第18話 祖父さん

 ユシリアがファロテ・ルストス神殿太陽の神殿の冬の間で鍛錬に取り組んでいた頃。ゼロラント・サヘルの姿は、ユスタリア皇国某所に居を構える【ゼヌア】の本部の一室にあった。


「……それは本当なのか」

「はい、間違いありません。ユシリア皇女は現在ファロテ・ルストス神殿太陽の神殿にいます……恐らくオーデ・ルストス第一大神官と接触があったかと」

「分かった。ご苦労」

「はっ」


 部下が退室すると、ゼロラント・サヘルは顔を覆った。薄暗い石造りの部屋の中で、月明かりに照らされた黒髪がサラサラと輝いている。


「面倒なことになったな……」


 ゼロラントは【ゼヌア】の核であるサヘル家直系の後継者。【ゼヌア】を束ねる次期影主でもある彼は、組織の中でも指折りの実力者であった。漆黒の髪と瞳はその証である。数百年に一人、生まれる否か。【無の名を持つ者】であるという証なのだ。


「明日はと連絡を取らねば」


 そう呟いて、ゼロラントは黒檀の小椅子を離れた。数歩歩き回り、何かを探すような素振りをした時、外が何やら騒がしくなった。


『……ゼロはどこ!? あたし……会いに……!』


 ふう、と煩わしそうに息をつくと部屋を出る。聞き慣れた甲高い声の主には覚えがあった。


「……全く、あたしは『セグネル・ハルイス』だって、さっきから言ってるでしょッ!! ゼロに大事な話があるんだってば! 離してよーッ!」

「……どうした、セグネル」


 ピョンピョンとあちこちがはねた、亜麻色の髪の少女に声をかける。彼女を宥め、制止しようと躍起になっていた部下たちが、ほっとしたような表情を見せる。ゼロラントが一人にしろと言った命令を、守ろうとしていたのだろう。


 セグネルと呼ばれた少女は大きな目をさらに見開くと、大声を上げた。


「あーッ!! ゼロ! ほらァ、やっぱりいたじゃないッ! アンタたちの嘘つき!」

「静かにしろ、セグネル。今が何時だと思ってる」


 ゼロラントは部下たちをポカポカと殴り始めたセグネルを厳しい表情で叱った。いつもの光景だ。二人は生まれた時からの幼馴染であり、【ゼヌア】三家の後継者として共に研鑽を積んできた戦友でもあるのだから。はぁい、と気の抜けた返事をしたセグネルは、それでも懲りずに話し続ける。


「あたしが静かにする代わりに、ゼロもあたしのこと『セネ』って呼んでよね。前に約束したのに全然守ってくれてないじゃん?」


 分かった分かった、と白旗を揚げたゼロラントを満足そうに見てとると、セグネルはゼロの部屋に身を滑り込ませながら、声を落として言った。


「……やっぱり『トゥヤンシャ』が動き始めたようね。ゼロの読み通り、オリナ・シルトス神殿月の神殿に一人、が向かったみたい」

「明日ラヤトに連絡しようと思っていたが……今すぐにした方が良さそうだな」

「うん、もしかしたら彼女が指揮を執っているかもしれない。『トゥヤンシャ』って最近出来たばっかの【ゼヌア】の外部組織なのにさ、なんであんなにでかくなっちゃったンだろーね?」


 セグネルはその短い髪の毛先を指で弄びながら続ける。


「なんで親分の【ゼヌア】に背くようなことばっかりしたがるかなァ。ヴァクロン影主も頭を抱えてたよ」

祖父じいさんが?……何と言っていた」

「ンー、皇女を傷付けることだけはあってはならん、って言ってた。みーんな皇女サマが好きよねー……ゼロもさ」

「俺のは、少し違う」


 とだけ呟き、ゼロラントは再び何かを探していた。暗がりに目が慣れてきたセグネルは、部屋を見渡し、クルクルと亜麻色の毛先を弄りながら部屋を物色し始めた。


「相変わらず部屋がきれーだねー。ン、なにこれー……うわァお」


 びっしりと文字で埋め尽くされた紙の束に辟易した表情を見せた。返すように言われ、渋々その束をゼロラントに渡した後、ぽつりと呟く。


「…………ファロテ・ルストス太陽の神殿……」



 ***



 翌日、漆黒の髪と瞳を持つ青年は、ユスタリア皇国皇都・ラードルバームの外れに立つ、とある雑貨屋の前にあった。


祖父じいさんはとうとう、ままごとまで始めたのか」


 ゼロラント・サヘルにとって祖父じいさん――【ゼヌア】の影主ヴァクロン・サヘルは目の上のたんこぶである。【ゼヌア】の長、影主という立場は数千人規模に膨れ上がった組織の全貌を手中に収めるばかりか、【フェリオ・ド・ネロス】を見通す眼を磨くことが求められる。


