フルメナさんの秘密(4/4)
「何してんの。さっさと来なさいよ」
到着した先は、数学準備室だった。
綺麗に整頓されていた大量の備品は床に散らばり、室内は嵐が過ぎ去ったかのような惨状と化している。
フルメナさんは引戸をゆっくりと閉じる。そして足元に倒れていた五段組のスチールラックを片手で軽々と起き上がらせた。
しかしそんなことでは既に驚かなくなっている俺だ。フルメナさんにとって重いものを持ち上げるくらい朝飯前だろう。
「ボーッとしてないで、ちゃっちゃと片付けるわよ」
「え? あ、分かった……」
フルメナさんに倣い、床を埋め尽くすプリントを拾い集める。
手を動かしながら俺は考えた。この掃除はフルメナさんから与えられた千載一遇の好機だ。
荒れ果てた室内を、まるで超能力バトルなどなかったかのように完璧に復元できれば見逃してくれるかもしれない。
散らかった教科書を拾い集め、年代別、学年別に並べ直す。折れてしまったプリントのシワを丁寧に伸ばす。フルメナさんを襲撃した三角定規を壁に戻してやる。もう二度とあんなことするんじゃないぞ。
「私、ヴァンパイアなの」
突然の告白だった。
フルメナさんはパイプ机を元の位置に戻しながら、それをなんの前置きもなく言った。
「ヴァ、ヴァンパイア……?」
「手を止めないで聞きなさい。
しばらくは正体を隠し続けるつもりだったんだけど……助けてあげたんだから感謝しなさいよ」
フルメナさんの正体を知った俺はあらゆることに合点がいった。
女子生徒との戦闘の際に見せた赤い瞳、長い犬歯、人間離れした身体機能、血から武器を生む特殊能力。これら全てを複合する、納得できる理由を付けるならヴァンパイアがうってつけだろう。
「私は極々真っ当普通の正常一般女性なのよ」と言われた方がよほど驚きである。
「……さっき戦ってたのは一体なんなんだ?」
「あれは魍魎。幽霊とか妖怪みたいなものよ」
やれやれ、ヴァンパイアの次は学校の怪談か。
「助けてくれたのは感謝するが……それで俺をどうするつもりだ?
まさか俺の血が欲しいのか?」
冗談交じりに言うと、フルメナさんはあざけるように笑った。
本当にそのつもりならば、わざわざ自分の正体を明かす必要はない。俺ごとき、女子生徒との戦いのあとに一捻りできるはずだ。俺はフルメナさんの目的が知りたかった。
「生憎、人間を襲うつもりはないわ。
学校生活って楽しそうだし、体験してみたくなったのよ。最初は全日制に行ったんだけど日光がキツくてね。ここに入り直したってわけ」
学校生活が楽しそう、か。その意見には決して首を縦には振れない。まだまだ人間界への理解が足りていないようだ。
学校なんてのは、何度溜め息を吐いても決して消えない憂鬱な気持ちを抱えて向かう施設だ。好き好んで通ってる奴なんか一人もいない。
放っておけば誰も登校なんかしないから、親には義務教育が課せられているのだ。
それなのにわざわざ全日制を一回辞めてまで定時制に入学し直すとは、よっぽど高校生活に憧れがあるだろう。
「そりゃ立派な心掛けだ。
じゃあ、俺に正体をバラした理由は?」
「他のクラスメイトに、私がヴァンパイアだってバレないように協力してほしいの」
「協力って……具体的にはどういうことだ?」
「適当に話を合わせてくれればいいわ。あとは今みたいに、戦いの痕跡を消したりね」
数学準備室はすっかり元通り……というわけにはいかなかった。シワだらけのプリント、表紙に折れ目が入った参考書、壁のヒビ。俺専用の秘密の隠れ家がボロボロになってしまった。
教員が此処を見たら何かがあったと確察するであろうことは間違いない。しかしそれがヴァンパイアと魍魎少女の能力バトルだとは、夢にも思わないはずだ。そういう意味では隠蔽には成功しているのかもしれない。
「協力したくないなら、後遺症が残らない程度の全身複雑骨折で許してあげる。私が卒業するまでの間、病院で寝てなさい」
「そんなことは言ってないだろ……。助けてくれた礼もあるし、協力させてくれ」
この犯行予告は決して冗談には聞こえなかった。
