終章:成長の兆し

エピローグ 後日談

 二〇二六年、三月。


「お疲れ様です。戻りました」

「おー、晋太朗お疲れさん! 疲れただろー? 直帰でもよかったのに」

「会社のカメラ持って直帰はできませんよ」

「相変わらず真面目だなぁ」

「それに、お土産も渡したかったですし。はい、これが北海道で有名なチョコレートと、ジャガイモの味がいいと評判のお菓子、こっちが新千歳空港限定のチーズケーキです! ほかにも美味しそうなものがたくさんあって! 色々買ってきちゃいました」

 と言って、柳さんの奥さんの横にあるテーブルに次々並べていく。

「あら、こんなにたくさん! ありがとう! 晋太朗君も一緒に食べましょう」

「ありがとうございます! あと、これは柳さんに頼まれていたお酒です。どうぞ」

「おー、これこれ! ずっと気になってたんだよ。サンキュー!」


 札幌出張から戻った僕は自宅に戻る前に、持ち出していた機材とお土産を置くため柳写真館に立ち寄った。

 大量の荷物を降ろしてから自分の席に座り一息つくと、ようやく東京に戻って来たという実感が湧いてきた。


 僕は先月、旭川に住む文子さんの元にじいちゃんの火葬で一緒に焼いた十円と、僕が昔撮った二人の写真を届けに行ってきた。

 その帰り際に受けた一件の撮影依頼。それが、札幌にある子ども食堂での撮影だった。

 なんでも、正式な決まりはないものの中学卒業が子ども食堂を卒業する一つの目安になるらしく、四月から来なくなる子が増えるらしい。

 そこで三月のうちに今通っている子たちみんなの写真を撮ってほしい、との依頼だった。


 東京に戻りすぐに柳さんに相談した結果、三月の僕のスケジュールを空けて出張の予定を組んでくれた。

 文子さんに報告するととても喜んでくれたので、僕も電話口で自然と笑顔になる。しかし、残念ながら文子さんは札幌まで来られないとのことで、そこからは二代目の代表である恵子さんとやり取りすることとなった。


 恵子さんは想像通り、明朗快活で親しみやすい女性だった。


「どうだった? はじめての一人での人物撮影は」

「今の僕にできることは全部やってきたつもりです!」

「お、それはデータ見せてもらうのが楽しみだなー」

「はい! 今日中にまとめて明日提出するので、チェックよろしくお願いします!」

「了解!」


 その後、柳夫妻と北海道土産を食べながら軽く談笑した僕は、いつもより少し早めに上がらせてもらった。

 一人暮らしの部屋に戻り、昨日撮影してきたデータの確認作業のためパソコンを起動して、コーヒーを落とす。インスタントではなくドリップするのは、僕なりの小さなこだわりだ。

 一滴ずつゆっくりと滴るコーヒーを眺めながら、僕はアシスタント時代のある日の出来事を回顧して、思わず誰もいない部屋で一人「ふっ」と、小さく鼻を鳴らした。


 ***


 僕がはじめて柳さんの人物撮影に同行を許されたのは、柳写真館に入社して一年ほど過ぎた頃だった。


 その日の撮影は、休日で家族連れの姿も目立つ公園でおこなわれた。

 現場入りするなり柳さんは僕に「晋太朗の今日の仕事は、だ」と言った。

 ……やる気を抑える? そんなことを言われるのははじめてだった。

「えっと、それは」

 どういう意味ですか? と尋ねようとしたところ、一人の男性が柳さんに声をかける。


「柳さん。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。打ち合わせ通り、こちらのことは気にせず過ごしてください。何枚か撮れましたら確認してもらって、都度金子さんのご希望やご感想をお伺いできればと思います」

「分かりました」

 金子さんと呼ばれる三〇代くらいの男性は、柳さんと簡単なやり取りを交わした後、遊具のある方へと歩いて行った。


 僕は撮影前の打ち合わせには参加していないので、クライアントと対面するのはそのときがはじめてだった。

(随分とラフな格好だけど、何の会社の方だろう?)


