第27話 温情
それぞれが遠慮して、気を遣って、
正面から本音でぶつかり合うことを全員が避けた結果だった。
本心を隠すことは日本人らしい特性でもあるけれど、この場合正しく機能していたのかは本人たちにしか判断できないだろう。
いや、当事者だからこそ、何が正解だったのかはいつまでも分からないままなのかもしれない。
「本当……、今になって強く思うわ。もっと早くにちゃんと向き合えていたら、元気なうちに三人で会えたかもしれないのに、って……」
その声からは後悔の念が感じられる。
僕は今回、じいちゃんと文子さんからの話、それからばあちゃんの手紙、それぞれの視点から、三人の過去を見ることができた。
長い年月を経て、世代を超えて、僕が知った彼らの過去には間違いなく思いやりが溢れていたと思う。
こんなにも元凶のない三角関係があるなんて、未だに信じられないくらいだった。
誰一人として、相手を責める人はいなかった。
誰一人として、自分のことを優先する人はいなかった。
そして全員が、相手を想いながら悩み苦しんでいた。
互いが相手の幸せを願い、相手を思いやった結果のすれ違いは、五十年以上もの間、彼らの心を
文子さんの言うように、もう少し早くに話し合う機会があれば、彼ら三人の関係性は変わっていたかもしれない。
しかし、人生に『たられば』は成立しない。
ゲームのようなやり直しもきかなければ、セーブポイントも存在しない。
そんな一度きりの人生で、相手への言動の是非を問い続け、相手に許されるまで自分を許さない強い気持ちを持ち続けた三人は偉大だと、僕は誇らしかった。
「文子さん……。どうして祖父は、墓場まで持って行こうとしていた秘密を僕に教えてくれたんでしょうか」
僕はずっと気になっていた。
あのときは、たまたま僕が北海道旅行の同行者に選ばれただけだ。僕がじいちゃんに旅の目的を聞いたことがきっかけになったのは間違いないけれど、隠しておけることだってあったはずだ。
それなのにじいちゃんは、すべてを包み隠さず僕に教えてくれた。
その理由は最後まで聞けないままだった。
文子さんは、人の気持ちを完全に理解することはできないけど……、と前置きしたうえで、「どうしようもなく、誰かに話を聞いてほしくなるときって、あるでしょう?」と問いかけた。
「はい」
「でも、その相手は誰でもいい訳じゃない。信頼に足る人じゃなきゃ話せないこともある。晋太朗君は、寿さんにとって一番信頼できる人だったんじゃないかしら」
「僕が……?」
「もちろん、娘さんや息子さんだって信頼できる大切な家族であることには違いないわ。でも、その中でも寿さんは晋太朗君を選んだのよ。それは紛れもない事実。そこに理由を求める必要はない、と私は思う」
「……僕は、少しでも祖父の力になれたでしょうか?」
「もちろん。二人を見送りに駅に行ったあの日、晋太朗君が先にホームに行ったあと、寿さん言ってたわ。『晋太朗に救われた、晋太朗は自慢の孫だ』って」
僕はホームでじいちゃんに「晋太朗、ありがとな」と言われたことを思い出して、目頭が熱くなった。
そう言えば、あのときも視界がぼやけて涙を堪えるのが大変だったな。
「僕、三人の過去を知れて本当によかったと思ってます。それに、今日、こうして文子さんとお話しできて、色々とスッキリしました。本当にありがとうございます」
「お礼を言うのは私の方よ。晋太朗君。私ね、寿さんのことも、美代ちゃんのことも本当に大好きなの」
「はい」
「寿さんは、子どもの頃から私に色んなことを教えてくれた大切な人。美代ちゃんは、妹のように可愛くて守ってあげたくなる大切な人。二人にはたくさんの思い出と優しさを貰ったわ。妬んだことや恨んだことなんて、一度もないの。本当よ。私の大切な二人が一緒になって、幸せな家庭を築いてくれたこと、本当に嬉しく思うわ。おかげで、晋太朗君にもこうして出会えた」
そこまで言って、文子さんは壁に飾られた写真に目を向ける。そして続けた。
「私には血の繋がった子どもはいないけれど、あの子たちが子どものようなものなの。本当の親のように慕ってくれる子がたくさんいる。一人で暮らす私を気にかけて連絡してくれる子がたくさんいる。だから私、孤独を感じることなく今日まで生きてこられたの。それに今日からは、このお守りがある。……だから、東京に戻ったら寿さんに、私のことは心配せずに、美代ちゃんと楽しく過ごしてください、って伝えてもらえるかしら?」
「はい、必ず」
「もし天国で会えたら、そのときは今までの時間を埋めるくらい、三人でたくさんお話したいわ」
「祖父も祖母も絶対に文子さんのことを待ってます」
「二人とも逝ってしまって、一人になった今、そう言ってくれる人がいて本当に嬉しい。ありがとう」
穏やかで思いやりのある優しい心をもつ三人の人生は、決して楽しいことばかりではなかった。
一生のほとんどの期間、人知れず悩み苦しみ、罪悪感とともに生き続けていた。
しかし、すれ違った心が再び一つのところに集まるときには、そこはきっと、いや絶対に、穏やかな空間になるだろう。
その後は、湿っぽい空気を変えるように、文子さんはじいちゃんとばあちゃんの子どもの頃の話を聞かせてくれた。
何のしがらみもない純粋な子供時代の話は、聞いていて楽しかった。知らない話ばかりで、こんな風にじいちゃんとばあちゃんの幼少期を知れるなんて思ってもいなかった。
かわりに僕は、僕が子どもの頃の二人の話をした。文子さんも楽しそうだった。
でも、楽しい時間はあっという間に過ぎる。
そろそろお暇しようかと考えていたところで、文子さんが「晋太朗君、最後に一つ頼みたいことがあるの」と言った。
「はい、なんでしょう?」僕は、軽い気持ちで答える。
「晋太朗君に撮ってほしい写真があるんだけど……」
「もちろんいいですよ! カメラも持ってきてますし!」と、鞄に手を伸ばす。
すると、そんな僕を制止するように文子さんが言う。
「違うの! 今じゃなくてね、今度ここで写真を撮ってほしいの」
そう言って文子さんは一枚の紙を差し出す。
見ると、そこにはどこかの住所が書いてある。
「え、ここって……」
「もちろんこれはお仕事として晋太朗君にお願いしたいんだけど、どうかしら?」
「それはとてもありがたいお話ですけど、帰って社長に確認してみないことには……」
と言いつつも、僕はすぐに頭の中で来週以降のスケジュールを確認する。
生憎駆け出しなもんで、僕の予定自体は空いている。あとは柳さんの撮影スケジュールと僕がやる予定の補助内容を確認して調整すればあるいは……。
「社長と相談して、わかり次第ご連絡します」
「いい返事、期待してるわ」
「はい!」
こうして僕は、再び連絡する約束を取り付け、文子さんの家を後にした。
旭川を出発するのは、明日の午前十一時だ。
それまでまだ時間がある。
せっかくだから、夕方から夜にかけての旭川でも撮影しながらホテルに戻ろう。
どの道を通って戻ろうか、と考えながら足を踏み出したとき、十円玉を包んだハンカチがなくなった僕の鞄が、とても軽くなっているように感じた。
そんなはずはないのに、僕に伝わる重量は来たときよりも減っているようで不安になる。
無意識にハンカチを入れていたポケット部分に手を伸ばしたそのとき、突然背面からぶわっと強い風が吹いた。僕はハッとする。
じいちゃんにまた背中を押されたような気になって、僕は今度こそ迷いなく歩き出す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。