 将来有望だった愛息子を任務中に亡くし、隠居中だった老体に鞭打って再び影主となったヴァクロン・サヘルは、たった一人の孫であるゼロラントに多くを求めていた。ゼロラントが【無の名を持つ者】であることも関係しているだろうが、【フェリオ・ド・ネロスこの世界】の初転期――「フェリオの業火」の前、ユスタリア皇国建国前から続く老舗である【ゼヌア】をここで潰すわけにはいかないという気迫すら感じられる。


 ゼロラントは憂鬱な思いを胸に、億劫そうに眼前の寂れた雑貨屋のドアノブを回した。中に入った途端、鋭い視線に射抜かれ、思わず固まってしまう。厳格そうな初老の男が玄関扉の目の前に立っていた。


「――――っ」


 厳格の権化。彼を一目見た瞬間、誰もがそう評することだろう。怜悧な水色の瞳、真一文字に引き結ばれた唇、短く揃えられた白髭、豊かながらやや乱雑に短く切られた白髪。厳しく冷たい声音がゼロラントを突き刺した。


「ノックくらいしろ。小僧」

「小僧じゃない」

「……黒坊主」


 頑固な祖父だ。孫の言うことはほとんど否定する。そのくせ、古くからの部下や有能な者には、一度認めれば全幅の信頼を寄せ、彼らからも圧倒的支持を得ている。現に短期間だったとはいえ、影主を退いていた間も訪ねる者は絶えず、「裏の影主」などと呼ばれていた。


 絶対的な存在感と、ヴァクロン・サヘルさえいれば【ゼヌア】は決して崩れないという安心感を兼ね備えているからこそ、曲者揃いの【ゼヌア】を長年束ねているのだ。


 そして何より、口が悪い。


「相変わらず時化しけた面だな。誰に似たんだか」

「あなたがこの顔を呼んだのだろう。俺とて好き好んであなたそっくりの顔になったのではない」

「糞餓鬼が」


 ヴァクロンは一つ舌打ちすると、どっかとソファに座り込んだ。雑貨屋には珍しい、応接用のソファだ。許可を待たずにゼロラントも向かいに座る。


「チッ……それで、ラヤトは何か言ったか」

「『私は何も知らない。人違いじゃないか』と」

「あの女狐……」


 女狐ことラヤト率いる『トゥヤンシャ』は元々、【ゼヌア】でない一般の者と結婚した、元【ゼヌア】たちで構成された外部組織だ。有力な地方権力者の情報をつぶさに集めることができ、内部工作も容易な立場に置かれた彼らは、【ゼヌア】本部にとって大変有用であった。


 しかし近頃、『トゥヤンシャ』は【ゼヌア】と対立し始めていた。主に『シャオン皇家』について。


「ルゼハン統皇の殺害だけではない……10年前のランドルス統皇の焼死、いや、もうずっと前からトゥヤンシャが絡んでいるはずだ……皇女だけは命を賭して護るんだ。いいな、ゼロラント」

「……ああ」

「せっかく母親が真っ黒に生んでやったんだ。【無の名を持つ者】として、人の数倍は働け」


 ――ラヤトの動向を探りつつ、ユシリア・シャオンを護衛しろ。


 ヴァクロン影主の命は、つもるところこれだ。「シャオン皇家第一」、それがヴァクロン・サヘルの掲げた【ゼヌア】の旗幟スローガンである。【フェリオ・ド・ネロス世界】を股に掛ける【ゼヌア】にしては珍しい依怙贔屓だが、ヴァクロン・サヘルの鋭い眼光の前に異論や疑問を挟める者はおらず、その真意は誰も知らない。


「俺はシアテ皇国に行ってこようと思う」


 突拍子もないことを言い出して、周囲を困惑させるのも、ヴァクロン・サヘルの専売特許だ。


「は……?」

「思い立ったが吉日、というだろう」

「影主……あなたにとっては毎日が吉日だろう。今さら何を仰る」

「糞餓鬼が小生意気に育ったものだ」

「あなたのご教育の賜物だな」


 ゼロラントは不敵に微笑んだ。鉄面皮が日常である彼の表情筋が、慣れない動きに少々引き攣っているせいで一層「不敵」な笑みになっている。


 もしかすると、そう遠くない未来に、この漆黒の青年と頑固影主の立場が逆転する日が来るかもしれない。


「それから、一つ断っておきたいが」

「なんだ、糞餓鬼」

「あなたは俺を真っ黒というが、肌は白いぞ」

「……腹黒が」

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皇女、神帝になるver2 がてら @Gattera

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