第6話 命の灯
今夜は曇り空で月が出ていない。
丑二つ時(午前2時)を過ぎた下原城は、闇に包まれていた。
城と言っても田舎の出城で、その見てくれは『豪商の屋敷』や『武家屋敷』に近い。
城の敷地は平坦ではないが、かといって山城の様に起伏に富んだ複雑なものでもない。周囲は竹で出来た柵で囲われているが、塀の役目を果たしているとはとても言えない簡素な造りで、侵入しようと思えばそう難しくはなさそうだ。
ただ、逆に身を隠すところが少なすぎて、櫓の上から見渡せば侵入者はすぐに見つかってしまうだろう。
幸い、櫓の上には見張りの兵はおらず、敷地内も警備する役人の姿も無さそうだ。
農民ばかりが暮らす田舎だからといってしまえばそれまでだが、警戒が無い無用心さがかえって不気味ではある。
木々のざわめく音が遠くに聞こえる。
伝七と権左衛門の二人は、夕方から辛抱強く城の様子を観察しながら深夜まで待ち続けた。
周囲の気配に神経を研ぎ澄ませ、伝七は潜入するなら今が頃合いと直感した。
権左衛門に目配せをしてついて来るように指示すると、腰を屈めて目立たないように柵に近づき、乗り越えて行く。
鳴子の糸がめぐらせてある所も、予め偵察して確認済みだ。
一番広い中庭を突っ切り、正面の門から本丸に続く小道の脇にある大きな蔵の陰に飛び込むと、伝七は振り返って様子をうかがった。
「よし、見られた気配も無い。この位置からも人影はなさそうだ・・・」
伝七はいざという時の為に、周囲を見渡し、脱出経路を確認した。
「もし何かあって別行動になったら、明日の日の入りの時に、武甲山の双子岩で落ち合おう」
権左衛門は、頷いた。
伝七の手際の良さに驚くばかりだが、今はとにかく危険と隣り合わせの状況だ。権左衛門はその指示を守る事を優先に考えた。
捕らえた人質を
助六の証言と、昼間の役人の動きから、凡その見当をつけることが出来た。
人質が騒いだり助けを求めても分からない様にする為には、密閉された空間や地下というのはうってつけだ。
それ故、外界から隔絶された蔵の様な構造物は、牢の代わりに使われることが多い。
伝七は蔵の戸を調べ、罠の類が無いことを確認すると、懐から曲がった釘のような道具を取りだし、手際よく鍵をこじ開けた。
次に
蔵に入って戸を閉め、近くに人の気配が無いことを確かめると、腰から手筒を取りだし、中から乾いた油紙と火入れを引き抜いて、火種を油紙に移して火をつけ、手早く蝋燭に火を移して、畳んであった小さな行灯を組み立てて固定した。
「これで蔵の中が見える」
伝七は呟くと、行灯をかかげて周囲を探った。
正面に納戸があるが、左右に廊下が続いている。
廊下の先はかなり暗く、小さな炎では様子が分からない。
一旦蠟燭を露出させて炎の揺らめきを見つめ、風向きから右の奥に地下へ下りる通路があることを察した。
暖かい空気が風の流れを作る、いわゆる煙突効果という奴だ。
「こっちだな」
伝七が渡り廊下を進み、角を曲がったところで地下への階段が見えた。
地下に部屋を作るというのは相当大きな工事を伴うから、一般的にはあまり作られることはない。
そのせいか、地下へ続く階段はとても狭く、急勾配で簡素な作りだった。
一人ずつ降りたが、踏板がいちいちギシギシ鳴って、その度に冷や汗をかいた。
地下に降りると物置の様な場所だった。
書簡が収められている箱や、書物が保管されており、刀や鎧もあった。
普段使わない物を保管している様だ。
その部屋の奥に牢が有った。四畳ほどの大きさだろうか。
中には人影があった。
牢の隅に屈みこむようにして怯えている。
「お通さん!」
権左衛門は思わず声を上げてしまった。
「え? ゴンさん?・・・本当にゴンさんなの?」
