第4話
ルネの身体に異変が起きたのは、シモンが起き上がれるようになった日の晩だった。
首の後ろ、棘の周りがキーンと冷たく感じられて、脈を打つように時折、痛む。
そして、夜中を過ぎたあたり……からだっただろうか。
身体の芯が燃えるように熱くなった。その反面で、パジャマに触れている肌はゾワゾワとした寒さを感じる。
毛布を剥いだり、掛け直したりしているうちに、今度は身体の内側が冷たく、外側は熱くと、体感が反転した。
一晩のうちに、それを何度も繰り返して。
少しだけウトウトできたところで、冬の遅い朝日が昇ってきた。
起きなきゃ、親方の朝ご飯……。
そう思って、ベッドから降りようとしたが、思うように起き上がることができないうちに、シモンの部屋のドアが開く音が聞こえた。
「ルネ?」
ノックとともに、部屋を覗いたシモンは、荒い呼吸をしているルネの姿を見つけた。
まだ痛む腰を庇いながら、ベッドの端に腰を下ろして、額に手を伸ばす。指先が触れるより先に感じる、発熱の気配。
これは、まずいことになった。
ひとまず、お湯を沸かしたシモンは、ルネに蜂蜜湯を飲ませる。
ヒトの
長年、蜂と暮らしてきたシモンの経験が、そう告げていた。
熱いお湯がすっかり冷めるほどの時間をかけて、ようやくルナがマグに一杯の蜂蜜湯を飲み切ったころ。
シモンの様子を見に、ピーターが顔を出した。
「ルネの卵屋も、ほかの蜂たちと同じレオンだな?」
蜂も鳥も魚も。
卵から生まれる全ての生き物を作り出す“卵屋”。そして、そのパートナーである“語り伽”が手をかけて、獣人は生まれる。
気ガレ熱の診断は卵屋にしかできないし、治せる術を持つのは患者を生み出した語り伽だけだと、二人は先日の医師から聞いていた。
まだ、しっかりと歩くことができないシモンの代わりに、ピーターがレオンを呼びに行く。
走ってきたらしいレオンは、コートを脱ぐ間もなく、ルネの枕元にかがみ込んだ。
「ちょっと、ごめんよ。痛いかも」
と言って、ルネの襟足の髪をそっと持ち上げる。首の後ろにある棘を露わにする。
途端に全身を通り抜ける悪寒に、ルナはガタガタと震えた。
「棘の周りが、固くなってきている。そこから、波動状に熱気と冷気が放散されているし……。気ガレ熱で間違いないと思う」
難しい顔でレオンが告げると、シモンがズルズルと崩れ落ちた。
「頼む、レオン。どうか……どうか……」
「すぐに、ヘンリエッタの所へ連れて行こう」
「頼む……」
目を真っ赤にさせたシモンが、何度も何度も頭を下げていると、地下室から階段を上がってくる荒々しい足音が聞こえてきた。
「レオン、リーダー蜂が‼︎」
シモンに頼まれて、ルネの代わりに巣箱の様子を見に行ってたはずのピーターが、両手を差し出した。
手の中の物を潰さないように、緩く握り合わせられている手の中を、二人の前でそっと開いてみせる。
ピーターの硬い掌の上では、羽を畳んだニンナが小さく震えていた。
「巣箱の前に、落ちていたんだ。身体もなんだか硬いような気がする」
そう言ってピーターは、レオンの手の中にニンナを移す。持ってきた鞄からルーペを取り出したレオンが、注意深くニンナの様子を診る。
「リーダー蜂の気ガレ熱は、体が小さい分、判断が難しいけど……おそらく、彼女も掛かっていると思った方が良いだろう。ルネと一緒に治療するよ」
ルーペを鞄に戻したレオンは、ルネとニンナを連れて行くための支度に取り掛かった。
