第8話 笛吹川の特訓

 権左衛門と伝七が村を去って1年あまり。

 甲州(山梨)を流れる笛吹川の源流で、日々鍛練を続ける二人の姿があった。


 バシッ

 小道を歩く権左衛門の後頭部に、実の詰まった硬い松ぼっくりが命中した。


「ゴン、見張りが甘いぞ!

 お前は朝から3度目の負けだ・・・」


 頭を抱えて振り向くと、道の両脇にある林の陰から伝七が出てきた。


「いてぇなぁ・・・分かったよ。今日はもう休ませてくれんか?」


 そう不満を述べてはみたものの、師匠の殺気だった様子を見るに、このまま許してくれそうな気配が全く感じられない。

 とぼけてみせる権座衛門を殊更厳しい目で睨みつけてくる。


「おい、真面目にやれよ。

 突然襲ってる敵に、待ったもなにもないんだ。

 常に気を張り詰めていろ!

 そもそも、真昼間に道の真ん中を歩くなんて無警戒過ぎるぞ。

 警戒は四六時中、どんなときでも無意識に出来るようにするんだ。ただし気配は消して、だ」


「分かった、分かった・・・

 とにかく今日は勘弁してくれ」


 もう降参だと手を挙げて、無抵抗の意思を示したが、どうもこの雰囲気ではいつもの流れで試し試合を挑まれて、足腰が立たなくなるまでしごかれるのは目に見えていた。


 だが権座衛門はそれを予測していて、今日に限ってはしっかり対策も用意してあった。


「この訓練を始めて二月程になるが、全く上達せんな。

 こんなんじゃ、敵と出会ったら真っ先にやられるぞ?

 少し手合わせしてやるから掛かって来い!」


 そう言いながら訓練を続行しようとしている伝七をよそに、権左衛門は懐から麻で出来た包みを取り出してみせた。


「今日は半日かけて里まで下りて、さっき帰って来たばかりだ。

 たまには良いじゃないか・・・。

 ほら、団子を買ってきたぞ。一緒に食おう」


 伝七は溜息をつき、あきれながらも権左衛門の誘いに応じた。

 二人は道から逸れて、沢まで降りると、少し開けた場所を探し、流れの近くで無数に転がる岩の中から、座るのに都合の良さそうな大きなものを選んで腰を降ろした。


 川の流れる音が聞こえ、山からの冷たい風が頬を打つ。

 どんよりとした空模様が、なんだか心を締め付ける様に感じた。

 権左衛門から受け取った団子を眺めながら、伝七が呟いた。


「そうか、こんな日だったな・・・。

 お通さんを送った日は・・・」


 伝七の呟きに相槌を打つようにして権左衛門が思いを吐き出した。


「あの時、俺にもっと力があればお通さんを死なせたりしなかったんだ・・・

 それに無理に助けようと考えた事が裏目に出たんじゃないかって、今でも後悔している」


 伝七は権座衛門の肩を叩き、励ました。


「自分を責めるな。お前は良くやったさ。

 もう過ぎたことは元には戻らない。

 あまり気負うな。

 それより、怖じけづかずに助けようと思った心意気が大事だと思う。

 俺も同じ考えだったから、城にも一緒に潜入したんだ。

 責められるとしたら、きっと俺の方なんだと思う。もっと良い策があったはずなんだ・・・。

 今にして思えば、警戒の薄さに油断しすぎていたのかもしれない。

 それに、あんな奴が用心棒として雇われているなんて思いもしなかった」


 二人の間に沈黙が流れた。

 権座衛門が、闃を切った様に話しはじめた。


「まぁ、失敗はお互い様ってことだな。

 せっかく買ってきた団子だ。

 しんみりしていたらお通さんに叱られる。

 今はお通さんを偲んで、ゆっくり味わおうじゃないか」


 二人はお通の事を忘れないと誓った一方で、前へ歩き出す為の気持ちの切替も、ずいぶん前に済ませていた。

 辛い過去も今や大切な経験の一つだ。


「お前、生意気を言うようになったなぁ

 まぁ、それだけ成長したって事かな?」


 二人はそういうと笑い合った。

 遠く滝の音を聞きながら、その日は暗くなるまで語り合った。


 西沢渓谷は人里離れた山中に有って、沢が有り、滝が有り、深い森に囲まれ、人知れず過ごすにはうってつけの場所だった。

 そしてなにより険しい大自然の環境は、武術を学ぶ二人にとって、心強い師範でもあった。


 二人は多くの時間を共に過ごし、日々鍛練に明け暮れた。

 春は鳥を追って山間を走り、夏は滝に打たれ激流に身を委ねた。

 秋は木枯らしと共に木々を渡り、冬は降りしきる雪の中、穴持たず(熊)を探して対峙した。


 走馬灯のように過ぎ去る特訓の日々。


 そうして渓谷に篭って2年の歳月が過ぎようとしていた頃だ。

 春早い雪の残る渓谷に、何者かが侵入しようとしていることを森の木々達が教えてくれていた。


 森の至るところには侵入者を見つけるための仕掛けがしてある。

 過酷な訓練を経て、二人は侵入者を探知するための細工が発する小さな音を、聞き分けることが出来る様になっていた。


 仕組みは簡単だ、誰かが仕掛けを踏むと、地面に隠された糸が引かれ、離れた場所の木々に仕掛けた細工が動作する。

 例えば枝を擦るとか、石が飛んで幹を打つとか、仕掛けだと気がつかれない程度の小さな音で環境音に紛れて警告を発する仕組みだ。


「伝七、何者かがこの森に侵入した様だ」


 権座衛門が魚を取っていた伝七の元へ駆けつけ、侵入者がいることを告げた。


「分かった。すぐに様子を見に行こう。

 この間のように、ただの猟師なら良いんだが・・・。

 敵だったときの段取りは分かっているな?」


「おうよ、任せておけ!」


 権座衛門は答えると、侵入者の場所を手振りで合図した。

 二人は申し合わせた様に渓谷の入口に向かって走り出した。


 この時二人には、それが深刻な事態に発展するとは思いもしなかった。

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おっぽり権左衛門 堀井 啓二 @kj103103zx

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