幻想小説家・朝霧暮人の執筆録 −死を招く作家−
安崎依代@1/31『絶華』発売決定!
序
その女流作家が書く物語からは、常に死の香りがするという。
「だとさ」
「何それ? 新手のホラー小説?」
座椅子の背もたれごと倒れ込むようにデロン、と床に延びた幼馴染の顔を
どの時期、どの時間帯に訪れても薄暗い、朝霧家の書庫でのことだった。
そう、小説家。小説家なのである。今流星の目の前で座椅子ごと床に延びている、この自堕落な生物は。
そんな生物の『おもり』と各方面に認識されてしまっている流星は、漏れ出る溜め息を噛み殺しながら何とか言葉を声に出した。
「今さっき説明しただろ? 取材してこいって言われてる作家先生の話だよ」
「え。流星、お前いつからライター業なんて始めたの」
対する暮人は
その言葉に、ついに流星の中で『ブチッ』と盛大な音が上がる。反射的に流星は手にしていた書類を暮人の顔面に向かって叩き落とすと遠慮のない怒声を張り上げた。
「ちっげぇよ! 延々仕事しようとしねぇお前のギアをかけるために
「何で俺の仕事の打ち合わせが俺じゃなくて流星の方に行ってるの」
「お前が延々
こんな時だけ動きが素早い流星は、ダレた姿勢のまま首を最低限動かすだけで流星の奇襲をかわす。その何もかもが面白くない流星は、暮人の顔を覗き込むように仁王立ちになったままビシッと流星の眉間に指を突きつけた。
「そもそもな! なーんでお前の幼馴染ってだけの俺が! お前の保護者兼秘書兼護衛兼ハウスキーパーみたいな真似をしなきゃなんねぇんだよっ!」
そう、朝霧暮人は小説家だが、その幼馴染である篠崎流星はただのしがない大学生である。
だというのに気付いた時には、『朝霧先生の原稿が全然上がってこないんですー!』と暮人の担当編集から流星のスマホに泣きの電話が入り、『バカ息子の様子はどうかしら?』『元気にやっているかね』と自宅を不在にしがちな暮人の両親から暮人の様子を確かめる電話が入るということが日常と化していた。
さらには万事に対してズボラである暮人は放っておくと自分の世話も
おまけにそのグッダグダぶりは自宅内だけではなく外出先でも発揮されるため、外出中も誰かが世話を焼いてやらなくては周囲に多大な迷惑をかけることになる。
さらに厄介なのは暮人の外見だ。
中身はともかく外見だけは『薄幸の美青年』という言葉がこの上なく似合うこの不思議生物は、ただそこにいるだけでありとあらゆるトラブルを引き寄せる。そのトラブルを仕方がないから片っ端から解決していたせいで、『朝霧暮人の外出には篠崎流星の同伴が必須』という謎の認識が周囲に刷り込まれてしまった。
結果、流星に勝手に付けられた肩書が『小説家・朝霧暮人の保護者兼秘書兼護衛兼ハウスキーパー』である。大変不本意なことこの上ない。
「いつもありがとう、オカン」
「誰がオカンじゃい!」
『こんなデカブツ産んだ覚えねぇっつの!』と座り込むついでに暮人の額に手刀を落とす。書類は避けたくせに流星の手刀は避けなかった暮人は『イテッ』と小さく呟きながらキュッと眉間にシワを寄せた。
「で。お前、今何の原稿を出し渋ってるわけ?」
暮人の頭の隣にあぐらをかいて座った流星は、諦めの溜め息をつきながら問いを投げる。
仕事をするように
「この間のホラー物の続きか? それともしばらく前に出したファンタジーの方? 新作でサスペンスだかミステリーだかのお誘いも受けたって言ってなかったか?」
「ちょーっと待って、流星。聞き捨てなんない」
そんなことを考えながらつらつらと己が把握しているだけの情報をぶち撒ける。
その瞬間、今度は暮人の指がピッと流星の眉間に突き付けられた。
「流星、『朝霧暮人』は『幻想小説家』なの」
そう切り出した暮人は、酷く真剣な顔をしていた。
たったそれだけで、暮人を取り巻く空気がスルリと切り替わる。今までユルリと
「俺が書くモノは、ホラーでもファンタジーでもサスペンスでもミステリーでもなく、どれも『幻想小説』なの」
何が変わったわけでもない。座椅子ごと床に倒れ込んだ自堕落な姿勢のまま、暮人はひたと流星を見据えている。
だがたったそれだけで、この仄暗い部屋を埋め尽くした数多の本達が、流星に牙を剥いたような気がした。
「……いや、お前は毎回そう言うけどさ」
それが暮人とこの空間が作り出す幻覚ではないことを、流星は知っている。
だがそれを知っていてもなお、流星は暮人と彼らを挑発するように口を開いた。