フルメナさんの口から語られる内容は半信半疑、と言うよりは非現実的な情報を次々と注ぎ込まれて俺の脳みそでは真偽の判別がまるでつかない。
とにかく此処は、俺自身の身を守るために首を縦に振る他なかった。
もし俺が口を滑らせでもしたら、病院送りでは済まないだろう。フルメナさんの秘密は卒業まで、いや、墓場まで持っていく覚悟で守り通さねばならない。
「あんたってなんか頼りなさそうだけど、しっかり頼むわよ」
「任せとけ。俺だって怪我はしたくないしな」
確かに頭が悪く、運動もできず、クラスでも浮いている俺は頼りなく見えるだろう。
しかし見くびらないでもらいたい。こと秘密の厳守において、俺以上の適材はいない。
秘密を共有する相手が俺だったというのは、フルメナさんにとっても不幸中の幸いだっただろう。
しつこいくらいに繰り返すが、俺は教室で孤立している。話し相手はフルメナさんだけだ。
クラスメイトとは口を聞かないのだから、秘密がバレる可能性は万に一つもない。注意点を探すならば、授業中に寝言を漏らさないようにすることくらいだ。
「あ、いたいた。フルメナちゃーん」
唐突に引戸が開き、見覚えのある女子がフルメナさんに手を振る。
胸まで伸びた茶髪のロングヘアーに金髪のインナーカラーが組み合わせられた髪型。
ワイシャツの上から青のスカジャンを羽織り、下は青いチェックの嘘制服スカートを履いている。
そんな彼女の名前は……
恐らく同じクラスの人間なのだろうが、思い出せない。いや分からない。思い出せないとは、一度覚えたものが出てこないときに使う言葉だ。
「あら、本山りこさん。どうしたんですか?」
フルメナさんは瞬時に態度を切り替え、表モードで微笑んだ。
フルメナさんの正体を知ってしまった今でさえ、この状態の立ち振舞いを見ると俺の心は弾んでしまう。
「学校が始まって一ヶ月ぐらい経つし、親睦会とかどうかなーって姉崎くんと話してたんだけど。
一応クラス委員長にも意見を聞こうと思って」
クラス委員長とはもちろんフルメナさんのことだ。俺が委員長だったら既に学級崩壊している。
「あら、素敵ですね。ぜひ私も参加させてください」
「オッケー。あー……そっちの人は?」
本山さんとやらは申し訳なさそうな表情を浮かべる。
気を落とさないでください。俺もあなたの名前を知りませんでした。
言うまでもなく欠席を選ぼう。
学校が終わったあとのプライベートな時間を、名前も知らないクラスメイト達に使ってやるほど暇ではない。ゲームをしたりアニメを見たり漫画を読んだり、つまり俺は俺なりに忙しい。
そもそも大人数で集まって馬鹿騒ぎしたところで、なに一つ面白くない。こういう奴らは集団で大声を出せれば親睦会だろうか交流会だろうが交霊会だろうが、名目はなんでもいいのだ。
そして俺が参加しないことが、他の参加者の為でもあるのだ。皆が盛り上がっているなか俺だけが口をへの字に曲げていたら、お互いに嫌な思いをしてしまう。
なによりも下手に他人との繋がりが増えれば、ひょんなことからフルメナさんの"秘密"がバレてしまうかもしれない。
「もちろん、剣崎穹翔くんも参加しますよ」
俺の代わりにフルメナさんが答えた。
「おいおい、勝手なことを……」
「参加、しますよね?」
フルメナさんは俺の方を見ると、あの目が笑っていない不気味な笑い顔を作った。後で知ったが、これはアルカイックスマイルというらしい。
「も、もちろん参加させてくれ」
「んじゃ日程が決まったら連絡すっから」
山口さんの足音が完全に聞こえなくなるまで待ってから、俺はフルメナさんに言った。
「おい、親睦会なんか参加したら……」
「言ったでしょ、私は楽しい学校生活が送りたいの。その為にはクラス全員の団結が不可欠なのよ。もちろんあんたも含めてね」
一難去ってまた一難である。命の危機の次は、クラス親睦会などという神経をすり減らすだけのイベントに参加することになってしまった。
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