第5話

 森の家にきてから十日ほどが過ぎた、ある日。

 食事の後にも目が覚めていたルネとニンナは、『ハチの縄張り争い 夏の陣』と題された民話を聞いていた。

 めでたし、めでたし。で、ヘンリエッタが語り終えて。

「縄張り争いっていえば。次の春こそは、ピーターの所と、決着をつけなきゃ」

 ニンナが、触覚の手入れをしながら呟いた。

「縄張り争いって……。ピーターは、ニンナの具合が悪いことに気づいてくれたんだよ?」

「それは、それ。これはこれ。あー、思い出しただけで、イライラしちゃう」

 ルネでも齧らないと、収まらないわ。

 ニンナがそう言って、顎をカチカチ言わせる。

「えー、もしかして。リンゴ畑で僕が噛まれたのって、八つ当たり?」

「それだけじゃないわ。ルネったら、シモンの息子なのにさ、“親方”なんて他人行儀な呼び方してるのが、前から気に食わないのよ。私は」

 初仕事のあの日。

 学問所を卒業したんだから……と、シモンに促されて、練習がてら顔見知りのピーター相手に名乗ってみたものの、『……ゴニョゴニョの息子のルネです』と、誤魔化すように言ったのが、ニンナの気に触ったらしい。


 この国を含めたこの辺りの国では、初対面の相手に対して、親の名前を添えて名乗るものなのだが、『レオンとヘンリエッタの息子のジョセフ』のように、獣人は生みの親である卵屋と語り伽の名前を添えるのが一般的だった。

 しかしルネは、孵化の時に顔を合わせたことがあるレオンはともかく、卵時代に声を聞いただけで会ったことのないヘンリエッタの名前を出すのは、どうも気が引けていて。

 初対面の人と出会うことも少ないので、なんとなく誤魔化しながら過ごしていた。

 それなら、『シモンの息子』と名乗れば良いのに……というのが、ニンナの言い分だった。


「でも……親方を、お父さんって呼ぶのも……」

「なによ。シモンがおじいちゃんだとでも、いうわけ?」

「そんなこと、ないって。でもさ……」

 街に虫の獣人は、数えるほどしか住んでいない。

 それも、荷運びの店などで使用人として働くために、力持ちであることを期待されて生まれる甲虫の獣人がほとんどで。

 もしも、シモンが蜂の世話を手伝って欲しくて、レオンに依頼した結果、ルネが生まれたのだとしたら。

「馴れ馴れしいって、親方に嫌われたらイヤだな……」

 ボソボソと呟くルネに、ニンナは呆れたようなため息を吐くと、寝る態勢を整えた。


 ヘンリエッタの次の物語は、既に始まっている。ルネが夢見心地に聞いていると

「とぅさぁん、かぁさぁん」

 突然、隣の籠から女の子の声がして、目が覚めた二匹は顔を見合わせる。

 初めて、クローディアが喋った。

「クローディア、どうしたの?」

「会いた……いの」

 街鳥の頭を優しく撫でて尋ねたヘンリエッタに、一言だけ、ポツリと呟いたあと。

 クローディアの籠からは、吐息とも鳴き声ともつかない微かな息遣いだけが聞こえた。


 仕事部屋の小さな戸口から、半身を乗り出すようにして、ヘンリエッタが鋭く鳴いた。

 狩鳥の威嚇声に、近くで控えていたジョセフのすぐ下の妹が駆け込んでくる。

「クローディアのご両親と、レオンを呼んで」

「はいっ」

 短く慌しいやりとりの後、ヘンリエッタはクローディアの籠をその隻腕で抱え込むようにして、新たな物語を紡ぎ始める。


 常夏の島で、お酒をつくる女の人たちのお話。

  水を求めて、草原の下に果てしないトンネルを掘る男たちの物語。


 それは、冷えきろうとしているクローディアを少しでも温めるため、ヘンリエッタが知る限りで最も熱く暑い物語たちだった。


 ジャングルの中、ワニに引かせた船で川を遡る商人たちの冒険話の途中で、レオンたちが家に到着した。



 クローディアの籠が、ヘンリエッタの手からレオンへと渡される。

 彼の後ろ姿に祈るように、暫しの間、頭を下げたあと。

 ヘンリエッタは強く頭を振って、仕事部屋の定位置に座り直した。


「クローディアは? どうしたの?」

 籠の縁から身体を乗り出して前脚で空を掻きながらニンナが尋く。それをルネがヘンリエッタに伝えると、

「ご両親と、最期の時間を過ごしているわ」

 ヘンリエッタは悲しそうに顔を歪めた。

「死んじゃう……の?」

 恐る恐る尋ねたルネの言葉に、返事はなくて。

 二匹は、黙って籠の中へと潜りこんだ。



 その日からも変わらず、ヘンリエッタは二匹の蜂に語り続けた。 

 ヒトの言葉が分かるリーダー蜂やヒトと会話ができるロイヤル蜂、そして、獣人たちは、卵の間に語り伽の言葉を栄養にして育つ。

 気ガレ熱は、その栄養を根こそぎ奪ってしまう病なので、親である語り伽たちは、ひたすら患者に語り続けることで、奪われていく栄養を補う。

 今、二匹の体内では、ヘンリエッタの言葉が病と闘っていた。



 ヘンリエッタの家で日を重ねていくうちに、ルネの方は少しずつ起きている時間が増えてきたが、ニンナは相変わらず、一日の大部分を眠って過ごしていた。


 シモンが怪我をした、あの日。

 ピーターを呼びに行くルネのマフラーの間に、ニンナは潜り込んでいたらしい。

 幾重にも着込んでいたルネですら触れてしまった北風は、マフラーの編み目を通してニンナに吹き付けていた。


 リーダー蜂と獣人の差は、ひとえに生まれる前に語り伽からもらった言葉の量の差で。

 さらには、孵化後に話しかけてくれる相手がシモンだけであったニンナと、学問所に通い、内気ながらもピーターたち近所の人々と会話をしていたルネでは、これまでの虫生じんせいで浴びている言葉の絶対量が圧倒的に違っていた。


