宏樹君の十一月十一日

代官坂のぞむ

宏樹君の十一月十一日

 渋谷駅からゆるやかに坂を登っていく文化村通りの歩道は、いつものように大勢の人でごった返していた。その人混みの中を、セーラー服を着て大きなリュックを背負った、中学生にしか見えない女の子が、すいすいとすり抜けていく。

「ごめんねー。ちょっと急いでるから、よこ通してねー」

 立ち止まってキョロキョロしているヨーロッパ系の観光客グループや、高級ブランドTシャツにキラキラのアクセとジャケットをまとった夜のお姉様達を器用によけながら、坂道の途中まで走って来た女の子は、ふいと横丁に曲がって、すぐのビルに入った。

「いないね? 間に合った!」

 廊下の奥までゆっくり歩きながら、リュックのサイドポケットから大きなアクキーの付いたカギを取り出すと、頑丈そうなドアを開けて中に入る。

 灯りをつけた室内は、カウンターとテーブルが二つ置かれ、カウンター奥の棚にはグラスとボトルが並んでいる、典型的なバーかスナックのようなレイアウトだった。しかし、一方の壁は大きな黒板になっている上に、国語や数学といった教科が書かれた時間割表が貼られ、カウンターの上にはキャラクターのイラストが付いたノートやペンケースが並んでいる。反対の壁には、セーラー服やブレザーを着た女性のチェキが貼られた小さなボードがあり、それぞれの下に、名前と「学級委員」「日直」「欠席」などと書かれたシールが貼られていた。

 女の子は、カウンターとテーブルの上を布巾でサッと拭くと、リュックを椅子の上に置いて、中から極細ポッキーの箱を一つ取り出した。

「少しワイングラスに立てとこうかな」

 箱からパッケージを一つ取り出し、細長い中身をワイングラスに立てて並べたところで、カランカランと軽いベルの音がしてドアが開いた。

「みうみう、いるか?」

「あー! ロンさん。お疲れー!」

 ロンと呼ばれた短髪で背の高い男は、鋭い目付きで廊下を一瞥してからドアを閉める。

「どう? かわいいでしょ?」

 みうみうと呼ばれた女の子は、ポッキーを並べたワイングラスをロンに見せた。

「なんだ、それは?」

「今日は、十一月十一日で、ポッキーの日でしょ。だから、お客さんにポッキーゲームやってもらおうと思って」

「ポッキーの日? ポッキーゲーム? なんだそれは」

 ロンはいぶかしげな顔で眉をしかめた。

「知らないの? 1111って日付に長い棒が並んでるから、十一月十一日はポッキーの日なんだよ。それで、一本のポッキーの両端を二人で向き合ってくわえて、両方からポリポリ食べていくのがポッキーゲーム。キスしちゃうギリギリまで我慢しながら、どんだけ食べられるかっていうドキドキゲームなんだよ」

「ガールズバーのくせに、そんなことをやって大丈夫なのか?」

 ロンはカウンターの前に座り、ガムを取り出して口に入れた。

「うちは風営法の1号許可を取ってるから、大丈夫だよー。普段はカウンター越しで接待はしないけど、イベント用に取ってあるんだ。それに店の子には、くわえたらすぐにかみ切っちゃえって言ってあるから」

「客には期待させといて、ずいぶんだな」

 みうみうは、ワイングラスをカウンターに置いて、ロンの方に身を乗り出した。

「ね、聞いて聞いて! そこで一工夫しててさ。イベント参加券は一回千円なんだけど、まずアプリのルーレットを回してもらうの。それでどの子とゲームができるか決まるのね。で、その女の子とじゃんけんして、お客さんが勝ったら半分に折ったポッキーを渡してそこから始めるんだよ。いきなり目の前に迫るドキドキシチュエーション! いいでしょ?」

「ずいぶんエグい金儲けだな」

「え? なんで? お客さんは、ルーレットを回すドキドキと、じゃんけんのドキドキと、ポッキーゲームのドキドキと、千円で三回も楽しめるんだよ? すごい良心的じゃん」

 にこにこしながら首をかしげているみうみうに、ロンは冷たい目つきで言った。

「客が、目当ての子を引くまで何回もトライさせて、しかも、じゃんけんに勝てば半分のポッキーしか使わないなら、一本を二千円で売るということだろ。負ければ、次は半分にしたくてまたトライする。大したもんだ」

