第3話 権左衛門と伝七
遡ること3年余り、盆地の中腹にある新里村の空は雲一つ無い清々しい晴れ模様だった。
盆地では早い秋の訪れとともに、柿の実が色づき、田圃の稲は軒並み収穫を終え、黄金に輝く稲穂が束ねられて、田圃の幅いっぱいに並んだ柵に掛けられている。
稲は収穫を終えると、すぐには籾摺りをせず、茎に残った養分を実に集めるために穂先が下になるようにして数日の間風にさらして干すのだ。
朝早くから、どこからともなくやって来た雀が干している稲穂に群がって、それを農家の若い衆が交代で追い払っていた。
権左衛門は朝一番の当番だった田吾作と交代すると、田圃の見回りを始めた。
彼の右手には、あからさまに目立つ様に、枝葉の付いたままの樫の木の枝が握られていた。枝を折って出来た即席の棒を振り回し、稲穂を
雀達は一体どこから来るのだろう。権左衛門がそんなことを考えながら雀がいなくなったのを確認して隣の田圃に移動すると、さっき追い払ったばかりの雀たちがまたやって来て、稲穂を
見える範囲に案山子がいくつか立っていて、本来雀を追い払う役目は彼らが担っている筈なのだが、全く役に立っている様子がみられない。
ここ2年ばかり雨がほとんど降らず、米も収穫量が少なく、作物の不作が続いていた。
雀たちも飢えていたし、人にとってもそれは同じだった。
村の人々は蓄えを切り崩し、野山の山菜や川魚を採って何とか飢えをしのいでやってきたが、限界も見えてきていた。
目の前にある米や作物も、そのほとんどは年貢として役所に納められ、村人の口に入るのは僅かだ。
権左衛門は元服する前の十二の時に流行り病で両親を亡くしており、家を借金のかたに追われ、今では隣村の村長である助六からの助けで借り受けた水車小屋を住処として、ここ新里村の人々と共同生活を送っていた。
元を辿れば権左衛門の家系は北条氏に仕えた武士の末裔だ。世が世ならば由緒ある身分だっただろう。
しかし戦国時代に戦で追われ、流れ着いた先がこの盆地で、家門を捨て、何代も前から農民として身をやつしてきた。権左衛門の名前は武士としての尊厳を持つようにと祖父に付けてもらったものなのだが、その由来については権左衛門本人も知らされていないし、ちょっと他の子供たちとは違った名前だという位しか感じてはいなかった。
この新里村の村長である助六は、齢五十を数え、妻と十四になる娘の三人で慎ましく暮らていた。
彼は大らかな性格で、困っている者を見過ごせない性格だったから、身寄りのない権左衛門を不憫に思い引き取ったし、それより五年ほど前にこの村に流れ着いた伝七の面倒もかって出ていた。
伝七はある晩、ふらっとこの村にやって来たのだが、どこでどうしたのか大けがをしていて、村長に保護され生死の境を七日間さまよった挙句に一命を取り止めたという過去がある。
だが、今ではそんなことも無かったかのように村に溶け込んでいて、余り他人とは関わる事を避けている向きもあったが、似た境遇だったことと、歳も近いこともあって、権左衛門とは良く一緒に行動していて親友とも呼べる仲でもあった。
「よう、ゴン(権)。今日も精が出るな」
「伝七か、いいところに来たな。少し手伝えよ」
「雀を追っているのか。大変そうだな。よーし、俺に任せろ」
そう言うと伝七は道端に落ちていた石をいくつか拾って稲が掛かている柵に向かって投げた。
柵の端に石が当たり、「コン」と大きな音がした。途端に雀たちが一斉に逃げていく。
次々と投げた石は、全て狙い通りに命中していた。
「相変わらず上手いもんだなぁ」
権左衛門は伝七の石投げの腕前に素直に感心した。
「なぁ、どうやったらそんなに上手く投げられるんだ?」
「コツが有るんだよ。今度教えてやるよ」
「俺は棒っ切れを振ってる方が好きだがな、だけど狩りが出来るように鉄砲撃ちもやってみてぇなぁ。少しは村の足しになることしないとな」
「鉄砲なんて持ってる奴、この辺にゃ居ないじゃないか? 教えてもらいたくてもどうにもならんな。お前、そんなの格好付けたくて言ってるだけじゃないのか? さしずめお
伝七はニヤニヤしながら尋ねる。
「はぁ? 棒ばかり振ってたって腕っ節ばかり太くなって、頭は良くなんねぇ。何か技を身につけたら利口になって人と上手く話しが出来るようになるだろと思ってさ」
権左衛門は都合の悪いところを突かれ、素知らぬ顔ではぐらかした。
その様子を見透かして伝七が続けた。
「で、話しが上手くなったら、お
権左衛門ははっとなって、手に持っていた樫の枝を、笑い続ける伝七の腹に押し付けてガサガサやった。
他愛もない会話が続く。二人にとって何気ない平和な日常だ。
不作続きで村の食糧事情は厳しいが、人々は日々精一杯働き、気持ちの上では弱音を吐いたりはしていなかった。流石に食事は粗末なものばかりになって、祭りなどの行事も久しく行われなくなったが、それでも村の様子は凡そ平常を保っていた。
逆に口々に厳しい言葉ばかりが出てくるようになったら、いよいよ危機的な状態になったともいえるだろう。
「それよりゴンよ、お前、昨日もずいぶん長いこと村長の家にお邪魔してたんだってな。いい加減、お
「なんだよ、話なんか毎日してるだろ? なに言ってんだ?」
「おいおい、世間話ばっかりで、まだ切り出せないのかよ。おまえは男か? もっと度胸あるヤツだと思ったがな」
「うるせぇな、俺がどうでも、向こうがどうだか分からんだろうが」
「馬鹿だなぁ、分からないから聞いてみろって言ってんだよ」
「うぉおお、うるせぇ!」
権左衛門は伝七の右足を両手で掴んで伝七をひっくり返そうとした。
伝七はげらげら笑いながら足を捻って権左衛門の拘束をあっさりと振りほどくと、そのまま走って逃げだした。
「照れんなよ、まぁ今度は頑張れよー」
そう言い捨てて伝七は笑いながら風のように去っていった。
伝七は何でもできる器用な奴だった、とても義理堅い性格で、命を助けてもらった村長にはことさら力になろうとしているようで、何かと用事を言いつかっては仕事をしていた。
村長の娘のお通は伝七兄さんと呼んで彼を慕っていたが、伝七は村長以外の人間とは話したがらず、お
権左衛門と伝七は境遇も似ていて、歳も近かったことから出会ってすぐに友となった。
村長の娘である、お通を含めた三人は兄妹の様な仲だ。
この時、伝七が最年長で歳は十九、権左衛門が十六、お通は十四だった。
年頃の男と女がいれば自然とそれなりの話題も出てくるものだ。伝七とは彼女を巡って、権左衛門が彼女を好きかどうなのかと言い合いになり、結局は権左衛門が折れて本心を明かしたことで伝七がそれを応援しようという事となったのだ。
しかし初な権左衛門には核心を突いた話しをする勇気などなかった。
何日か過ぎ、村は稲刈りも終わって、男衆が村の広場に集まっていた。
隣村から借りた大きな荷車に、米俵と作物を積んで人力で曳き、三里離れた町の役所まで運び出すのだ。
村で一番の力持ちだった権左衛門は荷車の前を陣取り、掛け声を掛け、持ち手を掴んで荷台を水平に起こして前へ押し出した。
男衆が荷台の周りを一斉に押して、ようやく荷車が動き出した。
「行ってきます!」
権左衛門が元気に声を出すと、居残った村人達が、頼んだぞと口々に見送った。
村長が最後に帳簿を入れた風呂敷を担いで荷車の後に続いた。
年貢を納めるのは、村を維持するために欠かせない毎年恒例の大切な行事だ。
だがこの時、後に村に起こる大きな災難のことなど、誰も想像はしてはいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます