって三日空けたせいで屋敷の中はグッチャグチャ、暮人本人はグッダグダである。


 おまけにそのグッダグダぶりは自宅内だけではなく外出先でも発揮されるため、外出中も誰かが世話を焼いてやらなくては周囲に多大な迷惑をかけることになる。


 さらに厄介なのは暮人の外見だ。


 中身はともかく外見だけは『薄幸の美青年』という言葉がこの上なく似合うこの不思議生物は、ただそこにいるだけでありとあらゆるトラブルを引き寄せる。そのトラブルを仕方がないから片っ端から解決していたせいで、『朝霧暮人の外出には篠崎流星の同伴が必須』という謎の認識が周囲に刷り込まれてしまった。


 結果、流星に勝手に付けられた肩書が『小説家・朝霧暮人の保護者兼秘書兼護衛兼ハウスキーパー』である。大変不本意なことこの上ない。


「いつもありがとう、オカン」

「誰がオカンじゃい!」


『こんなデカブツ産んだ覚えねぇっつの!』と座り込むついでに暮人の額に手刀を落とす。書類は避けたくせに流星の手刀は避けなかった暮人は『イテッ』と小さく呟きながらキュッと眉間にシワを寄せた。


「で。お前、今何の原稿を出し渋ってるわけ?」


 暮人の頭の隣にあぐらをかいて座った流星は、諦めの溜め息をつきながら問いを投げる。


 仕事をするようにうながそうにも、まずは状況を把握し、暮人が受け入れる形でさとしてやらなければいつまで経っても話は進まない。暮人の編集担当である宮越みやこしさんに今以上に胃薬を常飲させるのはさすがに可愛そうだし、何だかんだ言って『小説家・朝霧暮人』の新作を待ち望んでいる一読者としては、作家先生の筆が乗らないのは由々しき事態でもある。


「この間のホラー物の続きか? それともしばらく前に出したファンタジーの方? 新作でサスペンスだかミステリーだかのお誘いも受けたって言ってなかったか?」

「ちょーっと待って、流星。聞き捨てなんない」


 そんなことを考えながらつらつらと己が把握しているだけの情報をぶち撒ける。


 その瞬間、今度は暮人の指がピッと流星の眉間に突き付けられた。


「流星、『朝霧暮人』は『幻想小説家』なの」


 そう切り出した暮人は、酷く真剣な顔をしていた。


 たったそれだけで、暮人を取り巻く空気がスルリと切り替わる。今までユルリとたるんでいた糸が、急にピンと張り詰めてギリギリと引き絞られる幻聴が聞こえたような気がした。


「俺が書くモノは、ホラーでもファンタジーでもサスペンスでもミステリーでもなく、どれも『幻想小説』なの」


 何が変わったわけでもない。座椅子ごと床に倒れ込んだ自堕落な姿勢のまま、暮人はひたと流星を見据えている。


 だがたったそれだけで、この仄暗い部屋を埋め尽くした数多の本達が、流星に牙を剥いたような気がした。


「……いや、お前は毎回そう言うけどさ」


 が暮人とこの空間が作り出す幻覚ではないことを、流星は知っている。


 だがそれを知っていてもなお、流星は暮人とを挑発するように口を開いた。


「現にお前がこの間出した本はホラー棚で売られてるし、その前に出した本は『現代ファンタジー』って銘打たれて売り出されてただろ? 新規の執筆依頼だってサスペンス物、ミステリ物って指定を受けてたわけだし」


 暮人の言葉に、部屋を埋め尽くす本の間からジワリと影がにじみ出したような気がした。ページとページの間、文字のひとつひとつを形作るインクがデロリと溶け出して滴るかのように、元から薄暗い部屋の中がゆっくりゆっくり闇に沈んでいく。


 それでも流星は、言葉を止めない。理解していて、止めない。


「結局のところ、お前が言う『幻想小説』って、何なんだよ?」


 そんな流星から真っ直ぐに向けられる視線に、暮人がわずかに目をすがめたのが分かった。レトロな丸メガネの下から流星を見上げる瞳に、一瞬何と分類していいのか分からない感情が滲む。