「まあ、その通りだけどさ……。でも、あんまりしつこい客がいると女の子が嫌がるから、一人三回までの制限付きにしておこうか」


 みうみうは、ワイングラスをカウンターの上に置くと、ロンに向かって右手を開いて突き出した。

「で、今日はどんな依頼? もうすぐ開店時間だから、届け物ならさっさと行って来ちゃうけど?」

「ああ。この箱をアートゲーマーにいる人間に届けてほしい。アートゲーマーは知ってるな?」

「井の頭通りにある、四階建てのおっきなゲームセンターでしょ」

 ロンから、手の平に乗るくらいの小さな黒い箱を受け取ったみうみうは、中身を確かめるでもなく、そのままリュックの中に押し込んだ。

「そこの二階に、プラットフォーマーというゲーム機がある。ロボットの装甲でシートの周りがぐるりと囲まれているからすぐわかるだろう。ベンツのマークが付いた黒いTシャツを着た男が、その横で待っているから、一緒にゲームをプレイしろ。ゲームシートは周りからは見えないように二人並んで座れるから、プレイ中にブツを渡してくれ」

「……渡すのはいいんだけど、一緒にゲームしなきゃいけないの?」

「ああ。ワンプレイしたら、さりげなくそのまま帰ればいい」

「なんか、知らないおっさんと一緒に並んでゲームするとか、気が進まないなあ」

 ロンは、カウンターの前から立ち上がると、不満そうな顔のみうみうを残してドアに手をかけた。

「じゃ、頼んだぞ」

「はーい。渡し終わったらメッセージ送る」

 ロンが出ていくのと入れ違いに、ピンクがかった金髪を三つ編みにした女性が入って来た。

「おはよーございまーす!」

「リカちゃん、おはよー。ちょっとお使いに行ってくるね。すぐに帰って来るけど、もし開店時間までに戻らなかったらお店始めてて」

「了解っす、店長。行ってらっしー」

 みうみうはリュックを背負うと、ドアを開けて出て行った。


***


 一年ぶりに渋谷駅で降りた宏樹は、目印にしていた建物や出口がすっかり変わってしまったことに戸惑っていた。以前から工事ばかりしている駅だから、いつの間にか新しいビルができていても驚きはしない。ただ、よく使っていた出口が封鎖されていて、どこにつながるのかわからない通路を遠回りさせられるのはうんざりだった。

 三年前にあの事件があってから、渋谷からは足が遠のいていたが、ようやく地上に出て見覚えのある場所に来てみるとやはり居心地の良い街だった。

 待ち合わせ場所の駅前本屋に五分ほど遅刻して到着すると、相手はスマホの画面に見入っていた。

「吉田。悪い。待たせた」

「おお。大丈夫だよ。あとでおごってくれれば、ぜんぜんチャラだから」

 大丈夫と言いながら、しれっとおごらせようとするところが、こいつらしいな。そう思いながら、裏表の無い笑顔にほっとする。

「それで、どこに行くんだ? 行きたい場所があるって言われただけで、どこだか具体的に聞いてないけど」

「初めて行くから、俺もよく知らないんだけどさ。JKガールズバーなんだよ」

「JKガールズバー……」

 その言葉の響きに、宏樹はドキッとした。あの時、みうみうも自分の店をそう呼んでいた。一年前に来た時に、ビルごと無くなっていたから、その店であるはずはないけれど。

「行ったことあるか?」

「いや……ない。でも、なんで俺と?」

「一人で行く勇気が無くてさ。でも他の奴に言うと、ロリコンとかバカにされそうだからな。宏樹なら黙って付き合ってくれるし、趣味も合いそうだろ?」

 人のことをロリコンの同類扱いしやがって。それにバーなんだから、本当の女子高生がいるわけもなく、コスプレしているだけだって知ってるだろ。そんな宏樹の内心には頓着せず、吉田はスマホの画面を見ながら歩き始めた。

「この坂を上がっていって、狭い路地に入ったところらしいんだよな」

 あの時と同じルートだ。この書店から飛び出した時に握られていた手首の感覚を思い出し、宏樹は顔が熱くなってくるのを感じた。


 吉田について坂道の途中の路地に入ると、一年前に比べても、また店が入れ替わっているようだった。路地に入ってすぐ、セーラー服を着て金髪を三つ編みにしている女性がかがんで小さな看板を出しているビルも、宏樹は見覚えがなかった。

