3話 神と本音
……死にたくないのか。
処刑されることに意味がないのなら、いっそ、処刑してもいいのではないか。
だけどそれは
「……どうして……」
少女は声を絞り出した。
少年の目を見て、見ていられず、思わず顔を背けて、唇を噛んで、口を開き、それからずいぶん久しぶりに、自分の声を耳にした。
「わたしを、たすけようとするの」
「言っただろう。これ以上、どんな理由が要る?」
……少女も馬鹿ではない。
東国の内政事情だとかまでは知らないが、これは王命に対する……ひいては、信仰に対する叛逆だ。今でこそ人々を丸め込んだようにみえるが、それも長くは続くまい。今だけのもので、そしてその後に大きく波及する一大事へと変わっていく。
第一王子だという。その立場が、彼にいっそ傲慢ともいえる行動をとらせるのか。自分を責められるものなど、誰もいないと。
人々が正しいとするものに逆らうことは、間違ったことではないのか。
それはつまり、悪と呼ばれるものではないのか。
彼の行いは、神に背くものではないのか。
……神に選ばれ王位を与えられた者が、その血縁者が、そんな謀反をして世界に許されるものだろうか。
それとも、神はそれを許されるのか。
あるいは、これこそがわたしに差し伸べられた――
「……お前は現状、敵国の姫だ。俺はお前を助け、連中に恩を売る。内部に入り込み、中枢を乗っ取る。そうして手に入れた西の戦力を使って、東を攻め落とす。お前を殺せと命じた、俺の親父を征伐する訳だ。そして俺とお前が結婚すれば、これで東西は統一される」
「…………」
開いた口が、そのまま塞がらなかった。
「どうだ、これが俺の人生設計だ。お前を助けることに、命をかける理由だ。……俺は全てを賭けたぞ。次はお前の番だ、リイン」
……そんなのは、無理強いだ。
本気で少女の意思を問うているつもりなのか。
「生きたいなら、俺の手を取れ。それが嫌なら、ここで死ね」
死ぬ自由が、そこにある。
……神が指し示した道が――
「っ……」
かすれた声を、絞り出す。
「わたしは、アルヒナ――」
「……は?」
「王女さま、なんかじゃ、ない――」
*
つまりは、そういうことだ。
第二王女という、人質にちょうど良い立場にいる人間を差し出せば、東側は交渉の席につく。そうして和平を結ぶ。両国ともに長引く戦争に疲弊しきっていた。民の不満も限界だった。息抜きが必要だったのだ。その状況さえ用意できれば、おのずと交渉はうまくいく。誰もが心から望んでいて、しかし様々に込み入った事情から素直に表には出せない真なる願いが叶うのだ。
つかの間の平穏、その間に、西側には国力を立て直す術があった。
準備が済んだ。だから、油断しきっている東の都市を攻め落とした――
人質はどうなる?
どうなってもいい。あれは、偽ものだ。
顔がよく似た、身寄りのない聖教徒の一人に過ぎない。
神のためなら、つまりは帝国が一つにまとまるためであれば、命を捧げることも本望だろう――
選ばれ、そして少女アルヒナは、リイン・オーゼンハントという人物に成りすました。
孤児を王女に仕立て上げる。それは厳しい訓練であり、同時にこれまでにない贅沢な時を過ごせる、夢のような時間だった。
夢は、いつか醒める。月は満ち、そして再び欠けていく。
役割を終えたのなら、退場するものだ。観劇の作法を習った。挨拶の礼法がそれだ。
……いろいろと大変で、面倒臭くて、そんな世界で生きてくことに、もう疲れたのだ。
最後にいっぱい楽しめたのだから、もういいだろう。
これ以上は望まない。
……帝国を、一つにする?
