Last chapter

 銃声とガラスの割れる音。

 痛くない――ってことは、ウチは死んでいないらしい。


 開けた目に飛び込んできたのは、割れたポッド。

 床に投げ出されるアシュリーの脚。

 連なる銃声の度によろめくブロンソン。

 カチカチと弾切れの音が繰り返されても、アシュリーは引き金を引き続ける。あふれた液を浴び、飛び散るガラスで傷ついてもお構い無しだ。


「な……何故、脚を捨てて、敵を助ける……?」


 今にも死にそうなかすれ声に、ようやく手が止まった。


「……あなたは私を見誤った。


 そこまで言って、アシュリーは息を吸い込む。


「さっさとくたばれクソ野郎。ママを殺し私の勝負をけがしたテメェは、地獄でガキの脚でもしゃぶっとけ」


「い……一生、呪いなさい……下ら……ないもの……のために……自由を……捨てたことを……」


「……捨ててなんかいない。ママを殺され必死に生きてきて、アランを演じることを見つけた。ジェーンに追われる日々は楽しかったけれど、私がずっと夢見ていたのはこの瞬間。私の脚は、私をどこへでも行けるようにしてくれた」


「ああ……寒い、血が……失われてしまう……はやく、どうにか……」


 言葉はもう届いていない。無我夢中でポッドの液と混ざる血をかき集めようとする姿は、まるで水に落ちた虫だ。

 アシュリーは長い瞬きをひとつして、四つん這いで寄ってくる。自分のシャツを裂くと、ウチの左腕をきつく縛った。


「……ごめんなさい。こうでもしないとあいつを出し抜けなくて」


「ウチは便利屋だ。腕二本をあんたが使のなら問題ない」


 無言で頷いたアシュリーが、後ろから首に腕を回す。背負った身体は震えているが、気づかないフリをしてやろう。

 ウチは無様にもがき床に血を塗りたくる虫を見下ろした。


「あんたの慈悲深き娘は残りの時間を懺悔にくれるそうだ。母親の育て方がよかったんだね。感謝しなよ」



 降りてきたヌーベルタワーの外は来た時と変わらない。通用口を出ると思わずため息が漏れた。

 ブロンソンは間もなく死ぬ。今すぐヘリでシティを発つ必要はない。何より先に腕を使えるようにしたい。

 とりあえずは伝手つてを頼ろう。ポケットのスマホをアシュリーに取らせようとした時、上から強烈な光が差した。タワーの屋上から降りてくるヘリのサーチライトだ。


「アレはウチらを助けてくれるんだよね?」


「……あの攻撃ヘリアパッチは、本来あなたがタワーから逃げ出した時に始末するためのもの。今はきっと、私のことも狙ってる」


「クソっ、今夜は長くなりそうだ!」


 慌てて車へ走る。ウチの背中からドアを開けたアシュリーを運転席に降ろし、顎で助手席を指す。


「ウチがあんたの足になる!」


「……! 分かった」


 運転席に滑り込んだウチのももにアシュリーが乗る。


「二つのスイッチを上げてからエンジンをかけて」


 迷わず動いた手がボタンを押し込むと、赤い針が跳ね起きてエンジンがうなった。

 前後から聞こえるその音と二つのタコメーターに、小さな肩がくすくす揺れる。


「……なるほど。エンジンが二つになった」


「あんたに勝つためのとっておきをあんたが使うことになるとはね。これも予想外ってやつだ」


 折角の秘密兵器を語らずにはいられない。


「フロントエンジンのC7とリアエンジンのC8、2台のコルベットをニコイチにした『オルトロス』だ。ツインターボのV8ふたつで12.3リッター、3,000HP馬力。最高でしょ?」


「……馬鹿は、足し算しかできないの?」


 嘲笑あざわらうアシュリーへの返事にアクセルを踏んづけてやると、エンジンが怒鳴り、タービンが甲高い音でく。

 強烈な加速に慌てる素振りもなくアシュリーはステアリングを回す。パドルシフトを弾いてギアを上げる度に、アンチラグシステムが6本出しのマフラーから銃声めいた爆音を吐き出す。


「……飼い主と同じで、最高に馬鹿な車」


「馬鹿は嫌い?」


「……ならあなたは、あいつと仲良くタワーの上で死んでる」


「ははっ、違いない」


 全速力でタワーから遠ざかるが、ヘリの羽音が死神の足音のように近づいてくる。

 マズいと思った次の瞬間、金属音と衝撃の連打が車体に弾けた。アパッチから放たれた30ミリ口径機関砲チェーンガン、銃弾とは比べ物にならない威力だ。


フリーウェイ高速道路に乗るよ! 奴の最高速度は227マイル365キロ250マイル400キロ出せるコイツなら逃げ切れる!」


「……ちゃんと、ついてきてよね」


 高いビルの間を駆け、すれ違いのできない裏路地を潜り、曲がり角から曲がり角へと飛び込む。サーチライトに照らされる一歩後ろは死の雨でズタズタだ。

 アランならどうアクセルを踏み、どこにブレーキを置く? 四輪への荷重のかけ具合、タイヤのグリップ、遠心力。全身でその全てを捉え、間違いの許されない早押し問題に両足でこたえていく。


「……エンジンが二つっていうのも、悪くない」


「でしょ? バカだけどパワーはある」


「……そうだけど、そうじゃなくて。んと……」


 ステアリングさばきは鋭いのに、言葉は拾い集めるようだ。


「……二人で走るのも、悪くないなって。タワーでは全部嘘って言ったけど、あなたに負けたくなくて、脚を失い絶望したのは本当だった。今のあなたは、私の思い通りに踏んでくれる。まるでアランに戻ったみたい。もう二度とないと思ってたのに」


「最高の褒め言葉だ。あんたのケツを追うのも、無駄じゃなかったらしい」




 高層ビルの並ぶダウンタウンを抜け、照明ひとつないフリーウェイに乗った。

 赤い針がついに250マイル400キロを指した。アパッチはなおも食らいついてくるが限界速度らしく、距離は少しずつ離れていく。

 このままなら逃げ切れる!


