雀の

十余一

凍れる涙今やとくらむ

 早いもので今年も残すところひと月ほど。これから大掃除に年賀状、餅つき、正月飾りの準備など、師が走るように忙しくなることでしょう。どれも十二月らしい趣がございますね。

 江戸の頃にはこれらに加えて、“債鬼さいき”という鬼が家々を訪ねる光景が見られました。金銭を支払い穏便に帰ってもらうのか、それとも嘘八百を並べ鬼から逃れるのか。これもまた一種の風物詩といえましょう。



 ――ドンドンドン!

 勢いよく戸を叩く音が、長屋の部屋に響き渡りました。

 今日は雪のチラつく大晦日。歳の市が江戸を彩り、年忘れの宴会ではドンチャン騒ぎ。そして商家の前では景気よく餅つきが行われているのです。

 しかし、細工職人の竹次郎は忙しくするでもなく浮かれるでもなく、叩かれる戸の音すら無視して部屋の隅にうずくまっておりました。

 ――ドンドンドン!

「竹次郎さん、開けてくださいな。竹次郎さん」

 呼びかけるのは青年の声。

 十畳ばかりの自宅兼仕事場には、材料の竹や編みかけの籠がそこかしこに散らかっているのです。竹次郎はその雑然とした部屋で息を殺しながら「留守だ留守だ留守だ、頼むから帰ってくれ……!」と、胸中で必死に唱えるばかり。

 当時は掛売り、いわゆる“ツケ”で買い物をすることも多かったのですが、支払いは年に一度正月、もしくは年に二度盆と暮れでございました。しかし素直に払う人ばかりではなく、あの手この手を使って逃れようとする人もいたとか、いないとか。仮病、居留守、言い訳口八丁。支払いを先延ばしにするためならば、口もよく回ることでしょう。

 さて、相も変わらず居留守を決めこむ竹次郎。そして諦めるわけにもいかない商家の取り立て。

 ――ドンドンドン! ドンドンドン!

「竹次郎さぁん!」

「うるっせぇな! 留守だっつってんだろ!」

 しまった、と思ったときには後の祭り。あまりの煩ささに耐えかねて飛び出してしまった竹次郎に、取立人はニコニコと笑顔を向けるのでございます。

「やっぱり居らしたのですね」

 そうして「外は寒いんです。上がらせてください」と、足早に部屋へ押し入りました。

「ヘヘ……。清水屋の手代さんが、今日はいったいどのようなご用件で」

「代金の回収に参りました」

 竹次郎は誤魔化すように笑い、嫌に恭しく振る舞います。しかし、わかりきったことを聞いたところで、至極当然の返答しか得られないのです。

 清水屋の手代は上がりまちに腰を降ろすと、帳簿をめくり「竹次郎さん、今回もよく呑まれましたねぇ」なんてのたまいました。竹次郎が、清水屋でしこたま酒を買い酔いに酔って「まだ編んでもねェのに竹がぐにゃんと曲がって見えらァ」なんて言っていたことを後悔しても、もう遅いのです。

 こうなってしまえばもう、無い袖は振れないと開き直るほかないでしょう。

「エエと、銭はその……雀の涙ほどもないというか……」

「無い? 今、無いと仰ったのですか? 払う時期だと理解わかっていたのに……?」

 ニコニコしていた人の良さそうな顔はどこへやら。債鬼さいきの名に相応しく、角の生えたような形相で問い詰められ、竹次郎はまるで命乞いでもするかのように慌てて口走ってしまいました。

「間違えた間違えた! あるにはあるが何分なにぶんこの寒さだからね。雀の涙も凍りついちまったんだ。こりゃァ払いたくても払えねェ! ああ、残念だ!」

 早口でまくし立てられた手代は「へぇ、そうですか」と一旦は納得し、しばし考えたのち話を切り出すのです。

「こんな歌を知っていますか。雪の内に春は来にけり……、何だったかなあ。そう、雀! 雀の、凍れる涙今やとくらむ」

 今度は竹次郎が「へぇ~」と気の抜けた返事をする番。和歌などさっぱりわからない。けれども、今回はこれで引きとってくれるのならば、彼にとってこんなにありがたいことは無いでしょう。

「そうだなァ、うん。春になったら涙も融けるかもなぁ……立春が楽しみだね。ハハ……」

 逃げ切った! 竹次郎が胸中でそう確信した直後、その希望は無惨にも打ち砕かれてしまうのでございます。

「立春を待たずとも明日には新春ですよ。特別に、明日も伺いますね」

「エッ!?」

 手代は「明日が楽しみだなあ」とうなずくと、心弾む様子で立ちあがりました。そして最後に一言残して竹次郎の元を後にするのです。

「大粒の涙を期待しています」

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