第5話 朝と霧
翌日、私たちはビーチ側の家を貸し切って、学生たちの作った現地の料理を堪能したあと、ビンゴなどのゲームをやって楽しんだ。
休憩時間、外のハンモックに腰掛けているイツキに、私は声をかけた。
「あの、アサギの友達なんですよね?」
「ああ、そうです。幼稚園からの付き合いなんですよ」
「こんなことを聞くのは失礼ですが、付き合っていたというのは本当ですか?」
一瞬驚いたような顔をしたあとで、イツキは頷いた。
「ええ、まあ」
その顔は照れているようにも見えた。まるで少年のようなその顔は、アサギとの間にあったという事柄の真実味を薄れさせた。
「僕は今でもアイツのことが好きです。アイツが来るって聞いて舞い上がってました。だけどアイツは、相変わらず僕のことが嫌いみたいだ」
「もしかしたら、逆かもしれませんよ」
「逆というのは?」
「彼はあなたを愛していて、愛しすぎた故に傷つけた。これ以上傷つけないために離れたのかもしれません」
パリ・テキサスと同じだ。DV旦那は奥さんを愛しすぎて、暴力で束縛した。アサギはもしかしたら、イツキを愛するが故に試していたのかもしれない。彼の愛がどれほど確かかを。そして、それ以上苦しめることのないように彼から離れたのかもしれない。
「自分勝手なんですよ、彼は」
私は言った。
「あなたから離れたのだって、あなたのためというより、あなたを傷つけることで自分が傷つかないようにするためだったかもしれない」
「それでもいいです」
イツキは答えた。
「アイツは寂しがりで嘘つきで、繊細で実は根暗です。乱暴で我儘で、斜に構えてるけど結構カッコ悪いところもあります。だけど、僕は今も彼が好きです」
「そのことを彼に伝えてやってくれませんか?」
「ええ、もちろん」
イツキは頷いた。こんなに優しく笑う人を、私は初めて見た。
♦︎
その夜私は現地の学生たちに混じって飲んで酔い潰れ、アサギにおぶわれてホテルへと向かった。その途中、私はアサギに言った。
「日本食の店に行きたいの。天ぷら蕎麦が美味しい店に」
「まだ食べる気?」
アサギが尋ねる。
「うん、どうしても食べたいの」
「僕は脂っこいのは好きじゃない」
「そこの天ぷらはカロリーゼロの油を使ってるの」
アサギの背中の上、呂律の回らない口で喋る私。仕方ないなとアサギが言う。私は胸の中でガッツポーズをする。
「痛みを言い訳にしたくなかった」
「僕は彼に謝りたいのかもしれない」
途中アサギが呟くのを、朦朧とした意識の中に聴いた気がした。
もしかしたら私もアサギも、心が死なないように必死に二本の脚で立っているのかもしれない。だから私たちは共鳴するように出会ったのかもしれないし、そうじゃないのかもしれなかった。どのみち私たちは悲しいくらいに独りだ。だけど、こうしているとそれを忘れそうになる。こんな時間があってもいいと思ってしまう。私と彼のどちらかが消えてしまうよりずっと。
日本食料理の店に入る。テーブル席に座ったアサギにトイレに行くと嘘をついて、裏口から外へ出た。その後で、イツキに電話をした。ワンコールで電話に出た彼は、今店の前についたところだと答えた。
「よろしくお願いします」
返事を待たずに電話を切った。
二人を逢わせることが正解なのか分からない。もしかしたら間違いなのかもしれない。伝え方の全く違う愛するという気持ちを抱えた二人にだけ、聞こえる言葉が、理解し合える感情があればいい。たとえ最後、どんなふうな終わりを迎えたとしても。
天気予報を裏切る雨がマニラの街に降り注ぐ。それはたちまち土砂降りに変わる。誰かが泣いているのだ。それは私なのか、それとも別の人なのか。
分からない。だけど、この雨はどういうわけか私を励ました。傘など持たないまま、私は違う言葉を話す人々に紛れて歩き出した。
END
朝は霧めいて たらこ飴 @taraco-candy
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