 その期待が、着弾の音と衝撃に揺らいだ。アシュリーがすぐさまステアリングを切る。身体に流れるスピード感が淀んで、ウチは小さなリアウィンドウを覗いた。


「おいおい、ケツに火が点いたぞ!」


「……リアエンジンが、死んだ」


 防弾仕様のこいつはただでさえヘビー級。フロントエンジンだけではアパッチを引き離せない。遠ざかりつつあった音と光が、みるみる迫ってくる。

 息を呑むのが聞こえた。アシュリーの視線の先には給油機のアイコンに並ぶ残りカスみたいな赤いゲージ。


「……ガソリンも、もうない」


「二基でベタ踏みすると燃費は2.7MPGリッター700メートル。こいつはちょっとだけ大食いなんだ。ちょっとだけね」


「……ジェーン、どうしよう」


 冗談なんてそっちのけだ。『どうする』じゃないのがマジなヤバさを感じさせる。

 加速する手段はない。武器は使い切った。狭い車内を見回したって何も――。

 天井を見上げたウチの脳に電流が走った。


「武器がひとつだけ残ってる! 


「……使の?」


「防弾用の鋼板入り」


「……! 天才」


 アシュリーはニヤリと歯を見せる。ステアリングから離した右手で、フロントガラスの上にあるサンバイザーをめくった。運転席と助手席側両方に備えられたハンドル二つを手前に引き、バックミラーに目を細める。


「……タイミングは、あいつが射線の軸を合わせに真後ろへ来た時」


 チャンスは一度きり。警戒されればガス欠でおしまいだ。

 ウチはアクセルを踏みしめたまま、アシュリーはステアリングを操り続ける。


 そして、アパッチとの距離が110ヤード100メートルまで詰まった。チェーンガンはもう避けられないだろう。


「Ready――」


 アシュリーが右手で天井の後方中央にあるレバーを引く。

 完全に背後を取られる。アパッチのサーチライトが照り付けた。


「set――」


 痛む両手を天井に広げる。アシュリーも右手をステアリングに戻すことなく、運転席の上に添えた。

 機体の下でチェーンガンのマズルフラッシュが光った瞬間。


「「go!」」


 全身の力で天井を押すと、屋根の前方に開いた隙間から一気に風が滑り込む。ドカンと音が弾けて後方へと吹き飛んだのは、コルベット伝統の着脱式リムーバブルルーフ。


 叩きつける弾丸とリアエンジンから上がる炎の向こう。

 ひび割れた窓から見えるのは、ルーフパネルがメインローターを砕く火花。

 限界速度で飛行していたアパッチはバランスを失い地面に激突する。


 真っ暗なフリーウェイが、爆炎に彩られた。


「ちょうど明かりが足りないと思ってたんだ」


「……これでシティも、明るくなる」


「お人形遊びもおしまいだからな」



 ***



「おっ、ようやくのお出ましだ」


 夜明け間近の青い空気を震わせ、海沿いを一台の車が走ってくる。

 仕事を終えたウチは防波堤に座り、タコスで腹ごしらえを始めたところだ。


 やってきたソリッドグレーのクーペは、路肩に停めていたオルトロスのすぐ後ろにつける。

 運転席から降りてきた人影が呟いた。


「……また、負けた」


 ウルフカットにそばかす。

 目の下のクマ。

 お勉強ができそうなデカい丸メガネ。


 後ろ手でドアを閉めた女の子は、チタンとCFRPで出来た最高にクールな脚で歩いてくる。


「グッドモーニング、ノロマのアシュリー」


「……ムカつく」


 アシュリーはウチがそばに並べていたタコスを断りなく頬張り、隣に座った。


「……ん、まだ熱い」


「それ以上速くなると舌を火傷するよ」


 義足を受け入れたアシュリーは、あっという間に速さを取り戻した。今やウェストコーストの二番手だ。ウチもうかうかしていられない。


「……その時は、舌もチタンにしなきゃ」


「そりゃ最高だね、どんな飯でも食える」


 アシュリーは涼しげな顔で黒いキャップのつばを直した。正面に双頭の犬オルトロスが描かれているだけじゃなく、キュートな犬耳付き。ウチにはよく分からないがこういうのが趣味らしい。お揃いを勧められたがお断りだ。

 ブロンソンの件以来、オルトロスはやけに気に入られている。予想外ラッキーの象徴だそうだ。


 ぼんやりしているうちにタコスを食べ終えていたアシュリーは、防波堤から飛び降りてくすくすと笑った。


「……乗らせてよ、久し振りに」


 振り返って見せつけてくるのはオルトロスのキー。入れていたはずのパンツのポケットにはアシュリーの車の鍵が。


「いつの間に!? 返せっての!」


「……追いつけたらね」


 伸ばした手をひょいと避けて、オルトロスに走っていくアシュリー。

 ウチも後を追ってソリッドグレーの運転席に乗り、エンジンを叩き起こす。


「悪いけど、あんたにだけは負けたくないんだ」


 逃げていくテールランプを睨む。オーディオを全開にして、アクセルを蹴り込んだ。

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デュアル・エンジン(原題:The legs) 綺嬋 @Qichan

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