明日が今日に変わる日
藤原 清蓮
1話
【お題】
清蓮のお話は
「聞き覚えのあるの声が聞こえた気がした」で始まり「本当に嬉しいとき、言葉よりも涙が出るのだと知った」で終わります。
*********************
聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
その声が聞こえたのと同時に、まるで声に引っ張られる様に昔誰かが僕に言った言葉を思い出した。
『明日が必ず来るとは限らない。だからオレは全力で毎日を生きるって決めてんだ』
そう言ったのは、誰だったっけ。
小学生の頃、父親の転勤に合わせてあちこちに引越した。
その頃、どこかの街の誰かが僕にそう言った。
子供の頃の僕は、引越しが多すぎて友達がなかなか出来なくて。どうせ友達を作っても、すぐにお別れだからと、いつしか周りと打ち解けるのを辞めた。
子供にしては、随分と達観した子供だったと思う。
その声が、誰の声でいつ聞いた事があるかなんて、瞬時には思い出せなくて。
それでも気になって振り返って、その声の主を探す。
東京駅構内。
数えきれない人が往きかう連絡通路で、その人物は壁際により電話をしていた。
「……いや、そうじゃなくて。はい……ああ、そうです。はい……」
これだけの人の中。色んな雑音が響き渡る通路で、何故かその人物の声だけが、僕の耳の奥に届いた。
少し離れた場所で思わず立ち止まって、気が付けば不躾にもジロジロと見つめてしまっていた。
声の主は、電話を切る寸前に僕の視線に気が付いた様で、一瞬目が合うと訝しげな顔をして背を向ける。電話を切って、スマホをスーツの内ポケットに入れ、再びチラッと振り向いた。
何故か、まだ目を逸らすこと無く見つめていた僕を見て、何かを考える様に視線を逸らし首を傾げること数秒。眉間に皺を寄せつつ、僕に再度視線をよこす。
その瞳に、僕は何故か動けなかった。
あ、この瞳を僕は知っている……。
スーツをきっちりと着こなした声の主が、僕の顔を見ながら真っ直ぐに向かって来る。
「あの……」と声を掛けてきた男に向かって、僕は慌てて頭を下げてた。
「す、すみません。ジロジロ見てしまって……。知り合いに似ていたもので……」
嘘だけど……全てが嘘って訳じゃない。この目に、覚えがあるのは確かだから。
「いや……えっと、人違いだったら申し訳ないけど。もしかして、
男が僕の名前を言った。
僕は、まさか自分の名前を言われるとは思いもせず、あまりの事に驚いて声も出さずに男を見つめた。僕より少し背の高い目の前の男は、日本人としては堀が深いハーフの様な顔だ。イケメンの部類に入るその顔は、まだ僅かに訝しげである。
「違うか……。すいません、人違いですね」
僕が返答しない事で、男は人違いだったと謝ると、そのまま通り過ぎようとした。僕は慌ててその背中に声を掛ける。
「あ! いや! 合ってます。
僕の言葉に男はくるりと振り向き破顔した。
「やっぱそうか! ひっさしぶりだなぁ! 元気そうじゃん!」と言いながら、僕の二の腕をバシバシ叩く。なかなかの力強さに、若干よろけながら「痛いよ」と苦笑いをすると「わりぃ、わりぃ」とますます笑みを深める。
このイケメンは僕の名前を覚えているが、僕は思い出せていない。どう切り出すかなと思っていると、向こうから名乗ってくれた。
「その顔は、恐らく俺が何者か思い出そうとしてるな? 俺はユムラ ミヤビだよ」
ユムラ ミヤビ……。
じわりじわりと思い出せそうで、思い出せない……。ただ、この瞳を見ていると、泣きそうになるくらい、懐かしい気持ちになるのはきっと。
僕にとって大切な思い出が、この男との間であったのでは無いかと。そんな気がしてならない。
「思い出せないか? 小六の時に同じ小学校に同時期に転校してきて、卒業と同時にお互い引越して。一年間しか一緒に居なかったから、まぁ、無理もないよな」
