クラス親睦会(1/3)
人は一人では生きていけない。俺という存在がそれを証明している。
三年の歳月をのうのうと棒に振っていられたのも、十八歳にもなって能天気に高校一年生をしているのも、両親のおかげだ。
ちなみに卒業までの四年間並びに卒業後の幾年かも、両親たちには引き続き変わらぬご愛顧をお願い申し上げるつもりである。
また、今日の行動の一場面を切り取ってみよう。
俺が朝に食べた食パンは農家の方が小麦を作り、工場で加工され、トラックでスーパーに運ばれ、店員が陳列と販売を行った。買ってきたのはお母さんで、そのお金を稼いだのはお父さんだ。
俺一人で食パンを用意する場合、小麦畑の整地から始めねばならない。
スコップもクワも無い。自らの細い両腕を必死に動かす。邪魔な雑草や石をどかして、手を泥だらけに汚しながら土を掘り返す。
必要なのは小麦だけではない。生地を作るための各種調味料やパンを発酵させるための酵母菌を仕込み、発酵させるための各種器材を製作するための資源も集める。想像するだけでも今夜はよく眠れそうなほどの疲れが溜まる。
人は一人では生きていけないという真実。
しかし、必要以上に関わる必要がないというのもまた事実である。
学校は勉強をする場所であり、友達と遊ぶ場所ではない。これはあくまでも一般論であり、俺が実際に机に向かっているかは別問題だ。
俺に関して言えば、知り合いが増えるほどにフルメナさんの秘密がバレる可能性も高くなるのだ。
一匹狼とまで格好付けるつもりはないが、せめてモグラのごとし。土中でこそこそと生きることがお互いのためだと思っていた。そんな俺の背中を鷲掴み無理やり陽の下に引きずり出した犯人は他でもないフルメナさんである。
彼女が望む理想の学校生活のため、俺は無理やり親睦会に駆り出されてしまったのだ。一度帰宅する猶予すら与えられず、学校から集合場所に直行させられた。
「私たちの出会いに……乾杯!」
フルメナさんの音頭で、一斉にグラスが持ち上がる。
周りと一呼吸置いてからグラスを掲げる。これが今の俺にできる、せめてもの意思表示だった。烏龍茶が注がれただけなのにやけに重く感じるのは、決して気のせいではないはずだ。
ちなみに烏龍茶を選んだことも反抗心の表れである。カルピスごときを飲み干して、浮かれていられる気分ではないのだ。
駅前に位置するカラオケ店。大部屋のパーティルームに、世保平高校夜間部一年の約三十人が勢揃いしていた。夜間部に通うだけあってそれぞれ都合があるだろうに、週末にも関わらず奇跡の出席率百パーセントである。
改めて見渡してみると、まさしく老若男女といった様相を呈していた。中学からストレートで進学したのであろう女子学生から、恐らく学び直しを目的とした中年男性まで。俺と似た暗いオーラを背負った男子から、犯罪と武勇伝を混同していそうな女子まで。そして人間からヴァンパイアまで。みなが同じクラスの生徒だと考えると不思議な気持ちになる。
コの字に配置されたソファに、あらかじめ決められた席順の通りに着席している。部屋が広いためか、ぼちぼちと空席が目立っていた。
俺たちの席順は幹事の三人が予め考えたのだという。
俺は一番端の席で、隣にいるのはフルメナさんだ。他のクラスメイトとの接触を極力避けるためのフルメナさんの心遣いだろう。感謝の気持ちをここに残しておく。
フルメナさんとの入れ替わりで、幹事の一人である姉崎くんが一段せり上がったステージに立つ。
白い歯が溢れる、清潔感の溢れる好青年だ。その笑顔には俺の心の闇も浄化されそうになる。
彼は企画を立ち上げただけではなく、参加費の徴収や俺たちの首からぶら下がっている名札の配布も行った縁の下の力持ちだ。聞いた話ではまだ十六歳だという。クラス全体のことを考えて動く彼の姿には、年下ながら頭が下がる思いだ。
名札は白紙の状態でネームホルダーと共に渡された。本名ではなく愛称やニックネームを書いてほしいのだという。
俺はペンの蓋を外して、『剣崎穹翔』と力強く書いた。これは反抗ではない。親から与えられた名前以外に呼び名を持っていないのだ。モグラになりたがっている俺が、お互いをあだ名で呼び合うような親密な人間関係を築けるはずもない。強いて言うなら「剣崎くん」があだ名である。
俺はステージから戻ってきたフルメナさんに声をかけた。
「とりあえず、お疲れさん」
「剣崎穹翔さん、今日は参加してくれてありがとうございます」
フルメナさんは表モードでにこやかに微笑んだ。
フルメナさんの代わりに登壇した姉崎くんはマイク片手に、慣れた様子で司会業をこなす。
「このクラスでの学校生活も一ヶ月経ちまして、改めて皆さんに自己紹介してもらおうと思います。同級生たちの、また新たな一面が見えてくるのではないでしょうか」
自己紹介。嫌いな言葉だ。