 『ちびルネが平気なのに』

 あの日、憎まれ口を叩いたニンナだったが、病状は彼女の方が深刻だった。



 クローディアが去ってから五日が経った日のこと。

 少し濃いめにしてもらった蜂蜜の食事を終えたルネの隣で、ニンナがテーブルの上に転がった。

 脚先に着いた蜜を舐めていて、バランスでも崩したな……と、ルネが目をやると、ニンナが何か言いたげにこっちを見てた。

「大丈夫? 起きれる?」

 覗き込んだルネの口元を、ニンナの前脚が掠める。


「あのね、ルネ」

「うん?」

「私ね、あんたみたいに、シモンの子どもになりたかったんだ」

 もがくように震える後脚に、ルネは嫌な予感しかしない。

「ヘンリエッタを呼んでくるから、ちょっと待って」

 低い羽音を立てて、食事当番の兄と話しているヘンリエッタのところまで飛んでいく。

 飛べるくらいに、ルネは回復しているのに……なんだ? あのニンナの弱々しい動きは。


 ヘンリエッタの手に乗って戻ってきたルネは、テーブルに降りる。

 小さな体で力を振り絞るように、ニンナが切れ切れな言葉を紡ぐ。

「ルネが、どうしても、シモンのこと、“親方”としか、呼べないなら……せめて、名乗り、くらいは、ちゃんとし、なさいよ」

「……」

「獣人に、生んでもらった、くせに。あ、んた、には、レオンと、ヘンリエッ、タも居るん……だ……か……」

 不自然に途切れた言葉に、ルネの羽が細かく震えた。


 ルネが、その前脚を伸ばせば、届くような位置。

 さっきまでニンナが居た場所には、小さな金紅石が一つ、転がっていた。


 

 卵屋は、石に魔力を与えて卵を作る。

 卵から生まれた者は、やがて石へと還る。



 街に、春一番が吹く頃。

 療養を終えたルネが、シモンの家へと帰ってきた。

 街では、見知った顔のいくつかを、見かけなくなっていた。

 学問所の仲間の数人。

 市場で働く若いお兄さん。

 シモンの蜂蜜飴を買いにきていた、近所の幼子。

 みんな、クローディアのように病と闘って、力尽きたらしい。



 ニンナがリーダーとしてまとめていた蜂たちは、他の巣箱に移って、新しいリーダーのもとで働いている。

 かつてニンナだった金紅石は今、シモンの部屋の窓際、家中で一番暖かい場所で、のんびりと日向ぼっこをしている。

 二、三年ほど、お日様の光と熱を浴びて、芯から温まったら、また、レオンとヘンリエッタによってリーダー蜂として生まれ変わることだろう。

 もしかしたら……ロイヤル蜂かもしれないし、ルネの妹になる可能性も。



 プラムの開花期前の休日。ルネはレオンの店へと向かっていた。

 治療のお礼として、ヘンリエッタには蜂蜜飴を、そしてレオンには蜂蜜酒を届けに。

 不眠不休で語り続ける語り伽の仕事に、声を守る飴は必需品だ。

 ルネの治療にあたっていた冬の間、依頼が溜まってしまったはずのヘンリエッタは、これから忙しくなるだろう。


 いつも買ってもらっている量よりも多めに飴とお酒が入っている籠を、大事に抱えて歩いていると、通りの向こうから2人連れが歩いてきた。


「やあ、ルネ。お使いかい?」 

 燃えるような赤毛の兄が、陽気に手を振る。

 船乗り仲間だという友人とルネを引き合わせた。

「俺はデニス。ロクサーヌとロジャーの息子さ。よろしくな」

「はじめまして。シモンの息子のルネです」



 ニンナの最後の言葉をルネから聞いたヘンリエッタは、あの後、彼が生まれた時の話をしてくれた。


 親兄弟を亡くして独りになったシモンは、『自分の家族は蜂だけでいい』と、獣人の卵を依頼しようとした。

 しかし、人口バランスの考慮と、生まれてくる子どもの人権保護の観点から、獣人の卵には国からの制限がかけられていて。シモンが独身、かつ、蜂の獣人というレアケースに、役所からの認可がなかなか下りなかったという。

 『蜂と言葉を交わすためなら、ロイヤル蜂で十分だろ? 獣人である必要性が認められない』

 そう言って、役人は何度もシモンの希望を却下した。


 何年もかけて街一番の養蜂家になった彼は、蜂だけを愛し、蜂たちにも慕われていることを、自身の仕事ぶりで証明して、ようやく望みを叶えることができた。

 そうして生まれたルネを、目の中に入れても、いや目の中を刺されても痛くないほど慈しみ、男手一つで育ててきた。

 そしてニンナは、そんなシモンを、すぐそばで見守ってきたのだった。



 胸を張って名乗るルネに、ジョセフが微笑む。

「これから、どこへ行くんだ?」

「親方からの届けもので、レオンのお店に」

 籠を掲げてみせたルネの肩に、小さな蜂が一匹止まっていた。


 今年から、ルネに任されることになった新しい巣箱のリーダー蜂。

 彼女と共に仕事を覚えて、一人前の養蜂家になれた時には。

 シモン親方のことを『お父さん』と呼ぼう。


 ルネは、そう心に決めている。


END.

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冬の便り 園田樹乃 @OrionCage

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