 だがその変化を流星が感じられたのは、本当に一瞬だけだった。


「『幻想』っていうのはね、『不可思議』そのものだよ」


 暮人がそう口にした瞬間、パンッという鋭い音が鳴り響いた。


 ハッと我に返って改めて暮人に視線を据え直せば、暮人はニコニコと笑いながら両手を胸の前で合わせている。どうやら今の音は暮人が両手を打ち鳴らした音であったらしい。暮人を注視していたつもりだったのに、逆に暮人の瞳に見入りすぎてしまっていて、暮人の腕の動きに気付けていなかったようだ。


「俺が書くの物語は、世界にあふれている『不可思議』をすくい取ったモノだよ。不可思議達に『物語』という器を与えて、そこに定着させてやる。それが結果として『原稿』やら『本』やらと呼ばれるモノになる」


 部屋の中は、いつの間にか常の薄暗さを取り戻していた。ソロリと背後に視線を投げれば、所構わず乱雑に押し込められた書物達はしんと静まり返っている。先程まで流星が見ていた幻影の欠片は、今はどこにも見えない。


「だから俺はさ、掬い取る『不可思議』がないと原稿が上がんないの。俺に書いてほしい原稿があるなら、それに相応しい不可思議の所へ俺を連れていってもらわないと」


 そううそぶいて、暮人は座椅子ごと床に延びたまま頭の後ろで両手を組んだ。微睡まどろむようにまぶたが閉じられた顔には、ひなたぼっこを楽しむ猫のごとき風情ふぜいが滲んでいる。


 ──他の作家がこんなこと言い始めた日には、『何を屁理屈を』って眉をひそめられるんだろうけども。


 残念ながら暮人が『幻想小説家』を名乗る前から幼馴染をやっている流星は、今の発言がただの屁理屈でないことを知っている。


 ──何ならこいつが『幻想小説家』を名乗るようになった契機が俺にあるわけだからなぁ……


 だから仕方なく今日も、流星はをその気にさせるべく口を開いた。


「だから、その不可思議の所に連れてくって、最初から言ってんだろ」


 流星が床に叩き付けた書類を改めて暮人の顔の前に広げると、暮人はようやく書類に目を向けてくれた。だが暮人は書類を一瞥いちべつすると、文字を追うことなく流星へ視線を向け直す。


 あくまで流星からの説明を求める暮人の態度にもうひとつ溜め息を上乗せして、流星はもう一度説明を口にした。


「宮越さんからは『企画』って形で話を聞いた。お前の筆が動き出すように、お前が興味を持ちそうな対談を用意したから、その内容を対談記事にしてくれないかって」


 今度こそ自分の説明が暮人の耳に届いていることを暮人の表情で確かめながら、流星はひとまず簡単に事のあらましを語る。


「でも送られてきた企画資料を読んだ感じ、これは『小説家・朝霧暮人への企画』という皮を被った『依頼』だ」


 暮人はそんな流星を真っ直ぐに見上げていた。丸メガネの下に押し込められた暮人の瞳の中には、流星の顔が映り込んでいる。


 その顔が、不意に真剣味を帯びた。 


「封印師・朝霧暮人へのな」


 あるいはそれは、暮人の瞳にたたえられた感情が動いたからこそ生まれた変化だったのか。


「なんだ。宮越さんもそうならそうとハッキリ言ってくれればいいのに」


 フワリと、暮人の口元に淡く笑みが浮いた。その代わりにスルリと、暮人の周囲から人間らしい空気が消える。


 ヒトらしさ。


 それが『温もり』であるのか、あるいは『親しみやすさ』なのか、流星はいまだに分からない。


 分からないけれども、今の暮人から普段の暮人を構成している『何か』が欠けたことだけは、分かる。


 今度の暮人は体勢はおろか、語調のひとつさえ変えていないというのに。


「そうであるならば、話は別だ」


 クスクスと日本人形を連想させる温度で笑った暮人は、その笑みを浮かべたまま流星へ続きをうた。


「そこにべきネタがあるなら、俺はね?」

「筆が乗ったならば何より。だが」


 だから流星は、『おもり』としての役目をまっとうすることにした。


「まずはその薄気味悪い笑みをしまえ」

「アダッ!!」


 スコンッと暮人の額に手刀を落とす。今回も無防備に流星の手刀を眉間で受けた暮人は、ギュッと一度目をつむってから、若干涙が浮いた目でギッと流星を睨みつけたのだった。




 これは『書く』ことによって不可思議を祓う幻想小説家と、幻想小説家の『おもり』である平々凡々な青年の、とある作品執筆の舞台裏の話である。


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