てっきり、クラスメイトたちが順番に歌うだけだと思っていた。俺のターンが近づいてきたらこそこそと部屋を抜け出すつもりだった。なにせ人生初カラオケである。己の歌唱力は把握していないが、人前で披露するレベルに達していないことは確かだ。
「では、端の方から」
姉崎くんは手のひらで、俺の方を指し示した。
「……え、俺から?」
自己紹介のトップバッター。これ以上に気力が削がれるイベントが、果たして学校生活に存在しうるだろうか。
仮に自己紹介が反対側から始まっていたとしても、大トリを任されていたことになる。先ほどここに残した感謝の気持ちを胸にしまい、この下らない展開を画策したであろう悪徳幹事を睨み付けた。
「うふふ、剣崎穹翔さんのことはよく知らないから楽しみです。ちゃんと立ってハキハキと喋ってくださいね。あ、持ち時間は一人三分です」
もしフルメナさんの正体を知らないままだとしたら、腹の底から沸き上がるどす黒い感情を言葉に交えて溢れんばかりの罵詈雑言を並べ立てていただろう。
俺は現在の心情を描写するように気だるげに立ち上がると、テーブルに置かれたグラスに視点を合わせて三分間の生き地獄に我が身を投じた。
「け、剣崎穹翔です……」
自己紹介が苦手、というのは実は正確ではない。
そもそも、この場の皆様方に紹介できるような自己を持ち合わせていないのだ。
三年引きこもりで、中学もまともに卒業していない、二次元美少女が大好きな男です。聞かされたクラスメイトたちのひきつった顔が目に浮かぶ。
「…………」
氷とグラスがぶつかる音が、今の状況を表していた。
「え、剣崎くんって何歳?」
運営の一人、本山さんが出航してくれた助け舟に慌てて乗り込む。
「18歳、です……」
「えーあたしもなんだけど!
じゃあさ、穹翔って呼んでいい?タメだし」
「ど、どうぞどうぞ」
本山さんの積極性に俺は気圧されてしまった。
これが噂に聞く女科ギャル属。その種族が得意とする超接近戦のコミュニケーションを仕掛けられた日陰系男子は、いとも簡単に恋慕の情を抱いてしまうという。
しかし俺の性根は部屋の隅で死んでいるイヤホンケーブルより複雑にこんがらがっているのだ。この程度で二次元への思いが揺らぐことはない。
なるほど、会話巧者の本山さんはみなと同じソファに座り、会の円滑に進める役割を担っているようだ。
「はぁ~い。質問」
別の場所からも手が上がった。
挙手した女子の名札には、丸文字の平仮名で"ぱやや"と書かれている。
「フルメナさんと付き合ってるの~?」
「ゲホ、ゲホゲホッ」
隣の席からむせる声がする。
俺の代わりに、その声の主が返答した。
「い、いきなり何を言い出すんですか? 高見沢早苗さん」
「むぅ~、ちゃんとぱややって呼んでよぉ~。
だってだって、数学準備室で二人でこそこそ会ってるって、りこりんが言ってたよぉ。この親睦会の席順だってフルメナちゃんが考えたんだよねぇ?
それで剣崎くんと隣同士ってことはぁ……」
高見沢さんのこの鋭い指摘にはフルメナさんもたじたじである。
高見沢さんはりこりん、つまり山口りこさんから俺たちの情事の噂を聞き及んだらしい。
恐らく山口さんは、俺とフルメナさんが数学準備室で逢瀬を重ねていると勘違いしたのだろう。とするならば、フルメナさんと隣同士という席順も山口さんの息がかかっている可能性がある。
高見沢さん以外のクラスメイトにもこの事を伝えてしまっているかもしれない。見渡すと高見沢さんの他にも、俺たちに好奇心の目を向けている人たちの姿が散見された。
「席は三人で考えたんですよ……。剣崎穹翔くんは、ただのお友達です」
そう言うフルメナさんのこめかみには立派な青筋が隆起している。
困窮するフルメナさんの姿をつまみに烏龍茶を何杯でも飲めそうだ。俺はどさくさに紛れて腰を下ろした。
「あいだぁっ!」
右足に激痛が走る。
テーブルの下を見ると、フルメナさんの踵が俺の足をグリグリと踏みにじっていた。
(なんとかしなさいよ!)
クラスで一番の美少女と俺ごときが恋愛関係に陥るはずがない。普通に考えれば分かることだ。
まったく、異性同士が並んで歩いていればすなわち恋人だと判断してしまうような恋愛脳には俺も辟易である。
いくら顔面が優れていたとしても、他人に躊躇なく暴力を振るえるような女性はこちらから願い下げだ。
勘違いを解くために、俺は適当な作り話を口に出した。
「しゅ、趣味の話をしてたんだよ。ゲームの」
「あらあら剣崎穹翔くん。私はゲームなんてしませんよ?」
まさかフルメナさんが楯突くだなんて、俺はまるで予想していなかった。
身に纏っているその制服からして、彼女は実は俺と同類であるはずなのだ(これは伏線)。
(おい、話を合わせろ! なんで否定するんだ!?)
(うっさいわね。こっちもキャラ作りしてるのよ! あんたが私に合わせなさい!)
