おっぽり権左衛門
堀井 啓二
第1話 お伽話
「おーい、誰かおるかね」
男がある民家の軒先で大声を出している。
誰かを探している様子だ。
民家の周りは雑木林と稲を刈り終えたばかりの田圃が囲んでいた。
ここは武州。武州といっても西の外れにあって、山に囲まれた盆地の中だ。
決して豊かな土地というわけではなかったが、そこには人が暮らし、ほそぼそと少ない農地を耕して生活の糧としていた。
田圃から続く畦道が民家の庭に繋がっていて、その庭先に立つと、開けっ放しの戸から地続きの土間が見える。
しばらくすると土間の奥の暗がりから声を聞き付けた家主が出てきた。
「おう、松っあんかい。どうしたん?」
「うちの倅がじゃましてねーかと思ってさ。
籾摺りも手伝わねーで、どっかいっちまったんさ・・・」
「あー、そういやぁ向かいの康(ヤス)んとこの弥平次と歩いとったな。どうせまた米(ヨネ)さんとこじゃねぇんか? 年寄りは物知りだで、子供らにしてみりゃぁ昔話しがおもしれぇんだろよ」
「ったく、しょうがねぇなぁ・・・けーったら、今晩は飯抜きにしてやんべぇ・・・」
この盆地に点在する集落はざっと20余りあるが、北西部の山に近いこの辺りには、大きく分けると3つの集落で構成され、盆地の中程には大きな川が流れていた。
その川は古くから荒川と呼ばれた。
荒川は山々の岩肌を削り、何万年も掛けて蛇行しながらこの盆地と渓谷を作り上げてきた急流だ。
普段は穏やかで雄大な流れをみせるが、ひとたび天候が荒れると、途端に恐ろしい暴れ川となって人々を苦しめてきた歴史がある。
その川のほとりにある浦山と呼ばれる場所に、雑木林に囲まれた古い一軒家があって、近所の子供達が集まっていた。
夏も過ぎ、のどかな林に囲まれた茅葺きの家は、遠くの山から蜩の声が聞こえている。
日は傾いているものの、まだ夕方という時刻にはまだ早い。しかし山に囲まれているせいで日が陰るのが早く、うっすらと暗くなりはじめていた。
「ねぇ、米(ヨネ)ばぁちゃん。次はどんな話しをしてくれんの?」
子供達の一人が老婆を急かす。
老婆は縁側に座り、庭に集まった6人の子供にお伽話を聞かせていた。
子供達は日々家の手伝いをしながら、夕方近くになるとほんの少しの自由時間を使って、野山を探検したり、チャンバラごっこをしたりして過ごすが、最近では米ばあさんの所に集まってお伽話を聞くことが流行りとなっていた。
「そんじゃぁ、次は山鬼が現れて子供を食っちまった話しをすんべぇかのぉ」
「ばぁちゃん。そりゃ一昨日聞いたんべ。他にねえん? けーりはどうせ暗くなるし、こえぇ話しはやだいね」
子供の一人が注文を付けた。
「そうだいのぅ、ほいじゃぁ、おっぽり権左衛門の話しはしたことねえから、それにすんべぇか」
「おっぽりったら、影森の先にある川のことだんべ?
ありゃあ、ただの小川だで、言い伝えなんか聞いたことねぇやな」
そう言いながらも子供達は早く聞きたそうにして落ち着きがない。
「そうさ、知ってる奴なんかもういねぇかんな、この話しが出来るんは、この米ばあさんくらいなもんさ・・・」
米はそういうと遥か先に見える山の尾根を眺めながら語り出した。
「こりゃ、あたしが子供の時、ひいばあさんから聞いた話さぁ。
昔、この村にゃ権左衛門という力自慢の若いもんがいてな。
そりゃあたいそうな働き者だったそうな。
身寄りもなく一人暮らしで、のんびりした性格だったが、人の何倍も働いて近所でも評判だったとよ・・・」
子供達は話しが始まると、待ってましたと言わんばかりに目を輝かせて聞き入った。
「ある年、米が採れなくなるほど雨が降らない事があってな、村はどの田圃も畑も不作ばっかりで、みーんな困っておった」
縁側の端で聞いていた五郎が呟いた。
「なぁ、フサクって奴が一杯いたんか?」
隣に座っていた姉の末(まつ)がげんこつを下す。
「いてっ」
そのまま五郎は黙り込んだ。
五郎はまだ5歳になったばかりだ。
田圃を手伝い出して間もないし、寺で文字もまだ習い始めてもいない。
仕方ないだろう。
米婆さんはそんな遣り取りを横目に一旦話を止めたが、さほど気に止める様子もなく話しを続けた。
その姿は、まるで昨日までそこにいて、その時の様子を自分の目で見てきたかのように、ハッキリした覇気のある語り口で、背中はしゃんと伸びて娘の頃まで若返ったかのようにはつらつとしてみえた。
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