午後〇時の魔法

汐なぎ(うしおなぎ)

全一話

 いきなり扉の開く音がして、野戦病院やせんびょういんに女性の叫び声が響いた。


「先生お願いです! この子を……この子を助けてください!」


 私は呼ばれて、声のする方を見る。そこには、血に染った赤子を抱く母親がいた。赤子が重傷だという事は遠目にも分かる。


「先生! この子を!」


 私はていてた患者かんじゃに断りを入れると、母親に駆け寄った。急ぎ赤子を診る。しかし、怪我けがはあまりに酷く、すでに腕の中で息を引き取っていた。


「もう亡くなっています」


 私は静かに首を横に振ると、赤子のまぶたをそっと閉じる。母親はかえらぬ我が子を抱きしめて、号泣しながら何度もその名を呼んだ。


 私の心に彼女の泣き声が突き刺さる。しかし、彼女にかまっているひまはない。まだ診なければならない患者が沢山いるのだ。私は思いを振り切って患者の元に戻った。


 もう一年も前からこの内戦は続いている。革命軍が独裁政治に反対して決起けっきした時、私もその思想に感銘かんめいを受け、軍医として従軍する事を決めた。しかし、あれから一年。一年も経っても、まだ戦争は終わらない。


 最近では旗色はたいろも悪くなり、診るのは兵士だけではなくなった。赤子や幼い子供を診るのも日常茶飯事にちじょうさはんじだ。それに、この施設にはろくな設備がそろっていない。平時なら助かるであろう人も、ここでは助からない事が多い。それでも、ここはまだマシな方で、他はさらに劣悪れつあくな環境だと聞いた。


「爆撃で街の防壁が壊れて」


 そう言って、泣きそうな顔の少年兵がやって来た。彼は肩に、同い年ぐらいの少年をかついでいる。自分の怪我も酷いだろうに、彼は少年を先に診てくれと言う。


「すぐに診よう」


 私は、少年を預かると床に寝かせた。


「大丈夫ですか?」


 必死な顔で少年兵はたずねる。


「息はある。止血をすれば大丈夫だ」


 私は少年兵を落ち着かせるように笑顔を向け、手近なもので応急処置をする。これで、しばらくは大丈夫だろう。


 彼は、安堵あんどのため息とともに涙を流した。


「ありがとうございます。ありがとうございます」


 少年は彼の友達なのだろう。涙を腕でぬぐいながら私に礼を言った。


 私は彼に笑顔を向ける。少年が助かってよかったと心から思う。もう、人が死ぬのは見たくない。


「それより、爆撃されたって、どう言う状況なんだ?」


 私が尋ねると、彼は緊張した面持おももちで答えた。


「たくさんの人が死んだり、怪我をしてうめいていたり……」


 彼の説明を聞いただけで分かる。そこは、さながら地獄絵図じごくえずのようになっているのだろう。私は、後の処置を看護師に頼んで、防壁に向かった。


 せめて、勝てるのなら、それでも救われる。しかし、戦況はかんばしくなく。きっと負けるのだろう。


 こんな事を言えば、酷い目にあう事は分かっている。私は、無駄な犠牲ぎせいをこれ以上出さないでくれと願いながらも、もくして何も語らない。


「助けてください」


「痛い! 痛い!」


「死にたくないよぉ」


 いたるところで、助けを呼ぶ声がする。私は、逃げたい気持ちと戦いながら足をみ出す。


「私は医者だ。私が来たから大丈夫だ」


 私は、気休めを言って、そばにいる数人の肩を叩いた。


 街が爆撃されたのだ。

 怪我人は兵士だけではない。

 赤子も、子供も、老人も。

 そして、当然、若い人々も。


 これだけの人数を診るのは、私一人で足りるはずがない。しかし、医師も看護師も不足している今、救援は望めない。


 私は、助かりそうな人を見つけては処置をほどこす。助けを求める声も、怨嗟えんさの声も、私の心をさいなむ。


 こんな不毛ふもうな戦いは、すぐにやめるべきだ。


 しかし、私が、声を上げたところでどうにもならないのは分かり切っている。だから、声を上げないのだと自分に言い聞かす。


 それに、私がいなければ、怪我で死ぬ人がもっと増えるのだと……。


 戦争反対を叫ぶ若者が革命軍に捕まったと聞いた。彼女は処刑されたのだと言う。もはや、革命軍の高尚こうしょうこころざしは失われている。きっと、彼らも生きるために必死なのだろう。


 そして、街が爆撃された日。

 彼女が処刑された日の午後〇時。

 戦争は終わった。

 敗戦だった。


 それは、洗脳せんのうという名の魔法が解けた瞬間だった。


 私はただ願わずにはいられない。もう、これ以上、武力による争いが起こらないようにと。

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午後〇時の魔法 汐なぎ(うしおなぎ) @ushionagi

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