なんとかしろと助けを求めておきながら与えられた援助を踏みにじることができるのは世界広しと言えどもフルメナさんぐらいだろう。
溺れる者は~という諺があるが、フルメナさんは藁を掴むぐらいならその重いプライドを抱いたまま水底に沈む覚悟を持っているようだ。
「ゲームをしないと言いつつ、実は興味があるんだよな。だから人がいないところで、二人で話してたんだ」
「いいえ? テレビゲームなんて下品なもの、一度も触れたことはありません」
「い、いやいやテレビゲームじゃなくて。テーブルゲームだぞ、チェスだよ囲碁だよダイヤモンドゲームだよ」
「……そういえばそうでした」
フルメナさんは落ち着きを取り戻し、トマトジュースが注がれたグラスに口を付けた。
高見沢さんがこれ以上追及してくれることは無かったが、恐らく誤解は解けていない。
この付け焼き刃且つどこか食い違わなかった俺たちのやり取りを見て、納得しろという方が難しいだろう。むしろ高見沢さんたちの目には、恋愛関係を必死に隠している恋人のように映っているはずだ。
それに並んで、こんなことがあと四年近くも続くと考えると頭を抱えたくなる。
数多のギャルゲーエロゲーを遊んでいる俺でも、ここまで面倒な登場人物は最近の記憶に無い。一周目はノーヒントでプレイするというポリシーを持っているが、今すぐフルメナさんの攻略本が欲しくなった。
「はい、じゃあ次の方」
「フルメナ・ルーギット・ヴェスパビュームです。年齢は十六歳です」
胸に片手を当て頭を下げる。いくらなんでも気取りすぎている気がするが、見た目が良ければ何をやってもある程度は様になるものだ。
しかしその発言内容には疑問が残る。フルメナさんは、一度全日制に入学したと言っていた。そして今年の四月から世保平高校に登校している。
その間に一年の時が経っているのだ。最低でも十七歳じゃないと辻褄が合わないだろう。まさかキャラ作りのために、アイドルのようにプロフィールまで改竄するつもりなのだろうか。
「私は生まれたときからずっと海外にいました。両親の都合で世保平高校への入学が決まったときに頑張って日本語を勉強したので、皆さんに言葉を褒めてもらえるのはとても嬉しいです」
エジプトで生まれ、ギリシャ、アメリカと各国を転々と渡ったあとにこの国にやってきたのだという。その渡り鳥のごとき経歴を聞いたクラスメイト一同は驚きの声を漏らす。わざわざ日本を選んだせいで、俺は厄介なことに巻き込まれてしまったわけだ。
「趣味はクラシック鑑賞とバイオリンを嗜んでいます。息抜きにテーブルゲームで遊ぶこともあります」
フルメナさんは俺を一瞥する。
分かった分かった。またクラスメイトに俺たちの関係を聞かれるようなことがあったら、「数学準備室でバロック派の音楽家について熱く語り合っていた」とでも言ってやるよ。
「あの、質問なのですが」
黒のセーターにブラウンのジャンパースカートというコーディネートの、落ち着いた雰囲気の女子が小さく手を挙げた。
名札には上品な文字で『万共』、漢字の上にはご丁寧に『まとも』と読み仮名がある。
「世界中を飛び回っているとおっしゃっていましたが、世保平高校から海外の高校に転校してしまう可能性もあるのでしょうか?」
万共さんの質問を聞いた俺は思わず膝を打っていた。
そもそもフルメナさんが大人しく海外に帰ってくれれば、全ては丸く収まるのだ。きの国から出ていけとまでは言わないが、別の高校に転校すればいい。わざわざ正体を隠してまで世保平高校に在籍を続ける意味もあるまい。
「実は最近、転校しなければならないかもしれない出来事がありました」
フルメナさんは再び俺に視線を向ける。
その出来事とは恐らく、俺に正体がバレてしまったことだろう。フルメナさんの中にも新天地でやり直すという選択肢はあったわけだ。
「ですが皆さんとお別れしてしまうことを考えると寂しくて……。
まだ短い付き合いですが、皆さんと過ごした時間は私にとって宝物です。転校してこの場所を離れることよりも、私は自分の中の問題としっかり向き合うことを選びたい。
そして皆さんと一緒に、楽しい時間をたくさん過ごしたいです」
その表情や口ぶりには、キャラ作りだとは思えないほどに感情が乗せられていた。フルメナさんの心からの本音だ。その力強い言葉に聴衆は魅了され、柄にもなく俺の胸にも熱いものが込み上げてきた。
その後もクラスメイトたちの自己紹介が続いていく。フルメナさんの語りに感動を覚えた俺は、まず同級生一人一人の名前を覚えるところから始めようと思った。
実際の結果がどうであれ、思っただけでも俺にとっては大きな成長だ。次々と繰り出される二十人近くの個人情報を一度で記憶できるはずがなかった。俺の脳は空き容量が多いが、処理能力は低いのだ。
全員が話を終える頃には当初の決意はどこへやら、俺の両耳は飛び込んできた言葉を素通りさせるだけのただの穴ぼこと化していた。
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