消息
秋色
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満開の桜を一人で楽しむため、川岸の木陰のベンチにやって来た。ここは穴場だ。あまりこの場所の事は知られていない。
平日の休みの日に来れば、この景観をほぼ独り占めできる。
電車でここに来る前に駅で買っておいたカップ酒とパズルの懸賞雑誌をカバンから取り出す。最近は、寝るまでの時間の暇つぶしに、よくこの手の検証雑誌のパズルを解いている。
川岸には、小さい兄妹を連れた若い母親の姿があるだけ。僕はベンチに腰を掛けた。小鳥のチュルルというさえずりが聞こえてくる。ノンビリした時間。こんな感じはどの位ぶりだろう。去年の桜の終わりの季節に偶然、この場所を発見した。その頃は花見どころでなく、また花もかなり散っていたので、来年の桜の季節に忘れず来ようと心に留めておくだけだった。
パズルの中で一番好きなのは、クロスワードパズル。少しずつマスが埋まっていく感じがいい。分からない時も、スマートフォンで検索すればヒントが豊富に出て来て、最後にはすべてのマスが字で埋まる。
それでもいつも一つは、苦戦する言葉がある。今、始めたクロスワードパズルでは、「□□□□番組』が分からない。縦横にすでに入っている言葉をにらみながら、考える。
カギには、「出演者の名前が番組名に入っていたり、名前をもじったタイトルがつけられている番組の事」とある。
何て言ったかな。こういう番組の事。一言で表す表現があったはずだ。
その時、脳裏に「トビィ」という名前がふっと浮かんだ。
トビィは、一時期、時代の寵児としてもてはやされたタレントだ。
「トビィのマジックアワー」、「トビィにオマカセ!」、「トビィの真夜中の扉」なんて番組名が番組欄に散りばめられていた。
芸名だか本名だかは飛島夏彦で、トビィはニックネーム。斬新な発想と軽妙なトーク、独自の感性が人気を博し、あっという間に「お茶の間の人気者」と言われるようになった。その姿をテレビで見ない日はない位。
アンチも多かったみたいだけど、僕は意外と好きだった。その感性に、これまでの固定概念を覆すような力があり、また、その博学さも、影での努力を感じさせた。
だがやがて彼の姿はテレビから消えていった。トビィの現場でのスタッフへの高圧的な態度が週刊誌でたびたび報じられ、また、ファンへの高飛車な態度が口コミで広がったのが原因とか。でもそれは表向きで、時代に受け入れられたのと同じように、いつしか時代に合わなくなり、飽きられただけの事だろう。
まるで王様みたいにもてはやされ、一時代を築いた後、ソッポを向かれるというのが寂しく感じられた。
――あ、冠? 冠番組だ――
王様という言葉で、僕は、さっき分からなかったクロスワードパズルのマスの言葉が冠番組であると閃いた。
――やった! これであと、もう少しだ――
それでも達成感のようなものはあまりなく、空虚な心だけが残っている。さっき、トビィの事を思い出したからだろうか。ひときわ強く吹いた風が桜の花びらを舞い散らす時、美しい風景の中で侘びしさがつのる。
ソッポを向かれたのはトビィだけではない。自分も同じだ。
若い日には、仕事に追われ、休日までもバタバタしていた。家族と過ごす時間もない位に。必死で車を売って、仕事が上手く行けば優越感に浸って。でも仕事を変わり、ノンビリできる今、かつての栄華なんて何の話の種にもならない。
家族にも見放され、かつての妻と娘は、一年前に家を出ていき、妻は再婚した。
僕が多忙な時代に妻に出会い、支えていたという男。自分とは似ていない、もっと優しそうなその男を夫とし、幼い娘も彼を父と慕っていると言う。
しゃかりきに頑張っていたあの時代は、一体何だったのだろう? 偽りの冠を自分では本物と信じていた報いかな。
桜の花びらが散る様子に不意に孤独感が頂点に達し、その場をあとにする事にした。絵のような風景を心に焼き付けて。
その前にふっと、トビィの消息を知りたくなって、スマホで「トビィ 飛島夏彦」と検索してみた。
「お、まだやってるんだ」
画面には、彼の栄光を書き込んだウィキペディアと一緒に、トビィこと飛島夏彦が地方のFM局で一年前に始めた番組が好評との新し目の話題が出ていた。
一回ごとに曲にまつわるエピソードや視聴者の思い出を紹介している番組らしい。
真摯に取り組んでいる姿が印象的とか。
――良い番組を選んで頑張ってるんだな――
ていねいに荷物を鞄に仕舞うと、僕は立ち上がり、その場をあとに歩き出した。
また来年も桜の季節にここに来ようと心に誓いながら。
今夜、家で残りのクロスワードパズルにでも取り組むとするか。一人、春の宵、言葉を探し当てる旅に出るのも悪くない。
でも、もうスマホは開けずに考えよう。埋まらないマスも出てくるかもしれないけど、そこに当てはまる言葉もいつかは分かる日が来るだろうから。
〈Fin〉
消息 秋色 @autumn-hue
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