それこそ、夢のまた夢だ。
「わたしは……にせもの」
――言う必要のない言葉。だけど、告げておくべきだと思った。後腐れなく、そう、この身この心が清らかなまま、逝けるように。
「だから……――」
命をかけて助けるだけ、無意味なのだ。ここで失われることに、なんの価値もない人間なのだ。ここで生きようが死のうが、動き始めたこの大きな流れのようなものは止められない。ならば、早く、一番に抜け出してしまいたかった。
……こんな世界、もう疲れた。
「マジか……。そりゃまあ、いとこですらないもんな、分かるはずもない――」
少年は愕然としていた。
「じゃあ、いい」
少年は言った。それでいいとアルヒナは思った。
「どこのアルヒナだか知らないが、お前も俺の国の一市民であることに変わりはない。嫁になれとは言わないが、助けてやるから俺に付き合え」
「……は……?」
今度はアルヒナがあ然とする番だった。
「俺は王子だが、他の男たちと変わらない権利がある。つまり、どの女とも付き合っていいという権利だ。そして女たちも、この俺と付き合うことが許されている。……いやまあ、俺が良しとした場合に限るが。要するに、俺には選ぶ権利があり、お前にもそうする権利がある。もう一度言うが、嫁になれとは言わないが、試しに付き合おうという話だ」
……どうしても、試しにでも付き合いたくないのなら、ここで彼を断って首を吊るという選択肢も、あるにはある。アルヒナは頭の片隅でそんなことを考えた。
「助けられたことに恩を感じる必要はない。王が民を助けるのは当然のことだ。のちの英雄王、"エンリングス帝国最後の皇帝"の妻になりたくなければ、それでもいい。この場を適当にやり過ごしたら、どこへなりとも消えればいい。俺を利用して適当な住処を手に入れ、行方をくらませるのも全然ありだ。俺は寛容な男だからな。去る者は追わない。無論、俺の方で嫌になれば容赦なくお前をフるが」
べらべらと、好き勝手に喋っている。アルヒナを政治に利用しようとしている。一国の姫でないことは誤算でも、似た容姿であることは知っている。
……だいたい、昨夜の男とおんなじだ。
だけど、彼は言葉を尽くして語り掛ける。
選ぶ権利が、お前にはある、と。
それは、まるで、
「聖教徒だかなんだか知らないが――人に死ねとのたまう神なんぞ、俺は願い下げだ」
――神を愚弄する、悪魔の囁きのようだ。
*
布袋の裂け目から、少女の瞳が垣間見えた。くすんだ灰色の瞳。髪の色もよく似ている。なるほど、王女の身代わりに相応しい、よく出来たそっくりさんだ。
リーオは実のところ、リイン・オーゼンハントという人物をよくは知らない。目の前の彼女が当人ではないのだから今は関係ないことではあるが――人質として首都に囚われていた、西側の第二王女。一目だけ、見たことがある。
……俺に似て、美形だ。さすがは王家の血筋。そう思った。間違いだった訳だが。
第二王女を利用し、西側に取り入る。その計画は以前から頭の片隅にあったことだ。優秀な相棒に止められはしたが、個人的には期待が持てると思っていた。そのため、まずは第二王女本人との接触を図ろう。そう考え、彼女に会いにいこうとしたのだ。
女であれば見境なしに口説くとまで噂される第一王子であるが、その時はなぜか、彼女に声をかけることが出来なかった。
『あの目を見たか、チシャ。あの微笑みを。まるで、今が最高に幸せみたいじゃないか』
『己の立場も理解していない、よほどお気楽なお姫様なんでしょうかね。あるいは、向こうも手を持て余すほどの変人か。後者であればなるほど、リーオにはお似合いでしょうよ』
『なんだろうな、この胸の動悸は。まるで悪夢から目覚めた時のような感覚だ。……今日はあまり体調がよろしくない。話をするのはまたの機会にしよう』
その時は、自分の感じたものが何か、分からなかった。
彼女は世話係という名の監視役のメイドに囲まれ、談笑していた。とても幸せそうに見えたのだ。幸福の中にどっぷりとつかり、まるで夢見心地といった表情だった。
なのに。
……死人みたいな目をしていた。
相反する感情を抱えた彼女の存在が、気持ち悪かった。釈然としなかった。
あの微笑みは演技なのではないかとも思った。貴族、それこそ王族らしい、気持ちの悪い仮面だ。しかし、違う。その直感がどうにも否定できない。
幸せと、不幸。その両方を同時に彼女は感じていたのだ。
――その理由が、今になって氷解する。
アルヒナという少女の名を知って。
彼女の置かれた立場を、そしてその背後に蠢く"力あるものたち"の権謀術数、神の教えを説きながらその腹の内では他者を蹴落とすことばかり考えているという、西方の腐敗した聖教会関係者たちの息遣いを。
神の名が彼女を縛るというのなら、それを打ちたおしてでも――
俺の心を占めるこの少女を、心の底から笑顔にしてやりたいと――
……どうやら俺は、お前に惚れてるらしいんだ。惚れっぽいという自覚はあるが、こんなにも俺をめちゃくちゃにさせるのは、たぶんお前が初めてだ。
これが恋ってやつなんだろう。
そうと分かれば――神の腕にいだかれるとか、もう少しだけ待ってくれ。
「俺のところに、来い」
リーオは求め、彼女に歩み寄った。
アルヒナは、少年を突き飛ばした。
それが彼女の意思だった。
そして、偽りの王女は死亡した。
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