伝七が行灯の火を下げて、お互いの顔がわかる様にしてくれた。
「あ~、良かった。本当に良かった。無事でいてくれたんだね・・・」
権左衛門は牢の隙間から腕を伸ばし、お通の腕を取った。
「よし、ここから助け出すぞ!」
伝七が牢の鍵を壊し扉を開けた。
───権左衛門とお通が再会を果たしたころ。下原城の本丸にある客室の一つに灯りがともり、襖が勢いよく開いた。
部屋から現れたのは中肉中背のがっしりした男だ。
男は襖を開けるとすぐに野太い声で人を呼んだ。
「おい! 誰かおらぬか!」
しばらくすると二人の役人が現れた。
彼らは本丸の廊下を交代で見張っていたが、毎日変わらぬ役目にうんざりして、今夜も惰眠を貪り、心此処にあらずの
そこへ突然客間の方から怒声が響いたので、一体何事かと渋々やって来たのだ。
「先生、こんな夜分にどうしたんですか」
役人の一人が眠いことを悟られないよう、平常心を装って質問した。
彼は最近雇ったこの用心棒が、酒にでも酔って癇癪でも起こしたのかと思ったのだ。
「愚か者め、侵入者だ。早く人を呼ぶのだ!」
そうがなり立てる用心棒に、若い役人は遠慮もせずに質問を繰り返した。
「侵入者ですか? 夢でも見ていらっしゃったんじゃないですか?」
もう一人の役人が血相を変えて質問を制止した。
「馬鹿、やめないか! この方は柳生一派の佐野 檀十郎 先生だぞ!」
不遜な態度だった役人もその名前を聞いて、自分の過ちに気が付いたようだ。
たちまち怯えるようにして後ずさった。
「え? あの燕返しの檀十郎ですか・・・」
檀十郎と呼ばれた浪人は、渋々答えるようにして役人達を叱った。
「知らぬのならまあ良い。だが、お前らがシッカリせんからこの様な事になったのだ。責任は後でゆっくり追及させてもらおう。
今回はせっかく上玉を捕らえたというのに・・・、もし取り逃がしでもしたら、お前らのどちらかが代わりを務めてくれるのだろうな?」
二人の役人は震えあがって、仲間を起こしに消えた。
役人は檀十郎の噂をよく知っていたのだ。腕が立つのはもちろんだが、彼の性格に起因するおぞましい噂のことも・・・。
───蔵を出た伝七は異変に気が付いた。
「まずいな、気づかれた様だ」
本丸の正面口に明かりが灯っている。
権左衛門にもなんとなくだが、空気がやけに重いことが伝わった。
「時間がない。真っすぐ門に向かえ。そして門を開けて道沿いに逃げろ。可能な限りだ。
隠れる場所を見つけて夜まで動くな。お通さんを頼んだぞ!」
「伝七はどうするんだ?」
「俺に任せろ。ここで時間を稼ぐ」
「だが・・・」
「信じろ」
伝七の態度がいつもと違って見えた。
普段、村で仕事をしているときの雰囲気とはまるで違っていた。
殺気ばしった構えは、まるで別の生き物だ。
「あぁ。分かった」
伝七の気迫に気おされた権左衛門は、ただそう答えるしかなかった。
シューーーッ
ビシッ
一瞬の出来事だった。
目の前を真っ二つになった矢が転がったのを、蝋燭の炎が照らした。
飛んできた矢を心眼でとらえ、咄嗟に腰に携えていた鎌で撃ち落としたのだ。
伝七は行灯の灯りが標的にされていたことを察して、行灯を遠くに放り投げた。
「いけ!」
伝七が叫んだ。
権左衛門はお通の肩を抱くようにして走り出した。
伝七は鎌を構え直した。普段は草刈りに使っている愛用の農具だ。
本丸を正面に見据え、後ずさりしながら懐から取り出した鎖付き分銅を鎌の柄に装着した。
本丸から数名の役人が出てきた。
それぞれ罪人を取り押さえるための刺又や突棒を持っている。
弓を射た者が見えないが、おそらく二階の踊り場に潜んでいるのだろう。
集団の真ん中に、袴を着た浪人と思しき武人がいるのが分かった。
「ん? あいつは・・・」
伝七には浪人のいで立ちに見覚えがあった。