その言葉に、僕の頭の中に波が押し寄せた様に思い出した。
『明日が必ず来るとは限らない。だからオレは全力で毎日を生きるって決めてんだ』
そうだ。あの言葉を僕に伝えたのは、コイツだ。
あの頃、両親が離婚をすることになって。自分がどちらへ着いていくか決断を迫られていた。
引越しばかりで、友達らしい友達も居なくて、ちょっとした愚痴くらい言える相手も居なくて。自分の中で毎日毎日、悶々と考えるだけで何も解決しないし、解消もしない。
そんな時、このイケメンに声を掛けられたんだ。
あの頃から、日本人離れした顔で。特に、その瞳は一見、黒に見えるけれど。本当は光に当たると深い緑にも見えて不思議で、綺麗だと思ったんだ。だけど、彼は焦茶色した髪でそれを隠していた。
前の学校で、イジメにあったからって。
長い前髪で目を隠していても、筋の通った鼻梁と、薄く形の良い少し大きめの口が、その顔の良さが分かるほどだった。
彼も僕も、クラスメイトとは一定の距離を置いており、最初の頃は彼に対しても例外なく距離を置いていた。
だけど、ある日の放課後。
何故か教室で二人、話をした事があった。
その時、僕らは転勤の多い親のおかげで、なかなか大変だと。子供ながら苦労が多いよなと、共感したんだ。
遠い記憶に思いを馳せていると、ユムラが「明日真、これから帰り?」と訊ねてきた。
「ああ、今から帰るところ」
「俺も帰りなんだ。せっかく何かの縁で再会出来たんだ。ちょっと飲みに行かね?」
いつもの僕なら、間違いなく断っている。子供の頃に構築した人との距離感が、未だ僕を作り上げていて。なのに、僕は考える間も無く「ああ、いいよ」と無意識のうちに応えていた。
ユムラは華やぐ様な笑顔を見せ「近くに知り合いの店があるんだ」と、早速、歩き出した。僕は慌てて後をついていくと、そのまま丸の内改札口へと向かった。
丸の内側の改札口を出ると、有楽町駅が近くにある。そのまま有楽町駅を過ぎ銀座の街を暫く歩くと、あるビルの地下へと向かった。
店の中に入ると、バーカウンターが真っ先に目に飛び込んで来る、少しレトロな雰囲気がある落ち着いた店内だった。
あまりキョロキョロするのもかっこ悪いと思い、周りを見ずにユムラの後ろを歩く。
席はカウンター席と半個室の様な作りの席がいくつか見えた。
すぐに男性店員がやって来た。
「ミヤビさん、いらっしゃいませ。久しぶりですね」
人好きのする笑顔で声を掛けてくる。ユムラは「本当、久しぶり」と応えながら、半個室の席が良いと頼むと、男性店員は半個室の席へ案内した。
「ああっとね、俺らまだ何にも食べてないから、食事メニューもらえる?」
「かしこまりました。少々お待ちください」
男性店員がメニューを持ってくると、早速何があるのかメニューを開く。
書かれているのはイタリアン料理で、種類は豊富では無かったが、聞いた事のないメニューがチラホラと見えて興味をそそられた。
「コトレッタ・アッラ・ミラネーゼって?」
「まぁ、一言でいえばカツレツだよ。薄く叩き伸ばした牛肉だけど、旨いよ」
「じゃあ、僕はそれにしてみようかな」
「うん。あとここはピザが旨いんだ。ひとつづつ頼んでシェアしよう。酒は何にする?」
「僕は、そんなに強くないから、弱めの酒が良いんだけど……」
「なら、ビールにしておこうか」
そう言うとユムラは、店員を呼んで僕が選んだ物以外にも幾つか注文し「ビールを先に持って来て」と頼んだ。
ビールは瓶のまますぐにテーブルへ運ばれた。飲んだ事のない海外のビールだと、珍しげに眺めていると、ユムラが瓶を寄せてきた。僕らは軽く瓶を合わせ音を鳴らす。
「久々の再会に」
「乾杯」
一口飲むと、何とも爽やかな喉越しで飲みやすい。これは食事と飲むには適したビールだと、料理が楽しみになる。