 看板とスマホを見比べながら、ビルの前で吉田は立ち止まった。

「ここか?」

「たぶん」

 看板の向きを調整し終わった女性は、じっと様子を見てる吉田に気がつくと、立ち上がって声をかけてきた。

「どっかお店探してんの?」

「あ、ええと、あの……」

 吉田はスマホを持ったまま、ドギマギしていて答えられないでいる。

「お店の名前は? このへんのお店は、だいたい知ってるから行き方教えてあげるよ」

「えっと、『バー・エイトファイブ』という店なんですけど」

「なんだ、うちじゃん。ちょうどオープンしたとこだよ。ついてきて」

 女性は、にこっと微笑むと、吉田に話しかけながらビルの奥に歩き始めた。

「うちに来るのは初めて?」

「はい」

「そっか。どこで見つけたの?」

「あの、コンカフェの紹介サイトで」

「へえー。じゃ、クーポンは?」

「あ、いいえ。持ってないです」

「それはもったいないよー。お店の公式サイトに行って、入学初登校クーポン取ってきなよ。基本時間が九十分に延長になるよ」

「は、はい」

 あわててスマホの画面をいじり始めた吉田から目を離し、女性は宏樹の方を向いた。

「あなたも初めて?」

「……はい」

「グループで一人がクーポン持ってれば大丈夫だよ。あたしはリカ。あなたの名前は?」

「宏樹」

「宏樹先輩ね」

 廊下の奥のドアを勢いよく開くと、リカはにこやかに二人に向き合って言った。

「エイトファイブに、ご入学おめでとうございます! 先輩方♡」


***


 営業中のJKガールズバーに生まれて初めて入った宏樹は、独特の雰囲気に押されて、カウンターの前で黙ってグラスを傾けていた。三年前に、みうみうの店に連れてこられた時は、まだ開店時間の前だったから、買い物袋が積まれていたりして雑然としていた。しかし今は、ポップなBGMが流れ、カウンターの向こうには、制服を着た女性が二人も並んで話しかけて来る。

 気取っているつもりはないが、はた目にはクールを装っているようにしか見えないので、正面にいるブレザーの制服を着て黒髪にメガネの女性も、少し持て余し気味のようだった。

「宏樹先輩は、渋谷にはよく来るんですか?」

「最近はあまり」

「じゃあ、今日は久しぶりですか?」

「ああ」

 隣で、もう三杯目のハイボールを飲み、すっかりできあがって騒いでいる吉田とリカの様子をちらりと見ながら、宏樹はまたグラスを口に運んだ。

「先輩、お酒強いんですね!」

「そうでもない」

「……」


「あー! そうだ、マユちゃん、忘れてた!」

 リカが手を叩いて大きな声を出したので、マユちゃんと呼ばれた宏樹の前の女性もそちらを向く。

「今日はポッキーの日だから、ポッキーゲームやるんだった」

「えっ? ポッキーゲーム!」

 吉田が目を輝かせた。

「そう! イベント参加券を買ってくれたら、あたしたちとポッキーゲームができるよ」

「やるやる」

 さっそく吉田はスマホを取り出している。

「いくら? 基本料金の支払いと同じで、ポイポイで先払い?」

「はーい、それでお願いしまーす。一回千円です」

「おい、宏樹もやるぞ」

「いや、俺はいい」

 吉田は、カウンターの上のQRコードを読み込むと金額を入れてリカに見せた。

「あれ? よっしー先輩、二千円って入ってますよ。一回千円ですけど?」

「いいんだよ。宏樹の分も俺が払うから」

「おい、俺は……」

「よっしー先輩、太っ腹!」

 決済音がすると、リカはイベント券と一緒に、ポッキーの入ったワイングラスを吉田の正面に置いた。

「じゃあ、まず誰とやるか決めるんだけど、ただ指名するんじゃ面白くないよね」

「えっ?」

 吉田は予想外という顔になった。おそらく、目の前で話していたリカを指名する気まんまんだったのだろう。

「ルーレットがあるから、今日の出席者からランダムに決めまーす」

「ルーレット?」

 リカは、カウンターの裏からタブレットを取り出して画面を開き、四人の前に置いた。カラフルなルーレットが表示され、それぞれの色に名前が書かれている。

「リカちゃん、こんなのいつの間に用意したの?」

「うん。てんちょ……じゃなかった学級委員が用意してた」

 リカは吉田に向けた画面で、スタートボタンを指差した。

「これを一回押して。ストップは自動的に止まるみたいだから」

「わかった」

 吉田が、念を込めるような真剣な顔になってスタートボタンを押すと、画面のルーレットは、クルクルと高速で回り始め、次第に遅くなって止まった。針の下に来たコマに書かれていたのは「リカ」という名前だった。