「現にお前がこの間出した本はホラー棚で売られてるし、その前に出した本は『現代ファンタジー』って銘打たれて売り出されてただろ? 新規の執筆依頼だってサスペンス物、ミステリ物って指定を受けてたわけだし」
暮人の言葉に、部屋を埋め尽くす本の間からジワリと影が
それでも流星は、言葉を止めない。理解していて、止めない。
「結局のところ、お前が言う『幻想小説』って、何なんだよ?」
そんな流星から真っ直ぐに向けられる視線に、暮人がわずかに目を
だがその変化を流星が感じられたのは、本当に一瞬だけだった。
「『幻想』っていうのはね、『不可思議』そのものだよ」
暮人がそう口にした瞬間、パンッという鋭い音が鳴り響いた。
ハッと我に返って改めて暮人に視線を据え直せば、暮人はニコニコと笑いながら両手を胸の前で合わせている。どうやら今の音は暮人が両手を打ち鳴らした音であったらしい。暮人を注視していたつもりだったのに、逆に暮人の瞳に見入りすぎてしまっていて、暮人の腕の動きに気付けていなかったようだ。
「俺が書くの物語は、世界に
部屋の中は、いつの間にか常の薄暗さを取り戻していた。ソロリと背後に視線を投げれば、所構わず乱雑に押し込められた書物達はしんと静まり返っている。先程まで流星が見ていた幻影の欠片は、今はどこにも見えない。
「だから俺はさ、掬い取る『不可思議』がないと原稿が上がんないの。俺に書いてほしい原稿があるなら、それに相応しい不可思議の所へ俺を連れていってもらわないと」
そう
──他の作家がこんなこと言い始めた日には、『何を屁理屈を』って眉をひそめられるんだろうけども。
残念ながら暮人が『幻想小説家』を名乗る前から幼馴染をやっている流星は、今の発言がただの屁理屈でないことを知っている。
──何ならこいつが『幻想小説家』を名乗るようになった契機が俺にあるわけだからなぁ……
だから仕方なく今日も、流星は作家先生をその気にさせるべく口を開いた。
「だから、その不可思議の所に連れてくって、最初から言ってんだろ」
流星が床に叩き付けた書類を改めて暮人の顔の前に広げると、暮人はようやく書類に目を向けてくれた。だが暮人は書類を
あくまで流星からの説明を求める暮人の態度にもうひとつ溜め息を上乗せして、流星はもう一度説明を口にした。
「宮越さんからは『企画』って形で話を聞いた。お前の筆が動き出すように、お前が興味を持ちそうな対談を用意したから、その内容を対談記事にしてくれないかって」
今度こそ自分の説明が暮人の耳に届いていることを暮人の表情で確かめながら、流星はひとまず簡単に事のあらましを語る。
「でも送られてきた企画資料を読んだ感じ、これは『小説家・朝霧暮人への企画』という皮を被った『依頼』だ」
暮人はそんな流星を真っ直ぐに見上げていた。丸メガネの下に押し込められた暮人の瞳の中には、流星の顔が映り込んでいる。
その顔が、不意に真剣味を帯びた。
「封印師・朝霧暮人へのな」
あるいはそれは、暮人の瞳に
「なんだ。宮越さんもそうならそうとハッキリ言ってくれればいいのに」
フワリと、暮人の口元に淡く笑みが浮いた。その代わりにスルリと、暮人の周囲から人間らしい空気が消える。
ヒトらしさ。
それが『温もり』であるのか、あるいは『親しみやすさ』なのか、流星はいまだに分からない。
分からないけれども、今の暮人から普段の暮人を構成している『何か』が欠けたことだけは、分かる。
今度の暮人は体勢はおろか、語調のひとつさえ変えていないというのに。
「そうであるならば、話は別だ」
クスクスと日本人形を連想させる温度で笑った暮人は、その笑みを浮かべたまま流星へ続きを
「そこに書くべきネタがあるなら、俺は書かないとね?」
「筆が乗ったならば何より。だが」
だから流星は、『おもり』としての役目を
「まずはその薄気味悪い笑みをしまえ」
「アダッ!!」
スコンッと暮人の額に手刀を落とす。今回も無防備に流星の手刀を眉間で受けた暮人は、ギュッと一度目をつむってから、若干涙が浮いた目でギッと流星を睨みつけたのだった。
これは『書く』ことによって不可思議を祓う幻想小説家と、幻想小説家の『おもり』である平々凡々な青年の、とある作品執筆の舞台裏の話である。
幻想小説家・朝霧暮人の執筆録 −死を招く作家− 安崎依代@1/31『絶華』発売決定! @Iyo_Anzaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。幻想小説家・朝霧暮人の執筆録 −死を招く作家−の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます