第2話 罠
ヒュンヒュンヒュン・・・
背後で何かが風を切る音が聞こえてきた。
その音は次第に大きくなって来るのが分かった。
音の調子から、投げ屶か手斧の類だろう。
権左衛門はこれまでの修行で研ぎ澄まされた全身の感覚によって、何者かが放った得物が自分に向かって飛んで来るのを感じ取った。
方向は背後、少し右の方からだ。
まだ十分距離は有りそうだ。
まさに瞬きする様な瞬間的な合間であった。危険を察知して反射的に回避動作の判断を行い、すぐさま全身の筋に緊張を走らせた。
そして左に上半身を捻りながら、両足を最小限の動作でバネの様に動かして、田圃の周りに盛られた
着地の瞬間に左手を地面へ突いて、そのまま受け身を取って転がる。
風切り音を頭上にやり過ごすと、
権左衛門は日頃から伝七に『見張りは基本だ』と厳しく言われていたのを思い出した。
警戒を怠って油断していたのだ。
迂闊だったな・・・。
辛うじて
周りは田圃だらけで見晴らしは良いが、一カ所だけ雑木林になっている場所がある。
その雑木林の手前にある藪の中に僅かに動く人影が見える。
野盗だろうか。
相手は一人・・・いや二人だ。
投げられた獲物は手斧だ。
今度は大きく放物線を描いて飛んでくる。
相手は手斧の扱いに相当慣れているようだ。
手斧の軌道は
権左衛門は片膝を付いて体を起こすと、すかさず左手を振り上げ、すぐに上から下に振り下ろした。
袖口から飛び出したそれは、瞬時に左手の握りに収まり、突き下ろした拳の外側から真っ直ぐ肘に沿って板状の装具が伸びた。それは手首と同じくらいの幅が有り、表面にただの農具や工具とは別物と一目で分かる壮麗な文様が細工された武具だった。
その武具は刀や鎌の様な刃は見当たらず、幅広の板で出来た小手の様でもあるが、表面には複雑な溝が並び、一般にみられる様な武具とは違うものだ。
形状だけで例えるなら、片手で使える小鍬の様な印象だ。
権左衛門は左手を胸の前に構え、円を描くように素早く振って、手の甲から肘にかけて腕を覆っていた板状の部分を、握り部分を中心に半周ほど回して拳の前に突き出し、飛んで来る手斧を弾いて叩き落とした。
ジャリーン。
鋼と鋼がぶつかる鈍い音がして、権左衛門の目の前で手斧が地面に落ちた。
ギィーンと響くような余韻が残る。
落ちた手斧はその衝撃で刃が真っ二つに割れ、地面に飛び散った。
権左衛門が取り出した武器は、とある山寺に住む高層から托されたものだ。
言い伝えに依れば、仏の下で悟りをひらいた殺生を禁ずる徳のある高僧でさえ、一度それを持てば、神仏をも畏れず、正義のおもむくまま、その内なる怒りをもって相手の刃を封じ込め、全てを罰することを赦される武具であるというものだ。
ただしその一振りは仏の道を外れる覚悟をもって以って扱うものであり、一度使えば破門され、さらには死をもって償わなければならないという掟があった。その武具の名を
その高僧から伝え聞いた話では、元々武田家の家宝の一つであり、40年以上前に飢饉が襲った際に、寺の所有する備蓄と資産を投げうって、その身を呈して民の救済にあたった徳の高い寺の行いに対して、信玄公より直々に報償として賜った物なのだそうだ。
試し試合で十数名の浪人の刀を瞬く間に
結局は掟が作られたお陰で使うものもおらず忘れ去られてしまい、「宝の持ち腐れとはこのこと」と、その高僧は嘆いていた。それを縁あって志を見込まれた権左衛門に託されたものだ。
権左衛門は藪の様子を注視し、相手の出かたに注意を払いながらも、藪まで続く畦道と周辺の状況をみて戦略を練った。
道の真ん中に転がっている旅人の遺体は、おそらく野盗がめぼしいものを漁った後に打ち捨てたのだろう。
腹を折った格好で地面に座り込んだかのように置かれていれば、まるで具合が悪い病人のように見えるから、気のいい旅人であれば近寄って声を掛けてしまうだろう。
用済みになった遺体を有効に利用して、次の得物をおびき寄せる囮に仕立てたというわけだ。
敵の潜む藪からみれば、遺体の周辺は開けていて弓などで狙いやすく、格好の標的にできる。野盗が良く使う罠だった。
鍛えられた瞬発力があったからこそ奇襲を避けられたが、何の訓練も受けていない者であったなら、きっと今頃はそこに転がる死体の仲間入りをしていた筈だ。
権左衛門は、自分の迂闊さに後悔しつつも彼らの非道な行為に虫酸が走るのを覚えていた。
「なんて、ひでぇ事しやがるんだ・・・」
権左衛門は戦術を決め、
まるで無謀かとも思われる行動だが、三年の苦行は彼を手練れの武人に変えていた。
彼の師匠は抜け忍だ、どちらかと言えば彼の技は忍び術に近い。よって武人というより忍者というべきだろうか。
彼には、たった今の短いやり取りで、相手の力量が十分に理解出来ていた。
だからこそ真っすぐ飛び出したのだ。
野盗は少なからず得意とする投擲術が効かないとなれば、次の手を考えるだろう。
卑劣な者の考えることだ、吹き矢や弓を使って、あくまで姿は現さず、遠隔攻撃に徹するに違いない。
それゆえ、一方的に遠距離攻撃をして来る相手に時間を与えるということは、得策ではないのだ。
権左衛門は身を低くしながら畦道に沿って左右に蛇行しながら走った。
素早く右手を背中にまわし、背中の帯に挿していた分銅を逆手持ちで抜いて、そのまま腰の高さで水平に円を描くように腕を振って、藪の中に投げ込んだ。
分銅が藪に飛び込んですぐ、鈍い音と共に男の呻き声が聞こえた。
ぐあっ。
分銅が命中したようだ。
藪は身を隠すためには都合が良いが、逆に動きが制限されてしまうし、視界が悪い分だけ認識と判断力が低下するという欠点がある。
野盗の一人は権左衛門が向かって来ることは見えたが、身を隠すことに専念し過ぎて身動きができず、飛んで来る分銅を避けることが出来なかったのだ。
男は顔を押さえ、そのまま倒れ込んで意識を失ってしまった。
権左衛門は藪の手前で右に方向を変えて、藪と田圃の境目に沿って左回りに迂回して、藪の裏側を目指した。
田圃との境目は、
おそらく中から権左衛門の動きはまる分かりだが、権左衛門の方からは中の様子が分からないので、不利な状況は変わってはいない。
手斧を投げた野盗は手練れだ。状況をみて無理に攻撃せず、守りに徹していることから近接戦闘にも自信があるのが想像できるし、無闇に飛び道具で攻撃して来ないのは位置を知られないようにということなのだろう。
先ほどの分銅が命中したのは、手応えからはおそらく経験の浅い者だという事が想像できた。隠れてる事に安心してしまったのか、己の視界が狭いのにも関わらず状況確認を目だけに頼ってしまった事で陥る初歩的な失敗だ。
それに比べると残った野盗は危険な存在だ。
権左衛門がいきなり藪に飛び込まず、左回りに藪を迂回している事には相手が潜んでいる事への危険性以外にも理由があった。
敵の投擲術は必ず右に傾いた放物線を描いていた。右手を使って投げているのだ。つまり相手の利き腕は右ということだ。
だから相手の左側は投擲するにしても狙いにくい位置となるし、権左衛門にとっても左手に装着した僧怒無礼可で防御が可能だということと、何より左回りの方が走りやすかった。
常に有利な位置を取り、相手の不利をつけ。勝機はそこから生まれる。
師匠であり友人でもある伝七の言葉だ。
篠の林が途切れて、獣道の様に狭い小路が見えた。
この道を辿って林の中を進めば、野盗と鉢合わせするだろう。
だが藪の中に突っ込めば、お互いろくに身動きできない状況のまま戦うことになる。
おそらく野盗は近接戦闘を得意としていて、狭い場所も得意としているだろうから尚更相手の思うつぼだ。
もしかすると途中に罠や仕掛けもあるかもしれない。
だが躊躇していれば命取りとなる。考えている暇はなかった。
権左衛門はその巨躯に似つかわしくない程の身のこなしで小道の脇に生える大きな木に掴まり、太い枝に手を掛けると幹を蹴って全身をバネのようにしならせて舞い上がった。
そのまま続けざまに近くの木に飛び移る。飛び移る際に枝や幹を蹴って体を捻りながら進んでいく。
瞬時に木の上に登ったり木々の間を飛び移る際に使うこの忍びの技は「飛竜」という術だ。
よく知られる飛び猿の術と呼ばれるものとは違って、木々の間を飛んで渡るだけでなく、空中で鉤付きの縄や鎖を投げて木に引っ掛け、変幻自在に飛ぶ経路や体勢を変えながら素早く移動する術だ。
そうすることで格段に相手から狙いにくくなる事と、木の上を移動しながら観察できるので相手の位置もつかみやすい。さらに林の中に仕掛けられた罠を避けることもできる。
まさに一石三鳥の技というわけだ。
見つけた。
林の奥、木々の間の少し開けたところで、こちらを見つめている。相当驚いている様子だ。
権左衛門は素早く体の向きを変えて上空から野盗の間合いに飛び込んだ。
ガシッ
鋼と鋼が交わった。
次の瞬間、僧怒無礼可から唸り声が響いた。
先ほど飛んできた手斧を叩き落したときにも聞こえた音だ。
ギィーン
バキッ
間髪入れずに手斧の刃が真っ二つに折れた。
偶然ではない。
試し試合で無敵を誇った僧怒無礼可の秘密がここにあった。
僧怒無礼可の特殊な仕組みによって、激しく交われば交わるほどに相手の刃を圧し折ってしまう事ができるのだ。
野盗は飛び込んできた権左衛門の勢いで倒され、同時に武器を失ったことによって戦意を失った。
権左衛門はすかさず首根っこを掴むと、みぞおちに一発食らわせ野盗を気絶させた。
「ふぅ・・・今回も殺さずに済んだ。しかし伝七の言うとおりだ、凄く難しい・・・」
野盗を縛り上げたあと、来た道を二里ほど戻った春日町の役所に二人の野盗は引き渡された。
また予定が狂っちまったな。
すまんな伝七、権三郎。約束を果たすのはもう少し先になりそうだ。
権左衛門は友と交わした約束を思い返しながら、夕暮れの日差しの中を雁坂の関所へ向かって歩き出した。
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