その浪人は刀を腰に提げていたが、特徴があった。
一般的な侍は打刀(うちがたな)と呼ばれる二尺の刀と、短い脇差(わきざし)を左の腰に差しているものだが、長い打刀を二本、それも腰の右側に差しているのが遠目でも分かった。
「まさか・・・こんな所であいつに会うとは」
伝七は呟くと、真っすぐ浪人に向かって走り出した。
「おお、勇ましいな。腕に自身があると見える。
おい、お前らは手出しをするな。俺の獲物だ」
佐野檀十郎はそう言うと、周りにいた役人を少し下がらせた。
伝七には分かっていた。
正面から斬り合えば、高速の居合抜きで斬られる。
しかもヤツは左利きだ。生半可な腕前では受け太刀すら出来ない。
そして、受け太刀出来ても二刀目を抜刀して居合でやられる。
あるいは二刀目に怯んだ隙に、一刀目を返刀(かえしがたな)にして斬撃が来る。
見慣れない技を前にして、過去に伝七は大切な家族を失ったのだ。
「覚悟しろ! お
伝七は叫んで飛び上がった。
そして間合いの少し手前に着地すると、前後左右に素早く、かつ不規則な足さばきで反復移動をしてにじり寄った。
忍技のひとつ『霞』だ。
舞い上がった土煙が檀十郎の視界を遮った。
ガシッ
伝七は鎖鎌を振るったが、檀十郎の居合の早業に弾かれてしまった。
「お前、いつぞやの忍びか?」
伝七は技量の差に、次の手を出し損ねてしまった。
一旦、飛びのいて距離をあける。
「ほう、やるようになったな。
あのまま切り込んでいたら、お前は死んでいたぞ。
そう、妹の様にな・・・」
「貴様ぁ!」
余程の余裕なのだろう、檀十郎は刀を下段に下げて緊張を解き、いつでも来いと言わんばかりだ。
更に挑発する様に語り出した。
「あの時の娘。覚えているぞ。
たしか、両腕、両足を斬られ、それこそ手も足も出なくなったのに健気にも兄を逃がすために俺を釘付けにしながら死んだのだから、
いや、釘付けにしたのは俺だったか。二刀をその身に受けたあと、俺にしがみ付いて離れなかったのだから・・・
まぁ、どちらにせよ、息があるうちは存分に楽しませてもらったがな」
檀十郎はそう言って不敵な笑みを浮かべると、右手を返して手招きをしてみせた。
───権左衛門は門に辿り着くと、閂を力任せに持ち上げて外した。
普段は三人がかりで行う作業をいっぺんに行ったのだ。
「よし、お通さん、走るんだ!」
二人は門を開けると暗闇に向かって走り出した。
「・・・私、もう走れない」
お通の悲痛な言葉が聞こえた次の瞬間、シュッという風切り音と共に鈍い音が聞こえた。
右腕で肩を支えていた筈のお通が急に重たく感じたのと同時に、権左衛門の腕からスルっと抜け落ちた感覚が伝わった。
バタッと音がして、お通は倒れ込んでしまった。
「あっ」
思わず声が出た。
お通の背中に矢が刺さっていたのだ。
どくどくと血が溢れてくる。
かなりの出血だ。
権左衛門の中で衝撃が走った。
早く手当てをしなければ失血死してしまうかもしれない、だがすぐにこの場を離れないと次の矢が飛んでくるかもしれない。
どうする、どうしたらいい?
自問自答を繰り返した。
「うぉー!」
権左衛門はそう叫ぶと、お通を背負って走り出した。
意識を取り戻したお通が、か細い声で言った。
「私、もうダメみたい。お願い・・・置いて行って・・・」
「馬鹿言うな! きっと助ける。助けるから・・・」
権左衛門の言葉を聞いたかどうか。お通はそのまま気を失ってしまった。
暗い林道を走った。とにかく夢中で走った。
走りながら、この闇が永遠に続くのではないか、いや、もしやこれは何か悪い夢なんじゃないかとも思った。
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