 入社したての頃は毎回、事前に何の撮影か知らされていたけれど、徐々に撮影場所が書かれたスケジュールを確認するだけになっていた。

 なぜなら、撮影場所が飲食店なら物撮り、公園や街中なら風景、スタジオや学校・施設なら人物、とパターン化しているからだ。

 稀に、そのパターンから外れるときは事前に知らされるという流れが定着していたものだから、その日もスケジュールに『撮影@公園』と書かれていた時点で風景撮影だと決め込んでいた。


 僕が「どこから撮りますか?」と声をかけると、柳さんはその場で既にレンズを覗きはじめていた。しかも、レンズは望遠タイプをつけている。

 これは珍しいことだった。

 柳さんは風景撮影をする際、だいたい単焦点か中望遠のレンズから撮り始める。

 ん? もしかしてこれは……。

 僕は違和感を確信に変えるため、柳さんのレンズの先に目をやる。

 そこは、金子さんが歩いて行った遊具が設置されたエリアだった。


「柳さん! 今日の撮影ってポートレイトですか?」

「惜しい! スナップだ」

「っ! どうして前もって教えてくれなかったんですか!」思わず少し大きな声が出た。

「だって晋太朗、先に言ったら気合入れまくるだろ」

「それはっ!」

「詳しいことは後で話すよ。今は集中」

「……はい」


 ポートレイトやスナップというのは、一括りにすると人物撮影のことである。どちらも人物を被写体に撮影する写真を指すが、二つには明確な違いがある。

 ポートレイトは、被写体を作品のテーマの中心に据える写真のことで、モデル本人は撮影されている自覚がある。対してスナップは、日常の中の一瞬を切り取るように撮影した写真のことで、モデルにポージングなどは求めない。撮っていることに気付かせない場合も多い。

 僕は、金子さんが被写体だと思ったため、ポートレイトかと思ったのだけれど、柳さんはスナップだと言った。

 つまり、被写体は彼ではない。


 僕は再びレンズの先に目を向ける。

 その先には、遊具で楽しそうに遊ぶ少女の姿があった。そばには金子さんと、彼に寄り添うように女性が立ち、少女を愛おしそう見つめている。

 どこからどう見ても幸せいっぱいの家族だ。


 そう、その日のモデルはその少女だった。


 思わぬ形で念願の人物撮影に同行できた僕は、そっと柳さんから距離を取り、少し離れた場所から撮影の様子を見学する。

 このときの僕は既に、傍観することの重要性を理解していた。


 撮影が終わり写真館に戻った僕は柳さんに「今日は勉強になりました」と告げる。


「黙って連れて行った理由、気付いたか?」

「熱量が撮影の邪魔になるから、ですか?」

「そ。いつも真っ直ぐ真面目で熱心なのは晋太朗の強みだ。自信を持っていい。でも、それを抑えたほうがいい写真を撮れるときもある。相手がのときだ。表舞台に立つ人間でもない限り、カメラを向けられることには慣れていない。カメラ慣れしてる若い子だって、知らないオッサンが本格的なカメラを向けてきたら多少は構えるだろ? それだと、表情も作られてしまう」

「はい」

「もちろんカメラマンの中には、人との距離の取り方が抜群に上手くて、会話しながら相手の魅力を引き出す天才的なセンスを持ってる人もいる。でも、俺にはそういうのはできん。だったら、極力カメラを意識させず、普段通り過ごしてもらうことが被写体の素の瞬間を切り取る一番の近道だ。まぁ、あくまでこれは俺の場合だし、カメラマンの数だけやり方はある! それに今日は人見知りの子だったからイレギュラーな撮影法だっただけで、普段は当然撮影しているのを知られてる状態だ。だが、俺の撮影に参加する以上はになれるようにしてもらわなきゃ困るってことだな」


 確かに柳さんは撮影中、一度も金子さんの娘さんに自分の存在を気付かせなかった。

 ご両親も含めた三人の写真も数枚撮っていたが、それも日常を切り抜いた写真そのものだった。


 自然体。

 ナチュラル。

 飾らない表情。


 それらは簡単に引き出せるものじゃない。

 僕は、どうして柳さんが撮る人物写真にあんなにも惹かれるのか、その答えがもう少しで分かりそうな気がして思わず質問した。


「あの! ショーウィンドウに飾ってるガーデニングをするご婦人の写真、どうして旦那さんは映っていないんですか? ホームページにはご夫婦の写真を載せていたのに」

「あの写真は奥さんの横顔があまりにも美しかったから、無理言って飾らせてもらったんだ。奥さんは恥ずかしがってたんだが、旦那さんが賛成してくれてな。彼女、何を見て微笑んでたと思う?」