「もう何年振りだろうなぁ。最初、やたら見てくる奴が居るなって、ちょっと気持ち悪いと思ったよ」と、ユムラは楽しそうに笑いながら言う。
「ごめん。普段は、あんな不躾に見ないよ。ただ、電話している声が、どうしても気になって。誰だっけって。悪かったよ」
「いや、いいよ。でも、元気そうで良かった」
「うん。ユムラも……」
「ああ」
ユムラとの記憶なんて、たいして覚えていなかった筈なのに、ユムラと話していると、忘れていた思い出がどんどん溢れてくる。
旨い料理を二人で食べながら、気がつくと僕はビールを四本も飲み干していた。
こんなに楽しい食事は、いつ振りだろうか。こんなに楽しい時間を過ごすのは。
話は尽きる事はなく、何年も時が経っているとは思えない程、よく喋った。
ユムラは僕も食べたのに、自分が勝手に頼んだからと、多めに支払いをしてくれた。正直、今月はちょっと金欠だったから助かった。礼を言うと、僕らは店を出た。
そして、心地よい酔いの中、駅へ向かった。
穏やかな風に頬を撫でられ、ふと思い出す。
あの言葉を。
僕はふと足を止めて、天を仰ぎながら目を閉じる。懐かしい光景が、忘れていた光景が、瞼の裏に蘇る。
「ユムラ、僕はさ。ユムラが言った言葉に、救われていたんだよ」
「言葉?」
ユムラは一歩先で足を止め、振り返る。
僕は薄っすらと目を開け、殆ど見えない星を見つけると、その星を見つめた。
『明日が必ず来るとは限らない。だからオレは全力で毎日を生きるって決めてんだ』
あの言葉には、続きがあった。
『嫌な事や辛い事があっても、明日はやって来くるんだって思ったのに、その明日が突然消え去る事だってあるんだよ。だから、今日の自分が後悔しないために、今できる事を全力でやるぞって思うんだ』
何もかもがどうでも良いと思う様になっていた僕には、衝撃的だった。
嫌でも明日は必ずやって来るものだと思っていたし、明日が来ないなんて、考えた事も無かったから。
明日が来なきゃ良いと、何度も思った事はあるけど、来ないかも知れないなんて、考えた事はない。
来ないかも知れない明日のために、今できる事を全力でやる。その考えは、僕には斬新なものであり、脳みそに電気が走ったかの様に驚いたのだ。
「あの時、僕は色んな事が投げやりになっていたんだ。両親の離婚や、どうせ友達を作ってもすぐに引越しだとか。引越しが多いから、欲しい物があっても欲しいと言えなかった。荷物が増えるな、なんて子供らしくない事を考える。親に振り回されて、自分の楽しみたい事なんて、何も思い浮かばなかった。でも、ユムラの言葉を聞いて、僕は初めて親に刃向ったんだ。離婚は決定事項ではあったけど、最後の最後にね。僕は、ちゃんと全力で。未来の自分が後悔しない様に。頑張ったんだ……」
ずっと自分の中で燻っては消え、消えては燻りを繰り返していた僕の気持ちを、初めて親にぶつけた。
両親は心底驚いた顔をして、二人で僕を慰めて。申し訳なかったと、謝った。
それがあったからか。両親が別れる最後の一週間だけは、家族らしい家族になれたと思う。
僕は、年齢的にもまだ母親と一緒の方が良いと祖父母が言ったが、僕の考えでは父親の方が良いと思って、父親と一緒に過ごす事になった。
色んな事があったけど。大きな我慢をする事なく父親とも良好で、母親とも定期的に連絡を取るなどしている。大人になった今は、全員バラバラに暮らしては居るけど、何だか小学校の頃より家族だ。
「……俺は、お前から背中を押してもらえたけどな」
「え?」
ユムラは、ニカッと悪戯っ子の様に笑みを見せると、軽く頭を掻いた。
「俺、こんな見た目だろ?」と、苦笑いする。
大人になって、子どもの頃より精悍さが加わってよりカッコ良くなった顔を、自分の人差し指でくるりと指す。
「見た目で受け入れられるか嫌われるか、結構行く場所、行く場所で違ったんだよ。まぁ、それは大人になった今でも若干あるっちゃあるんだけど」
