4話 嵐の先触れ




 ……何が起こった?


 それを理解できた人間が、果たしてこの場にどれだけ居ただろう。


 リーオはまず、自分が拒絶されたと思った。……よくあることだ。あまりしつこく言い寄ると、パーとかグーが飛んでくる。たまにチョキが襲ってくる。ごく稀に刃物を見かけるが、それは力強い拒絶の意思の表れだったと思う。


 その場に彼が立っていることへの、拒絶。

 彼に訪れるであろう災いに対する、抵抗。


 ――空から、光の矢が飛んできた。


 彼女だけがそれに気付いた。……いや、他にも目にした者はいたかもしれない。しかし、それが自分の、ひいてはその前に立つ少年に向かって降ってこようとしていることを直感的に理解したのは、恐らく姓もなき庶民の少女、偽りの第二王女、アルヒナだけであっただろう。


 彼女はとっさに少年を突き飛ばしていた。


 その直後、その矢が彼女を貫いた。


 ……矢?


 いや、違う。あれは槍だ。――西国シッセンの制式装備だ!


 リーオは今現在目の前で起こっていることを理解できない一方で、それがどこからか投擲された長槍だと了解した。しかし、どこから? いったい誰が?


 突き飛ばされ、絞首台から地面に落ちるまでの一瞬のあいだに、リーオの脳裏にこの一帯の地図が描き出される。ここらは平地だ。障害物の類はない。振り返ればどこか遠くに敵影が見えるかもしれない。それこそこの公開処刑は西側に見せつけるために行っている。リーオの後方といえば、敵の所在地だ。しかし、しかしだ。


「敵襲!」


 優秀な相棒、チシャ・イルサーバーが声を上げた。衛兵たちが我に返る。民衆が騒ぎ出す。


 ……理解が追い付かない。


 地面に衝突する。背中からぶつかって、息が止まる。その視線の先に、長槍の石突だ。かすかに震えている。何かに突き刺さり、その衝撃に震えているのだ。反動が過ぎ去ると、槍は中空に直立していた。


 ……何かに突き刺さっている。


 リーオは静けさを感じていた。周囲で人々が慌てふためいているのが分かるが、視界に映るだけの背景と化している。音もない。声も聞こえない。頭でも打ったのかと、冷静な部分が考えている。そうじゃない。俺はまだ、この状況を受け入れようとしていない。


 ……まさか、嘘だろ?


 地面に手をつき、上体を起こす。まだ、見えない。小柄な体躯ゆえに、絞首台上部の全貌はすぐにはその目に入らない。だけどもう、頭の中にその情景が浮かんでいる。突き飛ばされる寸前に、見えたのだ。


「おい、マジか……?」


 マジか、というのは、まことか、という意味の、提示された情報の真偽を疑う際に発する古ロマンセ語の慣用句である。思わず、それが口をついて出た。


 立ち上がる。


「――――」


 本気で惚れたと思った女が、目の前で死んでいる。


 十字架のような組み木に縫い付けるように、その槍が彼女の胸の中心に突き刺さっている。白い衣がその中心から赤く、赤黒く、染まっていく。


 ……人間が死ぬところを、戦友が息絶える瞬間を、何度となく見てきた。


 しかし、これはなんだ。これは――


 ……分からない。


 俺は何を目にしている?


「リーオ」


「…………」


「リーオ殿下!」


「……っ、その呼び方は、おれを褒めたたえる公共の場だけにしろ、と……言っただろうが」


「敵は見当たりません。念のため、衛兵を出しました。……上に、聖教会の人間がいるようです。治療を……」


 チシャはそう口にしているが、この女はもう助からない。彼もわかっているだろう。リーオを落ち着けようとするために適当なことを言っているだけだ。落ち着いている、問題ない。そう示すため、リーオはチシャの片手をあげて言葉を遮った。

 聖教会の奇跡とやらも万能じゃない。死んだものは、生き返らない。少なくとも、これまでと同じようには。


「……チシャ、分からないことがある」


「……なんでしょう」


「あいつは、俺を庇ったのか? それとも、俺はフラれたのか……?」


「…………」




   *




 天から降ってきた、一条の光。


 かつて、エンリングス帝国の礎となる国を興した"神の子"は、天上から降り注いだ光と共に姿を消したという。それから、彼の姿を見たものはいない。初代皇帝は、神のかいなにいだかれ、神のものとなったのだ。人の世を導く役目を終え、地上に留まる意味を失ったのである。


 その神話を再現するような、一瞬の出来事だった。


 しかし、確かな事実が、結果がそこに残っている。


 十字架に磔にされるように、布袋で顔を隠した少女はこと切れている。


 長槍は十字架を貫き、その穂先はまるで熱を帯びていたかのように、かすかな白煙を上げていた。


「――"奇跡"だわ」


 聖教会"第三位"聖女、フィセスはその現象の正体を直感していた。


 あの槍は、弧を描くように中空から飛んできて、正確に少女の胸を射抜いた。誰よりも目立つ場所に立っていた。少なくとも地上の群衆は誰も彼もが少女の姿を目にできる位置にいた。投擲し、殺害することもじゅうぶん可能だろう。


 ……しかし、そのような行為をしたと思しき者は見当たらない。壁の上から地上を睥睨するフィセスだから、その事実に確信が持てる。


 これは、"奇跡"だ。


「アン・リベンド、だったわね……?」


 誰ともなしに、確認するようにフィセスはつぶやいた。隣のシィレーヌは一瞬なんのことか分からず、彼女の顔を見上げる。すると、シィレーヌの喉に古い傷跡が見えた。マフラーのようなもので普段は隠しているが、こうして少し首を上向けるとそれが露わになる。しかし、フィセスの目には入っていない。彼女の視線は今、地上の十字架に固定されている。声を出せないシィレーヌに代わり、護衛騎士の隊長がおずおずと口を開いた。


「アン・リベンドには、西国の進駐軍がいるはずですが……それが、どうか――」


 言いながら、隊長は「まさか」と思った。いや、そんなまさか。先日占拠されたアン・リベンドの地から、この都市までどれだけ離れていると――


 そして「まさか」と、今度は声に出した。


 そう、彼らはその「まさか」を現実にできる奇跡を知っている。


「なんで、殺した……?」


 顔を上げたフィセスは遠く、祖国の方向へ視線を飛ばした。


 ……見ているのか?


 でも、なんのために?




   *




 ――すべて、と。


「すべて、神のお導きですよ、聖女フィセス」




   *




 エン・ビギニーゲンの壁外は騒然としていた。


 その混乱を一瞬静めたのは、天地を引き裂くかのような、この世界の上げる断末魔のような――雷鳴だった。


 南の方の空が、黒く染まっている。むくむくと、もくもくと、膨れ上がるように、溢れだすように、青い空をドス黒い雲が埋め尽くしていく。


「あれは……?」


「急に天気が、」


「違う、そうじゃない――」


 ――嵐が、やってくる。


「アンデッドだ!」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シナズノキミ 人生 @hitoiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