第7話 別れ
暗闇の中をどれだけ走ったのか。
うっすらと東の空が白み始めている。
立ち止まると、風のざわめきと川の流れが岩を打つ音だけが遠くに聞こえて来る。
背中の温もりが弱々しく、今にも消え入りそうにも思えた。
ザッザッザッ・・・
どこからか人が歩いて来る気配だ。
「ゴン、大丈夫か?
お通さん、・・・やられたのか?」
はっとなって辺りを見渡した。
暗がりから現れたのは伝七だった。
今現れたのが伝七ではなく、あの浪人であったなら、きっとひとたまりも無くやられていただろう。
権左衛門は、声をかけても返事が無いお通をどうすれば良いのか分からず、道の真ん中で放心状態になって立ち尽くしていた。
伝七は、権左衛門の背中に回ると、改めてお通の様子を確認した。
体が冷たくなっている。
息はしているが、ひどく浅い呼吸だ。
背中に刺さった矢を避ける様にして、耳を着物の上から当て、心臓の鼓動を確認する。
そして権左衛門の肩を掴むと言った。
「お通さんを降ろしてやれ・・・」
伝七の言っている意味が分かって、全身の力が抜けた。
張り詰めた緊張を解くと、そのまま膝が崩れてしまった。
「もう助からん」
伝七の言葉に、胸に沸き上がって来るものがあった。
「嘘だろ・・・」
権左衛門は、そう呟きながら首を振った。
涙が溢れてくる。
泣いているつもりは無いのに、何故だか止めどなく熱いものが頬を伝って流れていく。
「矢が刺さったままじゃ可哀相だ」
お通の体を伝七が抱え、背中に刺さったままの矢を根本を掴んで折った。
矢を抜いたりすると、余計に血が吹き出てしまう。戦場で矢を受けた場合、止血出来ない場合はすぐに矢を抜いてはいけないというのは鉄則だ。
もう無駄だと分かっていても、お通は二人にとって大事な友人であり、家族の様な存在だ。
伝七は、矢が刺さったままの姿で逝かせたくないと考えた。
もう痛みも無いのだろう、お通は何も反応しなかった。
お通を道の脇まで運ぶと、近くに生えた木の陰に寝かせ、伝七はここで待てといって小走りに走って消えた。
───しばらくして戻って来た伝七は、追っ手が迫っている事を告げた。
「川が近いから、音が掻き消されて追跡を巻けると思ったんだが・・・どうやら鼻が利く奴が仲間にいるようだ。
おそらくお通さんの血の臭いを追ってきたんだろう。
このままお通さんを連れていけば、昼夜を問わず追跡を受けて、俺達は全員やられる。
相手は人数も多いし、あの浪人は相当な達人だ。
俺も煙り玉を使って目潰しをして、なんとかここまで逃げて来たんだ。次も逃げきれる自信は無い・・・
このままだと三人とも死ぬぞ!」
権左衛門は、うなだれながらぼんやりと伝七の言葉を聞いていた。
死ぬ? 俺が、死ぬのか?
いいじゃないか、どうせお通さんは守れなかったんだ・・・。もうどうだっていいさ。
投げやりとも諦めともつかない感情が淡々と流れた。
「ゴン。しっかりしろ!」
伝七は権左衛門の肩を掴んで揺さ振った。
「きっとお通さんだって、お前が死ぬ事を望んじゃいない筈だ!」
権左衛門はその言葉を聞いて、我に返った。
・・・お通さんは俺に自分を置いて逃げろと言った。
瞬く間に脳裏に村での楽しかった記憶が蘇った。
お通さんがうっかり井戸に落とした桶を、代わりに拾い上げたとき、ありがとうと笑顔で喜んでくれた。
去年の秋には三人で茸採りに山へ出掛けた。苔で滑った権左衛門を、馬鹿だなと笑いながらも傷を手当してくれた。
お通さんは団子作りの名人だ。山の上で食べた弁当の団子は最高に美味かった。
彼女の頼み事は何でも聞いてあげていた。
年上だったし自分の方が力もあったからだ。
いや、それだけじゃない。
家族同然の信頼関係が二人の間にはあった。
自分にとって、彼女の笑顔が見れることが一番嬉しかった。
彼女の願いは自分の生き甲斐も同然じゃなかったのか。
そうだ、俺まで死んだらいけないんだ。
死んだらお通さんの気持ちを無駄にしてしまう。
伝七は権左衛門が立ち上がり、覇気が戻ったのを感じるとすぐに指示した。
「時間がない、お通さんを運べ」
「どうするんだ?」
「このままお通さんが見つかったら、一体どんな酷いことをされるか分からん。
せめて俺達でなんとかしないといけない。
この先に荒川の渡し場がある。
あそこで舟に乗せて流そう。
うまくいけば、下流で村の誰かが拾い上げて弔ってもらえるかもしれん」
「分かった、行こう・・・」
権左衛門は、再びお通を抱き上げるようにして歩き出した。
自分がもっと強かったら。
きっと、お通さんが犠牲になることなんて無かったかもしれない。
大切な誰かを守れる力が欲しい。
権左衛門は、強く願った。
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