鞄から木箱を取り出す。内側にはリンゴの実がすっぽりと収まる程度の窪みがあり、幾重にも重ねた真綿と晒しで覆われていた。
片隅にニンナを寝かせて。
「ルネ、蜂の姿に成れるかい? その方がきっと、身体は楽なはずなんだけど」
レオンからヒト形を解くように言われたルネが、熱に浮かされた眼でシモンを見る。
「ルネ。待ってるからな。熱に負けるな。必ず、帰ってこい」
今生の別れになるかもしれない。
大花蜂へと姿を変えたルネを、シモンは指先でそっと撫でてから、ニンナの隣、窪みの真ん中へと優しく横たえた。
レオンが二匹の蜂にそっと、晒しの上掛けを乗せて、木箱の蓋を閉じる。
「息が苦しかったりしないのか?」
「本来なら、孵る直前のドラゴンの卵を運ぶための箱だから、それは大丈夫だよ。封印もしていなし。大丈夫。外界の影響を最小限にするために卵屋が使う箱だからね。これ以上、北風なんかに触れさせない」
ピーターに尋ねられたレオンは、彼自身にも言い聞かせるように、何度も『大丈夫』と繰り返す。
そのことが余計に、ルネたちの状態の悪さを示しているようだった
ルネたちを運ぶ準備が整ってから、程なくして。
シモンの家をジョセフが訪れた。
「ルネたちを森の家まで、安全に早く。ジョセフ、頼んだよ」
レオンからルネたちの木箱を託されたジョセフが、辛そうに唇を歪ませる。
「あれほど気をつけろって言ったのに、ルネまで……兄弟から二人も、患者が出るなんて……」
生みの親である卵屋と語り伽を同じくする
それだけに、病に奪われようとしている命が惜しくて。悔しくて。
彼は語り伽ヘンリエッタが暮らす森の家まで、能力の限界まで急ぐつもりだった。
「ジョセフ、安全に、だよ」
空回りしそうな意気込みを、レオンが苦笑いで落ち着かせる。
明かりを感じたルネが微睡みから覚めると、ジョセフの手の上だった。
「ヘンリエッタの所に着いたからな。もう大丈夫だ」
そう言って、柔らかな場所へと下される。隣のニンナは、まだ意識がないようだった。
「こんにちは、ルネ。ハロルドとメアリーの娘のヘンリエッタよ」
そう名乗った、語り伽ヘンリエッタは、暖かな声をした隻腕の女性だった。
ヘンリエッタの仕事部屋に移されたルネとニンナの隣には、一羽の街鳥が眠っていた。
ルネたちと同じく、蓋なしの手つき籠に敷き詰められた布に埋もれるように丸まっている。
「ルネの次の年に生まれた、クローディアよ」
ヘンリエッタはそう言って、籠の傍らに座り込む。
狭い仕事部屋の中で、二匹と一羽はヘンリエッタの語る物語を聞きながら、微睡み続けた。何日も何日も。
彼女が寝る間も惜しんで語り続けるお話を、ルネは時々、ぼんやりと目が覚めた状態で聞くこともあった。
大地に落ちた流れ星が作った、幽玄の街の話。
提灯をお供に砂漠を渡る隊商の物語。
空を泳ぐ魚とヒトの、成人を賭けた勝負の話。
火の精霊に、歌を捧げ続ける歌姫の物語。
ヘンリエッタの語って聞かせる物語は、どれもキラキラとしていて、暖かくて。
気ガレ熱で凍えてしまったルネの棘を、温めてくれるようだった。
ルネたちが過ごす森の家には、兄姉たちが交代でやってきては、食事の用意をしてくれた。
ルネとニンナは、小皿からお湯で緩めた蜂蜜を摂る。クローディアは、狩鳥の獣人であるヘンリエッタと同じように、お粥を食べていた。
ただ、彼女はルネよりも具合が悪いのか、ほんの少しだけ食べると、再び眠ってしまうのだった。
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