「よしっ!」

 ガッツポーズをして喜ぶ吉田を見ながら、リカはさっとくちびるにポッキーをくわえて、カウンターの上に身を乗り出した。

「ほら、やるよー」

「お、おう」

 急に緊張した表情になった吉田が、ゆっくり反対側の端をくわえるのを待って、リカはポリポリとかじり始めた。だが吉田の方は照れているのか、緊張しているのか、全然進まない。半分ほど無くなったところで、ボキッと音がして、リカのくちびるからポッキーが離れた。残りは全部吉田がくわえたまま。

「あー、折れちゃった。もっと食べたかったのにー」

「……う、うん」

 吉田は、残念そうに残りを口に押し込んだ。

「次は、宏樹せんぱーい」

 リカにタブレットを向けられた宏樹は、しぶしぶスタートボタンに指を伸ばしたところで、ルーレットに書かれている名前の一つから目が離せなくなった。

「えっ、みうみうって」

「んー? みうみうは学級委員だよ。いま、ちょっとお使いに出てるけど、すぐ戻って来ると思う」

 固まっている宏樹を見て、リカはいぶかしげな表情になった。

「宏樹先輩、みうみうのこと知ってるの?」

「いや、知ってるというか……人違いかもしれないし……」

「ま、とりあえずスタート押して。学級委員のコマは一つしかないから、なかなか当たらないと思うけど」

 宏樹は、しばらくじっと画面を見ていたが、小さく首を振ってスタートを押した。ルーレットの回転が遅くなり、焦らすように一コマ一コマ進んで、最後にギリギリで針の下に来たコマには、「みうみう」と書かれていた。


