フルメナさんの秘密(3/4)

 授業が手に付かない。

 いや、集中できないのはいつものことなのだ。三年もの月日をかけてじっくりと頭を腐らせていた俺がついていけるはずがない。

 妄想に耽り落書きを残し、来る日も来る日も必死に時間を潰している。俺の自立を信じて送り出してくれた両親には決して見せられない光景だが、そもそも高等教育を学ぶために必要な基礎がインストールされていないのだ。


 しかし今日は、また別の理由が俺の脳内を渦巻いている。

 原因はもちろん、先ほど数学準備室で目撃してしまった戦闘だ。武器を自在に操るフルメナさんと、数々の備品を統べる女子生徒との激突。

 思い返そうとしても、拒むように頭が痛む。

 あの場所にいた自分が今も生きていることさえ不思議に感じられた。


 数学準備室から保健室に行き、体調不良を訴えて早退するつもりだった。

 それどころか校長室に乗り込んで、退学届を叩きつけてやりたい気分だった。

 しかし、フルメナさんそれを許さなかった。


「剣崎穹翔くん、教室はそっちじゃないですよ?」


 眼前に立ちふさがるフルメナさんは、教室で見かけるときと同じ愛おしい表情を浮かべていた。女子生徒と激闘を繰り広げていたときの様子は全く見られない。

 しかしそんな態度とは裏腹に、指が食い込むほどの力強さで俺の腕を掴んでいた。

 それは俺の思惑ごと握り潰す、強烈な握力だった。


「お、おう。そうだったな……」


 俺は即座に諦めて踵を返し、ズキズキと痛む腕をさすりながらフルメナさんと並んで教室に戻った。

 仮にあの手を振りほどいていたら、保健室に辿り着く前に斎場送りになっていたことだろう。

 その後も、フルメナさんは休み時間の度に俺に声をかけてきた。


 彼女の存在を登校の糧にしていた昨日までの俺ならば、この状況を十二分に楽しんでいたはずだ。しかしフルメナさんは決して俺を慕っているわけではない。

 俺の一挙手一投足を監視をしているのだ。俺が逃走しないように、口を滑らせないように、片時も離れず俺の側にいた。

 それほど警戒せずとも、そもそも俺はこのクラスに友人はおろか日常会話を楽しむ相手すらいない。すなわちフルメナさんの秘密を暴露する相手がいない。

 名前も知らないクラスメイトに「フルメナさんがおかしいんだ!」と言ってみたとしよう。

「いや、頭がおかしいのはお前だろ」と、きっと歯牙にもかけてもらえないはずだ。


 もしかしたら全て夢だったのかもしれない、なんて安直な考えが浮かんでしまった。

 全ては数学準備室でうたた寝してしまったときに見た夢なのだ。ほらフルメナさんだって、何事もなかったかのように教師に耳を傾け、ペンを走らせている。

 しかし紛れもなく、全て現実の出来事なのである。シャーペンを握るフルメナさんの親指の先には、まだ血が滲んでいたのだから。


 驚き、おののき、悲しみ。あの場所では様々な感情がせめぎあった。

 喉元過ぎればとは言わないが、無事に生還できた現在、心に最も強く残っているのは悲しみだった。

 まさかフルメナさんが、男の胸ぐらを掴むような性格だったとは。安物のシャツの首回りがだるだるに伸びてしまっている。

 俺の知っているフルメナさんは、美人で、明るくて、優しくて……。

 しかしあのときのフルメナさんは、

 セカンドチルドレン惣流・アスカ・ラングレーのように勝気で、

 セイバークラスのサーヴァントセイバーのように誇り高く、

 ロズワール邸のメイド頭レムのように容赦なく、

 常盤台のエース御坂美琴のように直情的で、

 綾辻さんのように裏表のない素敵な人だった。


 俺は終礼のチャイムと同時に立ち上がった。何度でも繰り返すが、もとより雑談の花を咲かせるような間柄の人間はいない。寄り道せずに真っ直ぐ帰る、ここだけ切り取ってみれば真面目な高校生の"僕"である。

 きっと今日は興奮で眠れないだろう。久しぶりに徹夜でゲームをするのもいいかもしれない。

 やはり現実は糞だ。訳の分からないバトルに巻き込まれるのは、ゲームの世界だからこその醍醐味なのだ。我が身を危険に晒してまで非現実を楽しむつもりはない。


「あの、剣崎穹翔さん?」


 振り向くと、フルメナさんが表の笑顔を顔に張り付けていた。いや、口角が持ち上がっているが青い瞳は全く形を変えていない、不気味な笑みだ。


「少し、ツラの方を貸してくれませんか?」


「は、はい……」


 江戸時代の女性のように、俺はフルメナさんの三歩後ろを付いていく。

 自然と視線はうつむく。順番に動くフルメナさんの両足を無心で眺めながら進む。

 考えうる限りの最悪の事態が、俺の胸によぎった。

 自然と歩幅が狭まる。逃げ出すだけの勇気はない。一歩一歩に時間をかけることが精一杯の反抗だった。

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