クラス親睦会(2/3)

「皆さんお疲れさまでした!

 それではここで、少し休憩時間にしようと思います」


 一目散に部屋を飛び出し、あの場所を探し求めた。

 世界中の至るところに存在し、孤独を抱き締めることができる場所。

 乙女は花を摘み、健児は雉を撃つ。日本語では廁、御手洗、化粧室。正式名称はトイレットルーム。俺は一番奥の個室に身を潜めることにした。四方を囲む無機質な白い壁たるや、ガブリエルの翼に抱擁されるがごとき安寧をもたらしてくれる。


 ちなみに親睦会は三階の部屋で開催されているのだが、俺は二階に身を置いている。クラスメイトとのバッティングを避けるためだ。このような、弱者が生き抜くための小技は一朝一夕で身に付くものではない。決して胸を張ることはできないが、数少ない俺の努力の賜物である。


 俺は便座の蓋を上げ、ズボンを履いたまま腰を下す。思わず声を漏らしそうになるほどに、精神的な疲労が溜まっていた。一対一のコミュニケーションですらおぼつかない俺だ。小集団を前に自己紹介など、肉体的疲労に換算すればフルマラソン完走と同等である。

 スマートフォンで時間を確認すると、クラス親睦会の開始から既に一時間が経過していた。俺に言わせてみれば懲役一時間だ。久方ぶりの娑婆の空気には、ほのかなアンモニア臭が混じっていた。


 背中を丸め、本格的にスマートフォンと向き合う。SNSを流れる文字を目でなぞっていく。倦怠感でもやがかかった頭では、百四十文字の短文ですら理解できない。

 無心でただひたすらにスクロールを繰り返す。タイムラインを遡っていく。ブルーライトを顔面に浴び、俺の脳はゆるやかに覚醒していく。これぞ現代人の光合成である。


 スマホを横向きに持ち替え、ゲームアプリを起動した。しばらく此処に根を下ろすつもりだった。一応は親睦会に参加したのだから、フルメナさんも文句は言えないはずだ。しかし黙って帰宅すれば想像もできないような酷い目に合わされる。ここでだらだらと時間を浪費し、終わり際に何食わぬ顔で集団に紛れればいい。


 これはお互いを尊重するための有意義な住み分けなのだ。明るく楽しいクラス親睦会は、俺がいなくなれば一際盛り上がる。俺としても、あのような場所からは遠ざかりたい。

 かの天照大御神はどんちゃん騒ぎに釣られて天岩戸から姿を現したようだが、俺はむしろ喧騒から遠ざかるためにこの場所を大岩で塞ごう。馬鹿騒ぎに釣られて戸を開けるとは、引きこもりの風上にも置けないと強く批判したい。


「Cygames!!!」


 男子トイレに似つかわしくない甲声。

 俺としたことが音量調整を忘れていた。こんな基本的なミスを犯すとは、自分で思っている以上に体力を消耗しているようだ。教室で同じことをしでかしていれば、恥ずかしさのあまり校舎の窓から身を投げていただろう。そして魍魎となった俺は今と同じように、フルメナさんの存在に怯えて暮らすのだ。


 しっかり音量を落として、改めてゲームと向き合う。無課金でちまちまと収集したキャラクターたちを引き連れた大冒険だ。晴れ着姿のお姫様に青いビキニのサポーター、クリスマス仕様の魔法使い。季節感の無いパーティに指示を飛ばして世界を救っていく。このままどこか遠くに本当に旅立ってしまいたかったが、しかし現実は近付いてくるのだ。


 慌ただしい足音がトイレに駆け込んできた。顔を上げて息を潜める。冒険の旅は中断だ。

 足音の主は扉一枚を隔てた場所で立ち止まると、ノックを二度鳴らす。


「剣崎さんいますか?」

 その声は、クラスメイトの姉崎くんだった。


「え?」

 予想もしていなかった人物の登場に、思わず声を漏らしてしまう。


「どうしました? 気分とか悪くなっちゃいなしたか?」

 時刻を確認すると、なんと隠遁を始めてから一時間弱が経過していた。楽しいことの方が時間が早く過ぎてしまうのは人体の大きな欠陥だ。


 姉崎くんは、長時間席を外す俺を心配してわざわざ探しに来てくれたようだった。クラスメイト一人一人のことを考えて動く彼の善意には、年下ながら頭が上がらない。

 片やクラス親睦会の中心となる十六歳。片やクラス親睦会をサボるためにトイレに籠る十八歳。

 二年ものアドバンテージを持っておきながら、人間性に大きく差が生じてしまっている。

 羞恥心がチクチクと疼き、俺は今すぐにこの状況から逃げ出したくなった。


「あ、あぁ。大丈夫」

 スマホをポケットに隠し、トイレの鍵を開ける。

 結果的に彼を騙すことになってしまい、今だけは別の意味で目を見ることができない。


「本当に大丈夫ですか? 無理しないでくださいね」

 姉崎くんは俺の背中に優しく手を添えてくれた。


 この親切心の前では仮病を使う気にもなれない。体調不調を訴えでもすれば、病院にまで付き添ってくれそうだ。

 というわけで俺は、年下の男子に連れられてノコノコとパーティルームに戻ることになった。

 本山さんも心配してくれていたようで、温かい言葉を向けてくれた。またも胸が疼く。俺のような人間は善意で殴られるの攻撃が何よりも効いてしまう。

 親睦会は終了に近付いているようだった。空っぽの大皿にボコボコのビンゴカード、きっと盛り上がったに違いない。

 今は席順もぐちゃぐちゃに、雑談を楽しむ者、マイク片手に恐らく流行歌を歌い上げる者、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。

 フルメナさんの周りには人集りができていたため、俺は適当な空いているところに座った。隣に座っていた、名前も知らない女性にも「大丈夫?」と気遣われる。体調よりも、皆様にご心配をおかけしたことによる罪悪感で具合が悪くなりそうだった。


「お釣りは月曜日に学校で配るから。端数は次回にプールすればいいかな?」

 支払いを終えて店先に屯う約二十人のクラスメイトを前に、姉崎くんは慣れた様子で会の取りまとめを行っている。彼の姿を遠巻きに眺めながら、人間としての違いを改めて思いしらされたのだった。

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