***


「おはよー! みんな元気ー?」

 一瞬しんとなった店のドアが開き、カランと鳴ったはずのベルの音も聞こえないほど元気な声を上げながら、みうみうが入って来た。

「あ! ちょうどいいところに帰ってきた! さっそく順番だよー」

「ちょっと待って。アートゲーマーから全力で走って来たんだから、水くらい飲ませて」

 リカに急かされたのをさらりと流しながら、みうみうはカウンターの後ろに入り、前に座っている二人に向かって手を振った。

「いらっしゃーい。初めて見る先輩達かなーって……。ちょっと待った! 君、見たことあるよね?!」

 みうみうは、宏樹を指さしながら、目を見開いた。

「……ご、ご無沙汰」

「えっ、本当に、あの時の少年なの?」

 リカは、興味津々な目つきで二人の顔を見比べた。

「やっぱり、宏樹先輩とみうみうは知り合いだったんだ。どういう関係?」

「宏樹くんって言うんだ。あの時は名前、聞かなかったからね」

 みうみうはリュックを下ろすと、宏樹の正面に立った。マユは場所を開けて、すっと店の奥に引っ込んで行く。

「ずいぶん前に、たまたま本屋さんでばったり会ったことがあって。その時も、お使いに行ってたんだけど、悪い奴をやっつけるの手伝ってくれたんだ」

「いや、手伝ったわけじゃないんだけど……」

 みうみうは、カウンターにひじをついて宏樹の顔をじっと見つめた。

「あの時は、初々しい高校生だったけど、ずいぶん大人っぽくなったね。それで、こんなお店に、お客さんとして来るようになっちゃったんだ」

「いや、自分で来たわけじゃなくて……。こいつに連れてこられただけで……」

 ドギマギしている宏樹の横で、蚊帳の外になった吉田がムッとした顔になる。

「なんだよ。JKガールズバーなんか来たことないって言いながら、実は常連だったのかよ」

「いやいや、違うって。誤解だ。お店に客として来たことはないから」

「なんだそれ」

「そうだよー。手に手を取りあって追っ手を逃れ、渋谷の街の片隅で身を潜めてたんだよねー」

「さらに誤解を招く言い方はやめて下さい!」

 真っ赤になった宏樹の顔を見て、リカが思い出したようにワイングラスをみうみうに向けた。

「さっき、ポッキーゲームのルーレットやって、みうみうが宏樹先輩の相手になったから。ほらほら」

「えっ、そうなの? そんなこともやるようなオマセさんになったんだー」

「いや、それもこいつがやれっていうから」

 吉田は、グッとカウンターに身を乗り出して来た。

「お前がやらないんなら、俺がみうみうさんとゲームするぞ」

「えっ」

 戸惑った宏樹の表情を見て、みうみうは握った右手を前に突き出した。

「ねっ! 宏樹くん! じゃんけんしよ」

「え? じゃんけん?」

「最初はグー、じゃんけんぽん!」

 勢いにつられて宏樹もパーを出すと、みうみうはグーのままで勝負がついた。

「あー、宏樹くんの勝ちー! じゃあ、ポッキー半分からね」

「えっ、何?」

 戸惑う宏樹の目の前で、みうみうはポッキーを半分に折ってくちびるにくわえた。

「なんだよそれ。俺の時は、じゃんけんなんてしなかったけど」

 吉田が不満そうに抗議すると、みうみうはポッキーをくわえたまま、眉をひそめてリカをにらんだ。リカは、ぺろっと舌を出して肩をすくめる。

「わっすれってたー!」

「ん! むむむ!」

 みうみうは、カウンターの上に身を乗り出して、宏樹の顔の前に顔を近づけた。真っ赤になったままの宏樹は、ぎゅっと口を閉じたまま、身動きができないでいる。

「む、む、むっ!」

 みうみうのくちびるの前で、催促するように短いポッキーが上下に揺れる。それでも動かないのにしびれを切らせたのか、とうとう両手を伸ばして宏樹の頭を押さえ、ぐいっと引き寄せた。宏樹の口元に丸いチョコレートが当たり、すっと差し込まれる。

 ポリ、ポリ、ポリ、ポリと音をたてながら、どんどん近づいて来る、みうみうの美しい顔に照れて、宏樹は思わず目をつぶった。

「ああっ! おい! もうくっつくぞ!」

 吉田は横で大声を出し、リカも口元を手で覆って目を見開いている。マユも、カウンターの奥からじっと見ていた。

 あと一センチもないほどに接近したところで、みうみうは食べるのをやめ、じっと動かなくなった。宏樹は、緊張に耐えられなくなったのか、そっと目を開く。その瞬間、みうみうはぷっとくちびるをとがらせて、残りのポッキーを宏樹の口の中に押し込み、手を離した。

「おおおい! 今、くっついたか? キスしたのか?」

 大騒ぎしている吉田に向かって、みうみうは笑って手を振った。

「ないない! 寸止めで触ってないよー」

 そのまま、みうみうは店の奥に引っ込んで行った。


***


「まったく、今日は全部お前に持って行かれたな」

 渋谷駅に向かって坂道を下りながら、吉田は不愉快そうにチッと舌打ちした。

「そんなことないよ。お前の方がずっと楽しんでただろ」

 みうみうが引っ込んだ後、吉田は再度ポッキーゲームに挑戦したが、またもリカを引き当てた上に、じゃんけんにも負け、ほぼ丸一本のポッキーを自分で食べることになった。さらに挑戦したが結果は同じで、もう一度やろうとしても一人三回までと言われて、泣く泣く諦めたのだった。

 なんだかんだ騒いでいるうちに、九十分の基本時間がきたので、延長はせずに店を出てきた。

「店を出る時の見送りでも、お前の方だけなんで扱いが違うかなあ」

「そうか? お前の方もリカさんがちゃんと見送ってただろ」

「いや違う。リカさんのあっさりした対応と、みうみうさんのお前に対する態度は、ぜんぜん違う」

 そんなことがあるかな。宏樹は声に出しては答えずに、ポケットに手を入れた。

「なんか、今年はずっと暑かったけど、さすがに冷え込んで来たな」

「そうだな。もう十一月だもんな」

 ポッキーの日か。

 これから、あの赤いボックスを見るたびに思い出すことになるのかな。

 カウンターで、くちびるにふれた感触をふっと思い出して、宏樹は空を見上げた。


=============

この作品は、コレクション「宏樹君の休日(KAC2023の応募連作シリーズ)」の後日談になります。

昨年、2023年11月11日ポッキーの日に開催された文学フリマ東京で頒布した、無料ペーパーの再掲です。


コレクション「宏樹君の休日(KAC2023の応募連作シリーズ)」

https://kakuyomu.jp/users/daikanzaka_nozomu/collections/16817330653941968890





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宏樹君の十一月十一日 代官坂のぞむ @daikanzaka_nozomu

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