ユムラは僕の正面に身体を向けると、柔らかな笑みを浮かべながら「お前のお陰で、俺も変われたんだよ」と言った。
その声は、ちゃんと聞いていないと闇に紛れそうな程、小さな声だった。
「僕は……ユムラに何かした記憶、ないよ?」
ユムラはゆるゆると頭を振る。
「俺の目を、綺麗だと言ってくれたのは、お前が初めてだったんだよ」と呟く様に言うと、言葉を続けた。
「俺の爺ちゃんはスパニッシュでね。俺はクォーターなんだけど、他の兄弟より爺ちゃんの血が強くて」と小さく笑う。
「爺ちゃんは、よく言ってたんだ。太陽が昇ると新しい命の始まりで、陽が沈むとその日の命が終わるんだって。太陽と共に命が巡る。だから、今日は今日しか無い。明日には今の自分は居ないのだから、後悔しない様に全力で生きろって。ある学校でイジメにあった時に、爺ちゃんが話してくれたんだ。それを俺は、呪文の様に唱えて過ごしていたんだ」
同じクラスになった時のユムラは、確かにいつも楽しげで、深く付き合う事は無くても周りに必ず人が居た。いつも一人でいた僕にも、必ず声を掛けてくれて、一緒に遊んだ事もあった。
「俺は、明日真に自分の呪文を教えただけ。あの頃の俺は、その呪文を使いこなしてはいなかったんだ」
「そんな事ないだろ? いつも楽しげで明るくて。太陽みたいなユムラが、羨ましいと思った事があるくらいだ」
僕の言葉に「太陽か」と言い、少し困った様に笑う。
「イジメにあってから、前髪で目を貸して。どの学校へ行っても、ずっとそうだった。学校によっては切るように言われたんだけど、頑なに切らなかったんだ。でも、あの呪文の言葉を明日真に話してから暫くして、お前の纏う雰囲気がガラリと変わったんだ。何より目の色が変わって、今をちゃんと見てやるって感じでさ。それから明日真は、俺に言ったんだ。『僕も、今の自分が出来ることを、全力で頑張る事にしたよ』って。キラッキラの目ぇしてさ」
「……」
「……俺は、全力で頑張るフリをしていただけなんだ。イジメられない様に、いつもヒヤヒヤしながら気を遣ってさ。明日真の変化に、俺は勇気を貰ったんだ。前髪を切って。人にとっては何てことない、ちっさな変化さ。でも、俺にとってはでっかい変化だったんだ。その変化の一歩が踏み出せたのは、明日真のおかげだったんだよ。随分と遅くなったけど。ありがとうな、明日真」
「……なんだよ、それ。僕こそ、あの言葉に背中押されたんだよ。勇気を出せたんだよ。今の家族の在り方も、心地よい距離感なんだ。そうなれたのはユムラの言葉があったからこそだ。こちらこそ、ありがとう。ユムラ」
僕の言葉に、心底驚いた様に呆けた顔で僕を見ると、その顔は徐々にくしゃりと崩れる。ユムラは、さっと顔を逸らし腕時計を見る。
「あと一分で、明日が始まるな」
僕もスマホの時計を見る。二十三時五十九分で。瞬間、数字がゼロに並んだ。
「明日真」
「なに?」
「昨日も全力だったか?」
相変わらず下を向いたままのユムラに、僕は小さく笑いながら「ああ、いま出来る事を全力で頑張ったよ」と応えた。
「そうか。でも、なんか。淡白な雰囲気は変わらずだな、お前」
「ああ、それは……まぁ、心の中は情熱で溢れてるからね。それで良いんだよ」
「あははは! そうか!」
「ユムラ」
「ん?」
「久々に会えて嬉しかったよ。ありがとうな。今も昔も」
「今生の別れみたいに言うなよ」
「また会ってくれるの?」
「当たり前だろ!」
そう言って顔を上げたユムラは、僅かに泣いている様な瞳をしていた。
僕も飲み過ぎたのだろうか。ユムラの言葉が、存外嬉しくて。
本当に嬉しいとき、言葉よりも涙が出るのだと知った。
fin.
明日が今日に変わる日 藤原 清蓮 @seiren_fujiwara
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