 そう聞かれて一番最初に思い浮かんだのは花だった。でも、女性の視線は少し先の方を向いていたような……。

「……旦那さん、ですか?」

「正解。彼女の視線の先には土いじりをしている旦那さんがいるんだよ。どんな名俳優でも、あの瞬間の彼女の表情以上の表現はできない、と思うくらい惹き込まれた」

「もう一つ、聞いてもいいですか?」

「いいよ」

「トランペットの練習をしている少女の写真はどんな風に撮影したんですか?」

「あぁ、懐かしいな! あれは偶然の一枚だったんだ。学校のパンフレットに使う写真の依頼で、放課後いくつかの部活を回らせてもらってたんだ。その日、吹奏楽部はオフと聞いていたのに楽器の音がするもんだから、行ってみると彼女は極限の集中状態の中たった一人で練習していた。スポーツでいうゾーンってやつだな。その姿を見た瞬間、『あ、撮らなきゃ』って思ったんだよ」

 その感覚に近いものなら僕も知っている。

 北海道で、公園のベンチに座るじいちゃんと文子さんの姿を撮ったとき。あの写真はまさに、反射的に撮ったものだ。


 柳さんは、撮影中に自分の存在を被写体に感じさせない。

 被写体の魅力を引き出そうとするんじゃなく、溢れ出た瞬間を切り取っている。

 自分の感覚に素直に従っている。


 ………………。


 考え込む僕の表情を見た柳さんは「なんか掴めそうか?」と口角を上げる。

「頭の中がフル回転してて、ショートしそうです」

「良い顔しやがって! けどまぁ、晋太朗の当面の課題はその貪欲さをコントロールできるようになることだな。来週もスナップ行くからちゃんと備えとけよ」

「はいっ!」


 それから柳さんは少しずつ、人物撮影の指導もしてくれるようになった。


 ***


 懐かしいことを思い出していると、小さな部屋がコーヒーの香りで満たされた。

 僕は柳さんに提出するため、撮影データの整理に取り掛かる。


 翌日、子ども食堂で撮影してきたデータ確認を終えた柳さんは、開口一番「よく撮れてるじゃないか!」と言ってくれた。

 僕はホッとして息を吐く。

「はじめてでこれは上出来だよ!」

「柳さんの撮影で色々と学ばせてもらったおかげです。でも、ちょっとズルしました」

「お! いいねぇ! 晋太朗は優等生すぎるから、たまにはそういう話も聞かせてくれ」

「僕はまだ柳さんみたいに透明人間にはなれません。だから、撮影前日から子ども食堂にお邪魔して、食事作りを手伝わせてもらったり、子どもたちと一緒にご飯を食べたり遊んだり話したり。僕がそこにいることに抵抗を感じないように、仲良くなろうと思ったんです。ありがたいことに、みんなすぐに心を開いてくれました」

 僕が撮影のカラクリを白状すると柳さんは、なるほどな、と呟く。何か考えているようだったが、僕は続ける。

「子どもたちが僕を警戒せず受け入れてくれたのは、食堂の方がいつも愛情を持って彼らに接してきたからだと思います。だから、僕だけではこの写真は撮れませんでした。この食堂で過ごす、この子たちだから撮れた笑顔だと思ってます」

 少しの間を置いて、柳さんが口を開く。

「謙虚な晋太朗に俺から一つアドバイスだ。既に出来上がっているコミュニティにすぐに馴染めるというのはそれだけで立派な才能だ。ズルなんて言わず、晋太朗の武器にしたら良い。晋太朗には人に親しまれる魅力がある。その武器があれば、晋太朗なりの自然体の引き出し方も見つかると思うぞ」


 僕は柳さんを真似することばかり考えていた。

 ──僕なりのやり方も探していいのか。


「はい! 頑張ります!」


 何事にも夢中になれず周りとの違いに悩んでいたあの頃の僕は。

 不満ばかり並べて完全に就活に出遅れていたあの頃の僕は。

 こんなに充実した日々を過ごせるようになるなんて全く想像できなかった。


 じいちゃんとの旅は、僕にとって大きなターニングポイントとなった。

 あの旅で僕はじいちゃんと秘密を共有し、色んな愛の形を知り、夢のキッカケを掴んだ。

 そこで出会った文子さんが大切にしてきた子ども食堂で、カメラマンとして大きな手ごたえを感じることができた。

 ──全部繋がっている。

 あの旅がなければ、カメラマンとなった今の僕はいない。

 きっと、何のやりがいも感じられない、思い入れも何もない職場で、退屈な毎日を過ごしていたと思う。


 じいちゃんに胸を張って見せられる写真が撮れるようになるまで、きっと僕はこれからもたくさんつまずき、悩むだろう。でも、僕は考えることをやめない。どんなに追い詰められた状況でも、周りを思う気持ちを忘れない。

 それが、僕が心から尊敬する偉大なじいちゃんの教えだから。


 ─完─

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温情 卯月 @btss

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